ダークエルフ、ルーン(6) 鬼神、月旅行する

19、月の道


「では、うふふ、道を通す。くくく」

 月神。

 まだ笑っておる。

「笑いすぎじゃ!」鬼神、ちょっと憤慨した(ふんがいした)。「早う、道とやらを通せ」


 空の上。雲の近く。

 ガンメタ鬼神台に乗った、二柱(ふたはしら)の神。

 ここへ来たのは、月の女神が『月の道』を通すためであった。

 鬼神が妙雅とけんかしたせいで、手間取ってしもうたが。

 

「わかったわかった。んふふ」

 月の女神。

 手を、差し伸べた。

 夜空に浮かぶ満月に。

 月光に照らされた彼女は、妖精のよう。

 ハイエルフそっくりの見た目が、ぼんやりと光に包まれ、現世のものとは思えぬ御姿となる。

「・・・美しい神じゃ」鬼神は見惚れた。ちょっと憤慨したのなんか、すっかり忘れて。

「来よ(こよ)、来よ。

 月の道よ、ここへ来よ。ここへ、地球へ」


 夜空に浮かぶ、月に。

 女神が帯びておるのと同じように、ぼんやりと光がかかった。

 にじむような光。

 その光が、降ってくる。

 滝のように、なだれ落ちてくる──音もなく。


「おお・・・」

 ぶわっさ・・・。

 鬼神とガンメタ鬼神台、ため息。

 ガンメタ鬼神台のまあるい巨体を包み込むように、光の滝が落ちてきて──

 月の女神の手のひらで、ぴたっと止まった。

「なんともはあ」鬼神、感心する。「さすがは、神さまじゃ」

「ふっ、ふふふ」月神、吹き出す。「なにえ。人間みたいな言いよう」

「いやいや・・・」

「さて、鬼神台殿」

 ぶわっさ。

 ガンメタ鬼神台、へんじ。

「光の道をゆくときには、決して、逸れては(それては)ならぬ」

 ぶわっさ? ぶわっさ。

「うむ。常に、光の中にとどまるように。

 速度はいらぬ。私が歩いて、一日で来れるようにしてあるゆえ。

 人間が走る程度か、それより遅い速度で十分え」

 ぶわっさ。

「えらい厳重に注意するが、」鬼神が質問した。「あぶないのか?」

「それなりに。道に居る限りは安全やが、いったん外れると、どっか飛んでってまう恐れがあるのえ」

 ぶわっさ。・・・ぶわっさ、ぶわっさ?

「うん?」

 ガンメタ鬼神台、なんか質問があるらしい。

 だが、ぶわっさ言葉。抽象的な概念、さっぱり伝わらぬ。

 鬼神と月神、顔を見合わせる。

「どうしたもんかのう?」

「疑問、おろそかにするべからず。いったん地上へ降りて、確認をすべし」

 ぶわっさぶわっさ!

「なんじゃ。しばらく待てということか?」

 ぶわっさ。

「らしいぞ」

「なら待つかに」

 月神、優雅に横座り。

 足首を手でトントンと叩いて、鼻唄を歌い始めた。

 鬼神もそのとなりに胡座(あぐら)して、美しい月の女神を見つめたり、夜空を眺めたりする。

 待つことしばし。

 ぶわっさ。

「なんじゃ?」

 鬼神。夜空を見る。そして気付く。

「む! あやつは!」


 夜空に溶け込む、小さな影あり。

 9本の筒が繋がれたような形をしたやつ。接近中。


「妙雅のオクトラ!」

 鬼神かまえる。

 ぶわっさぶわっさ! ガンメタ鬼神台、『やめんか』という感じで、怒る。

 月神を乗せてなければ上下にバウンバウン弾んで怒りを表現したんだろうな・・・っちゅう程度に、怒る。

「なんなのだ・・・」鬼神ひるんだ。

<月の女神さま>

 オクトラがしゃべった。

 妙なる声。声の主は、むろん──鬼神が先ほどけんかした、妙雅である。

<先ほどは家族げんかに巻き込んでしまい、大変失礼をいたしました>

 月神はほほえんだ。

「ゆるす。私にとっては、珍妙で楽しい経験であった」

<恐れ入ります。

 申し遅れました。私は、妙雅と名乗るもの。

 巨人の国の天空大臣、空飛ぶ一族の女王でございます。

 この『オクトラ』は代理の妖精のごときもの。代理で名乗るご無礼をお詫びいたします>

「うむ。ところで女王陛下。私の正体、誰から聞いた?」

<いま女神さまが乗っていらっしゃる鬼神台兄者です。

 神さまにご迷惑をおかけしたのだから、謝らねばならぬと言われまして>

「そうか」

「なんじゃ。相棒。そんなことを妙雅に言うたのか」

 ぶわっさ・・・ぶわっさ・・・。

「はっきりせんか」

<だいたいそういうようなことを、ネチネチと言われました>

 ぶわっさぶわっさ!

