蟲籠

九傷

蟲籠



 午後22時40分。

 男は疲れた体を引きずるようにして、特別快速に乗り込む。

 少々駆け込み乗車気味だったが、この電車に乗らないと地元へ向かう最終電車への乗り換えが間に合わない為、致し方なかった。

 遅い時間の特別快速ということもあり、車内はギュウギュウ詰めだ。

 それを押し込むように入ったので、何人かの乗客からは迷惑そうな視線が送られてくる。

 男はそれに申し訳ないと思いつつも、間に合ったことにホッと胸を撫でおろす。



(なんとか間に合ったから良かったが……、あのクソジジイめ……)



 男の地元はかなり地方であり終電も早い為、あまり長時間は残業ができないことを伝えてあり、了承も得ていた。

 にも関わらず、この日は長時間の残業を強いられることになってしまったのである。



(大して重要な案件でもないのに、なんだって今日に限って……。そもそも納期だってまだまだ先じゃないか……)



 つい先程までは疲れきっていて何も考えられなかったのに、ホッとした途端怒りが沸々とこみ上げてくる。

 怒りの対象は、男の上司である西城という名の50代後半の男であった。


 西城は、誰からも嫌われる典型的なダメ上司である。

 この日も虫の居所が悪かったのか、八つ当たりのように部下に当たり散らしていた。

 散々当たり散らした西城は、最後に男を標的にする。

 急ぎでもない仕事の押し付け……

 男は流石に反発したのだが、それが余計に西城の機嫌を損ねることとなり、今に至ったのであった。



(それでいて会社に泊まらせてくれって言ったら、それは駄目だとか言うんだから、どうしろってんだよ……)



 深夜帯の残業や泊まり込みには申請が必要となる。

 理由も明確でなければならない為、西城は恐らくそれを嫌ったのだと思われる

 正当な理由じゃないと判断されれば、自分の評価に響くからだ。



(あーーーーー! イライラする!)



 男は思わず頭を掻きむしりそうになったが、ここが電車内だということを思い出し、なんとか踏みとどまる。

 しかし、感情が表に出てしまっていたようで、周囲には不審に思われてしまったようだ。



(チクショウ、俺をそんな目で見るんじゃねぇ……。俺だって、好きでイライラしてるワケじゃねぇんだぞ……)



 男は内心でそんなことを考えつつ、気を紛らわせる為にスマホを取り出す。

 時刻は22時50分。乗り換えまではまだ1時間以上もある。



『間もなく、〇×です。お降りの方は、お忘れ物の無いようご注意ください』



 社内放送から間もなく駅に到着するとアナウンスが流れる。

 この駅は結構大きい駅なので、乗客もかなり多い。

 狭い車内がさらに狭くなることを覚悟し、つり革を強く握り込む。



(……ん?)



 そんな男とは対照的に、目の前の座席に座る女性が身支度を整え始める。



(降りるのか!? それは凄く助かるぞ!)



 心身共に疲れ果てていた男は、座れるものなら座って帰りたいと思っていた。

 終電に間に合いさえすれば、ゆっくり快速で帰ってもいいとすら考えていたくらいである。



(ラッキーだ。今日一番のラッキーかもしれない)



 神様は最後の最後でご褒美をくれた。

 そんな小さなことで男は神に感謝しつつ、空いた座席に座り込む。

 少し窮屈ではあるが、贅沢なことは言っていられない。



(はぁ……、座れるって、最高……だ……)



 座席に座れたことで安心したのか、男の意識が急速に沈んでいく。



(っと、いかんいかん。今寝てしまうと、乗り換えが……。ああ、でも、駄目だ、眠い……)



 乗り換えまではまだ50分以上もあるのだ。

 少しくらい寝てしまっても問題はないだろう、と思考が都合の良い方向へと向かっていく。

 少し逡巡したものの、男は結局、あっさりと意識を手放したのであった。




















「……ん?」



 気づくと、男は見知らぬ駅にいた。



(ここは……、どこだ……?)



 見覚えのない景色……

 ここは乗り換えに使う駅でもなければ、地元の駅でもなかった。

 男は柱に近付き、駅名を確認する。



(××駅……。そうか、俺は乗り換えせず、そのまま最終駅まで着ちゃったんだな……)



 自分が寝たまま降車駅を乗り過ごしてしまったことに気づき、落胆でため息が漏れる。



(折り返しの電車は、流石にもう無いよな……)



 仮にあったとしても、終電間際だったことを考えると、地元に帰ることはできなかっただろう。



(タクシーで帰るか……? いや、ここからじゃいくらかかるかわからない。流石にタクシーで1万以上も払いたくないぞ……)



 この駅から地元までどのくらいの距離があるかはわからないが、少なくとも車で1時間以上はかかると思われる。

 つまり、歩いて帰れる距離でもないということだ。



(こうなってくると始発を待つしかないが……、この感じじゃ泊まれる施設はまず無いだろう)



 つい先程までいた都心とは比べようもない程の寂れた雰囲気。

 とても同じ地方公共団体とは思えない景色である。

 自分の地元も相当な田舎だが、ここと比べると流石にもう少しは建物も街灯も多い。

 この様子だと、ネットカフェなんかは絶対にないだろう。

 ファミレスやホテルもないだろうし、下手をすればコンビニもないかもしれない。

 仮にあっても開いていない可能性だってある。田舎のコンビニは24時間営業ではなく、深夜で閉まることも多いのだ。



(仕方ない、ここで夜を明かすか……)