<言うたじゃろが!>

 なにやら齟齬(そご)があるようである。

「なるほど。よろしい。女王陛下よ。そなたの謝罪はお受けした。

 言うたとおり、私は楽しい経験をした。それ以上の詫びは不要」

 オクトラ。

 斜めに傾き、ぐるーんと軸回転した。礼をしたらしい。

<ところで女神さま。私、鬼神台兄者から、女神さまへの質問を預かっておるのですが>

「言うてみよ」

<はい。『移動するあいだ、空気はどうなりますでしょうか?』>

「なるほど。それを気にしておられたのやに」

<はい。神々を引きずり降ろしてはならぬというので、私が通訳に上がりました>

 月の女神、うなずく。

「それはご苦労やった。

 鬼神台殿にお答えしよう。道から外れぬ限り、空気や温度の心配はいらぬ。

 また、月の道は、端から端まで同じ状態。ゆえに、端っこで試験ができる。

 端っこで大丈夫なら、どこまでも大丈夫。だめなら、すぐ出ればよろしい」

<『かしこまりました。私の質問は以上です。ありがとうございました』>

「うむ。では、ゆくか」

<行ってらっしゃいませ>

「あ、妙雅よ」鬼神が呼びかける。「先ほどは、すまんかった」

<・・・。>

「身内に対し、それも空飛ぶ一族の女王であるおまえに対し、やりすぎた。あやまる。この通り」

 オクトラ。

 のろーりと、軸回転する。

 見た目にはどっちが前なのか全然わからんが、鬼神のほうを向いたようである。

<・・・鬼神さまは、私よりも先に、あやまらねばならぬお相手がいらっしゃるのではありませんか>

「うっ」

<鬼神さまと私が身内で居れるかどうかは、その御方次第ではありませんか>

 沈黙。

「ときに、女王陛下よ」月の女神が話を変える。「そなたも招待をしよう。一緒にいかがか?」

<私が?>

「うむ。月旅行など、いかがかに?」


20、鬼神、月旅行する


<月旅行・・・魅力的なお誘いですが、私には、国の務めがございますれば>

「そのオクトラとやらで、いらっしゃってはどうかに?」

<オクトラですか。そうですね。それなら可能です。お邪魔ではありませんか?>

「なに。吾が(あが)つまとなった鬼神の身内ならば、招待するのは自然なこと」

 月の女神。

 優しい笑みを浮かべながら、さらりとそんなことを言い出した。


 『吾がつま』とは、私の結婚相手という意味。古い言い回しである。


<・・・それは、初耳でございます。どうも、おめでとうございます>

「うん? なにがじゃ?」鬼神、わかっとらん。「あがつまとは、なんじゃ?」

「それはもちろん、私とそなたが仲良くなったことが、やえ」

「う・・・む?」

 月の女神、にんまりする。「さ、オクトラや。おいで」

 オクトラ、また傾いて軸回転し、女神の御胸(みむね)に収まった。

「それでは鬼神台殿、たのむえ。くれぐれも、道を外れぬよう」

 ぶわっさ・・・。

 ガンメタ鬼神台、ため息ついて、月神に従う。

 鬼神と月神を乗せて、光り輝く月の道に、すいっと入った。


 月の道は明るく、それでいて目には優しく、涼しく、それでいてちっとも寒くない。

「ふわふわするのう」と鬼神。「体重が軽くなったようじゃ」

「うむ。こうでなくては、降りてくるとき、真っ逆さまえ」

「ははあ。そらそうだわな」

 鬼神は満月を見上げた。

「あんな高いところから落っこちたら、えらいことじゃ」

「そなたは死なぬやろ」月神笑う。「月から地球まで投げつけても」

「そりゃわからんが」

 ガンメタ鬼神台は、光り輝く道をすべるように昇り始める。

「む?」鬼神、その加速っぷりに驚く。「速い!」

 もんのすごく、速い!

 風すら感じぬのに、一瞬で雲を突き抜け、黒々とした星空へ飛び出してゆく!

 後ろを振り向いた鬼神。

 さらにびびった!

 なんと!

「アルフェロンの湖が、見渡せるようになっておる!」


 巨大なる湖、アルフェロン。

 空に上がっても、その端っこは見えはせなんだ。水平線が見えるばかりだったんである。

 それほどの巨大湖が!

 いまや、両手を伸ばせば抱き寄せれそうなサイズに、すっぽり、視界に収まっておる!

 左を向いた靴(くつ)のごとき、巨大湖の形。鬼神、初めて、その目で見た!


「雲より高く飛んでも、見渡せんかったのに!」

 鬼神。心底びっくりした。

 見るうちにも、ガンメタ鬼神台は駆け上ってゆく。

「あれ! もう、私のこぶしより小さくなった!

 あれあれ! もう、かめむしより小さくなった!」

「まだまだ」月神笑う。「見えんほど小さう(ちいそう)なるえ」

 はたして、女神の言葉どおり。

 アルフェロン湖はどんどん小さくなってゆき・・・、

 雲間に隠れて、ほとんど見えぬようになり・・・、

 まあるい線が、視界に入ってきた。

「な、なんじゃ!? 世界の終わりが見えてきたぞ!」

 鬼神おののく。

「湖の周りが・・・まあるく、切り落とされてしもうた!」

 月の女神はほほえみ、手を伸ばして、夜の世界を示した。

「彼なるは、地球」

「ちきゅう」

「数えきれぬ生きものが乗っておる、地のタマやえ」

「地球・・・!」

 ガンメタ鬼神台、まだまだ加速する。

 鬼神が『世界の終わり』と表現した大きな大きな円すら、見る見る小さく、すぼまってゆくではないか!

「おいおい、相棒よ!」

 ・・・ぶわっさ?

「おまえ、もんのすごいスピードで飛んどるんじゃないか? 尋常な速度ではなかろう? これは」

 ・・・ぶわっさ!

 ガンメタ鬼神台。集中しとるのか、反応が鈍い。だが、やはり彼も、驚いておるようである。

<どれほど加速しているのでしょうか>妙雅が分析した。<百倍やそこらではないですね、これは>

「うむ。名付けて、歩く歩道」月の女神うなずく。「こうでなくては、歩いて来ることなんぞ、できぬ」

<すごい・・・>


 と。

 ガンメタ鬼神台の進路が、突然、ブレ始めた。

 ふにゃふにゃとフラつき、急に速度を落とす。

 月の女神がつんのめる。鬼神が抱き止めた。

 オクトラも月の女神の胸から飛び出し、すっ飛んで行きそうになる。鬼神ガッと捕まえた。<ぎゃあ!>

 ガンメタ鬼神台、完全に止まる。

 なんとあやうし!

 その鼻面、月の道からはみ出しておるではないか!

「おいおい。はみ出すなと言われただろうに」

 ぶわっさぶわっさ!

<うまく飛べないみたいですね。放して>

 オクトラが言うので、鬼神は手を放した。

 すると、オクトラまでもがフラフラし、ぽろりと落っこちそうになる。鬼神ガッと捕まえる。<ぎゃあ!>

「いちいちうるさいわい。妙雅、おまえもうまく飛べんのか?」

<放せ! はい。なんか・・・きしにぃ、よう止まったのう>

 ぶわっさ・・・。

 ガンメタ鬼神台、冷や汗たらたらである(たとえですよ)。

 ずりずりと後じさり、道にもどって、いったん完全に停止した。


<どうも、私たちの飛行能力は、宇宙向きではないようですね>

「うちゅう」

「地球の外のことえ」と月の女神。「では、ここから先は、飛べぬのか?」

<オクトラは難しいですね。きしにぃはどう?>

 ぶわっさぶわっさ・・・。

 ぶわっさ?

「ああ、いったん降りてくれというのだな? お月さんよ、降りても大丈夫かのう?」

「道を踏み外さねば」

「よし」鬼神、無造作にスタンと道に降りる。「足元もふわふわするわい」

「気をつけなえ。跳んだりしては・・・ああ! アカンて!」


 遅かった。


 鬼神。

 身体が軽いなあ、ジャンプしたらどうなるんだろう? と、思ってしもたのだ。

 ぴょん。

 ジャンプしてしもたんである。


 したところ、もんのすごい勢いで、光の道から飛び出してしもた!


(ぬう!?)

 叫ぶ鬼神。しかし、声が出ぬ。

(な、なんだここは!? 息ができぬ!)

 そして、なんか、恐ろしい感じがする。

 肌寒いような、肌がぞわぞわとするような。

 鬼神。月の道を見る。

 月の女神が大慌てでこちらに手を伸ばしておる。だが、届かぬ。

 いや、もしその手が届いたならば、月の女神まで巻き添えになってしまう。

(相棒)

 相棒を見る。相棒は月の道で動く練習をしておったため、反応が遅い。いま振り向くところである。

(だめか・・・)

 と考えたあたりで、急に目の前が暗くなる。

 鬼神は、気を失った。


「・・・む?」

「気がついたか」

 気がつくと、鬼神は月の道に寝っ転がっておった。

 月の女神が覆い被さって、じっと見つめておる。

 彼女は、鬼神をひざまくらしてくれておるのであった。

「自分が誰か、わかるか? なにをしておったか、覚えておるか?」

「は? 当然じゃろ」

「言うてみよ。そなたの名は?」

「私は鬼神。鬼どもの神じゃ。ジャンプしてみたら、飛び出してしもうたのだ」

「やれやれ。頭は大丈夫なようやの」

「なんだ。からかっとるのか?」

<からかっ・・・! なに言うとるんじゃ! 女神さまに失礼じゃろうが!>

 月の道にぺたんと置いてあるオクトラから、妙雅の声がした。

<・・・おほん。女神さまが、目に見えぬ力で、おじちゃんを引き寄せてくださったのです>

「目に見えぬ力だと? ──ああ、そうか! あの、秘密のわざ」


 鬼神、思い出した。

 月の神殿でのこと。月の女神が、なんだかわからん、目に見えぬ力でもって、鬼神を引き寄せたことを。


「・・・たしかに、あのわざなら、私を引っ張れそうだな」

<そうです! 生命の恩人ですよ! ・・・とっととお礼を言わんか>

「む!」

 鬼神、頭を起こして、正座した。

 月の女神に頭を下げる。

「すまぬ。お月さんよ。助けてくれて、ありがとう」

「無事でなにより」

 月の女神はほほえんで、鬼神の頭を撫でた。

<ついでに言っときますがね? オクトラもだめになるところでしたよ。おじちゃんに握られてたせいで>

「ああ。そうだったな。すまんすまん」

<まあオクトラは生きものじゃありませんけれどもね?

 ──次からは、自殺するときはオクトラは横に置いてからにしてほしいもんじゃのう!>

 妙雅。

 極めて辛辣である。

 しかも口調がごちゃ混ぜである。キレとるのを隠そうとしとるらしい。

「はいはい。そうするわい。いやはや、すまぬ。あんなすっ飛んでいくとは思わんかったのだ」

 鬼神は立ち上がった。

「しかし、なんであんな一瞬で気を失ったんだろうのう?」

「宇宙とは、そういうものえ」

「なんと。宇宙とは、恐ろしいところだな」

「そえ」

 鬼神は月の女神を見た。「・・・なあ。お月さんよ」

「なにえ」

「そなたいっつも、この道を歩いて来とるのか」

「たまに」

「1人でか」

「たいていは」

「1人っきりで、この道を、1日もかけてか」

「そえ。私は、月ゆえに」

 鬼神はたまらず、月の女神を抱き寄せた。「月よ・・・」

「なにえ。その、哀れなものを見るがごとき目ぇ、やめよ」

 月の女神は鬼神の胸元でもごもご言うたが、放せとは言わなんだ。


 さて。

 鬼神がそんな話をしとるあいだにも。

 ガンメタ鬼神台は、1人、黙々と練習をしておった。

 車輪でごろごろ、前後に動き、回転し・・・、

 次にちょびっと浮かび上がって(飛び出しそうになったので、鬼神がガッと掴んだ)、前後にふわ~んとただよい・・・、

 しばらくそんなして、試験をくり返し・・・、

 ぶわっさ。

 鬼神たちの足元に、着地してきた。


「お? もう行けそうか?」

 ぶわっさ。

<さすが兄者じゃ>妙雅が褒めた。<しかし、慎重に行くべきじゃぞ。なにしろ、宇宙じゃから>

 ぶわっさぶわっさ! ぶわっさ!

「うるさいわ! 任せよ!」鬼神が通訳した。

<うるさいんじゃ!>妙雅が言い返す。<兄者と私に割り込むんじゃないわ>

「私だって、おまえの兄者なんだがのう」

<姉上を捨てたおっさんなんぞ、兄じゃないわい>

「す、捨てとらんわ! ちょっと・・・ちょっと、月旅行しとるだけじゃ」

<ごまかすんじゃないわ!>

 兄妹げんか、再燃の気配。

 しかし、ガンメタ鬼神台が飛び始めたので、2人とも口をつぐんだ。2人とも、彼の邪魔はしたくなかったんである。


 ガンメタ鬼神台は、もう失敗はせんかった。

 どうやら、『力』のルーンのわざ、『向きを変える』を、小刻みに使うことにしたらしい。

 飛んどるあいだにちょこちょこっと『向きを変える』がはたらくのを、鬼神は敏感に感じ取った。

「さすが相棒」鬼神は1人うなずく。「私のような阿呆とはちがうわい」

 光り輝く月の道──神の道をゆくこと、おおよそ半刻(1時間)。

 見事、月に、到着してみせたのであった。


21、月の海


「しずかなところだな」

 白く輝く世界を見渡して、鬼神は言うた。

 月、上空。

 なにもかもが、まぶしい。

 地面も、石ころも、山も、谷も。白く、白く。

 一滴の水もなく、木もなく、もちろん生きものもなく。

 太陽の強烈な光をまともに浴びて、なにもかもが、白く、まぶしい。

「昼の国は、どうしてもこうなる」

 月の女神も手をかざしながら言うた。

「心配はいらぬ。私の宮殿は、地下にあるゆえ。

 鬼神台殿、このまま道に沿ってゆかれよ。まだしばらくは、道を逸れてはならぬ」

 ぶわっさ。

 月の道、いまだ途切れず。

 ガンメタ鬼神台はもはや慣れたもので、ついーっとなめらかに加速し、猛烈な速度でぶっ飛ばし始めた。

「恐ろしい速度だ」

 鬼神はつぶやいた。

 月の表面に近づいたため、山や谷によって、速度がわかりやすくなったのだ。

 遥か前方に見えた山が、すぐ背後へぶっ飛んでゆく。とんでもない速度である。

「こんな速度だと、風で落っこちてしまいそうなもんだのに。月の道か。不思議なわざじゃ」

<落っこちる以前に、兄者が壊れます。音の壁で>

「おとのかべ?」

<おじちゃんはわからなくてよろしい>

「なんじゃ! その言い方は!」

<そっちこそなんじゃ!>

 ガンメタ鬼神台が安定したので、2人とも気がゆるんだか。まーたまた、けんかである。

 が。今回は。

<だいたいおj>ブツッ。

 突然、耳障りな音を立てて、妙雅の声が途切れた。

「は? なんじゃ! 言いたいことがあるなら、最後まで言うてみよ!」

 応答なし。

 代わりに、ガンメタ鬼神台がぶわっさぶわっさ言い出した。

「うん? どうしたんじゃ? 妙雅になんかあったのか?」

 ぶわっさぶわっさ。ぶわっさ、ぶわっさぶわっさ。

「妙雅には何もない。しかし、会話はできん。・・・ということらしい」

「以心伝心やの」

「相棒だからのう」鬼神いばる。

 ぶわっさ。


 ガンメタ鬼神台、おっそろしい速度で『月の道』をぶっ飛ばす。

 あっちゅう間に月を1周してしまうんじゃないかっちゅうぐらいの速度である。

「お日さんが沈んでいくぞ」

「私たちが回り込んでおるのえ」

「回り込む?」

「月を。夜へ」

 そう。

 ガンメタ鬼神台が、月の道によって加速された結果。

 昼から夜へ、一気に移動してしまえるほど速度が出とるんである。

 目もくらむほどであった光はやわらぎ、真っ白だった地表に、長い長い影が見え始めた。

「あそこやえ」

「うむ?」

「私の宮殿」

 月神が指差す。光り輝く道の先。

 まあるい泡みたいなもんがあった。

 山を丸ごと包み込む、大きな大きな泡である。

 キラキラと光を反射して、夜空に美しい半円を描いて、地面にくっついておる。

 その泡の中へ。

 月の道は突っ込んでおる。

 ガンメタ鬼神台は抜かりなく減速をして、車輪走行に切り換えた。

 恙なく(つつがなく)、泡に入る。

「うむ? なんだ? 周りがぼやけておるような」

「ここには空気があるのえ。ゆえに、目のよい者ならば、違いがわかる」

「くうき」

「地球にはあたりまえにあり、月にはないもの。そなたが気絶した理由」

「なんの泡じゃ? これは」

「なんと言われても困るが、空気を閉じ込めるために造った泡やえ」

「おまえが? 造ったのか?」

「そえ」

「・・・おまえ、やっぱり、偉大な女神なんだのう。なんでもできるではないか」

「そうでもない。できぬことも、ようさん(たくさん)ある」

 話すうちに。

 ガンメタ鬼神台が、止まった。

 月の道が、もうすぐ目の前で、終わっとるんである。

「問題ないえ。道を出て、着地されよ」

 ぶわっさ。

 ガンメタ鬼神台、地上から1尋(ひろ)ほど浮いた月の道を踏み出し、空中へ。

 いったん空中に静止したあと、ゆ~~~っくりと降下。

「おつかれ」月の女神、鬼神台を撫でる。「じつに良い乗り心地やったえ」


「これが、月の大地か・・・!」

 鬼神。

 月の地表に、その足で、降り立った。

 太陽に焼け切った白い砂をすくい、確かめる。

 地平線に沈みかけの太陽を見る。その隣に浮かぶ、紺色の地球を見る。

 月から見ると、地球は太陽と姉妹のようであった。

 大地は、太陽の側は強烈な白。影の伸びる方向は、静寂の黒。

「そうか。昼と夜の境界か。ここは」

「そえ」

「なんという光景だ。すごいのう」

「楽しんでもらえて、良かったえ」


 月の女神に従い、鬼神とガンメタ鬼神台、それに沈黙したままのオクトラは、小さな山を回り込む。

 その山は、ちょうど巨人の工房のお山と同じぐらいの大きさであった。

 その影の領域に、洞窟があった。

 月の女神を先頭に、その洞窟へ入る。

 強烈な陽光が遮られ、鬼神はホッと息をついた。

 と、ここで、ジジッと音がして、オクトラがふたたびしゃべり始めた。

<・・・ちら妙雅。こちら妙雅。聞こえますか?>

「おお。妙雅。直ったのか」

<・・・・・・・・・そのようですね>

「なんじゃ、その間(ま)は」

<あ、でも、だいぶ時間がかかr──さえぎるんじゃないわ!>

「なんなのだ。しゃべり出したと思ったら、いきなりキレおってからに」

<だいぶ時間がかかるようですので、途中でさえぎr──うるさいわ! おじちゃん黙れ>


 またけんかである。

 しかし、妙雅の反応が、なにやら鈍い。


「なんでそんな間があるのだ?」

<・・・・・・・・・私がオクトラに発音を命じてから実際に発音するまでに、大きな遅延があるみたいですね。ですk>

「ちえん?」

<kら、私の方から何か言うときは『以上』と付け加えるようにしm──遅れるちゅうとるんじゃ! 待たんか!

 ええいまったく! わからんなら、手紙のやりとりを想像せよ>

「手紙・・・?」

 ぶわっさ。

 ガンメタ鬼神台が、足元の石ころを、しっぽで器用に拾い上げる。

 ぽーい。

 鬼神にトスしてくる。

 鬼神、パッと掴む。

「・・・ははあ。わかったぞ」

 鬼神、石を投げ返した。ガンメタ鬼神台、しっぽでキャッチ。

「相手が投げた言葉がこちらに届くまで、待てというわけだな?」

 ぶわっさ!

<・・・・・・・・・そうじゃ。まあそういう感じじゃ。正確にはちょっとちがうんじゃが。

 ま、もうええわ。長々としゃべったら、どうせまた割り込むじゃろ? ほじゃk>

「そら、訊かれたら答え──おっとすまん。続けてくれ」

<k、私がしゃべ──だから割り込ッ──はい。はい。ですからしゃべるというより、手紙の感覚でやりましょう。

 あと、オクトラは全然飛べんけぇ、放り投げたりはせんとって(しないで)。妙雅からは以上じゃ>

「こっちも、いまは以上じゃ」

 鬼神、通信を終えて、月の女神を見る。

 月の女神は、銀色の垂れ幕の前で立ち止まっておった。

 洞窟をふさぐ、大きな銀色の垂れ幕である。織物の表面に絹布をかぶせたような多重構造で、美しく深い光沢を放っておる。

 大きさも立派なもので、鬼神でも頭を屈めずに通れそうなほどである。

「歓迎するえ。鬼どもの神よ」

 月の女神は垂れ幕を開いた。

「ようこそ。月の海へ」


 垂れ幕の向こうには、青い海が広がっておった。

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