 幸いなことに、最近の駅には扉付きの待合室が用意されていることが多い。

 この駅も田舎ではあるがそれなりに大きな駅であるため、しっかりとした待合室が用意されていた。

 どうやら駅自体も24時間開放されているようであり、利用するのも問題なさそうである。

 椅子は硬いが空調もあるし、虫にたかられるのもある程度は避けられるので、外で夜を明かすよりは遥かにマシと言えた。



(しかし、田舎の駅だけあって、妙にレトロな雰囲気だな)



 駅の壁は、昭和な雰囲気の絵や文字で彩られていた。

 恐らく、日中に見ればこの独特な雰囲気を楽しむことができたかもしれない。

 しかし、こうも暗く静かだと、何故かやたらと不気味に見えてくる。



 ゾクリ



 男は背にヒンヤリとした悪寒を感じたが、努めて何も考えないようにして待合室の扉をしっかりと閉め、椅子に横になった。



「…………」



 硬く目を瞑り、さっさと眠ってしまおうとするも、中々寝付けない。

 中途半端にしか寝れていないから、まだまだ眠気はあるのだが、妙に意識がはっきりとしてしまっている。



 ガタガタ



 風が当たって揺れる窓の音が耳につく。

 男は普段から物音などはほとんど気にせず眠れるタイプだったが、今日は何故だか気になって仕方がなかった。



 ガタガタ、ガタガタ



 今夜は風が強いようで、窓は絶え間なくガタガタと音を鳴らす。

 それだけじゃない。今度は生暖かい風が頬をかすめる。



(クソ、隙間風か……?)



 折角空調が効いているというのに、隙間風が入るようでは気になって眠れない。

 男は体を起こし、隙間風の発生源を探す。



(窓は……、違うみたいだな)



 窓はガタガタと揺れるものの、意外としっかりとした作りで隙間風などは入ってこないようであった。



 ふわ……



 再び生暖かい風を感じ、男が振り向く。

 その方向にあるのは、この待合所の出入り口だけだ。



(……っ!? 扉が、少し開いてる……?)



 男は先程、確かにあの引き戸をしっかりと閉めたハズである。

 なのに何故、こぶし一つ分ほどの隙間、ドアが開いているのか。



(風で開いたのか?)



 そんなことはあり得ない……と思いつつも、僅かな振動で徐々に開いた可能性はある。

 男は、扉が再び開いたりしないよう、引き戸の間に紙を詰めてしまう。



(これでもう開いたりしないだろ……)



 隙間に挟んだ紙は大した厚さではない。

 振動程度で開くことはないだろうが、人の手であれば容易に開けることができる。

 もし仮に誰かがこの待合室を利用しようとしても、問題にはならないだろう。


 男は再び座席で横になり、今度こそ何も考えないよう意識を集中する。



 ガタガタ ガタガタ



 相変わらず窓は煩いが、努めてそれを意識しないようにする。

 その努力が実ったのか、段々と意識がふわふわとしてきて、寝入りの予兆が見えてきた。

 程なくして、男は意識を――



(っ!?)



 意識を手放しかけた瞬間、男の背筋にぞわりとした悪寒が走る。

 その原因は、男の足を這う、何か・・であった。


 視線を足に向けると、足の甲の辺りを黒々とした20センチ程の細長い虫のようなモノが這っていた。



「ひぃっ!?」



 思わず足を振り上げると、這っていた虫のようなモノは窓に叩きつけられてポトリと床に落ちた。

 男はすぐさまそれをドアの方へ蹴っ飛ばし、引き戸を開く。

 一瞬踏みつぶそうかとも思ったが、そうすると後々気持ち悪くなりそうなので、そのまま外に蹴り出すことにした。



「クソ!」



 再び引き戸を閉め、紙で開かないように固定する。

 そして深呼吸をし、アレは一体なんだったのかと考えを巡らせた。



(……昔キャンプで見た、アレに似ているな)



 男が学生時代、友人達とキャンプに行った際、とんでもなく大きなヒルを見たことがある。

 そのヒルはもう少し黄色がかっていたが、カタチはソレにそっくりであった。



(俺の血を吸おうとしてたのか……? いや、あのヒルは確か血を吸う習性は無かったハズ)



 珍しいモノを見たので後々調べてみたのだが、そのヒルには血を吸う習性が無いと書かれていた。

 であれば違う種類のヒル? ……見た目も異なるし、その可能性は十分にあった。



(なんにしても、ヒルは排除したのだし、もう大丈夫だろ……)



 恐らくあのヒルのような虫は、先程開いたドアの隙間から入ってきたのだろう。

 あれだけの大きさであれば、ドアさえ閉まっていればもう入ってくることもないハズだ。


 男は再び座席に戻り、横になる。

 しかし、最早眠気は完全に失せ、全く眠れる気がしなかった。



(明日も仕事なんだ……。少しでも体を休めておかないと……)



 こんな所で寝ている時点で満足な休息が取れるとは思わないが、少しでもいいから体は休めたい。

 例え寝れなくとも、目を瞑って体を休める努力だけはするつもりであった。































 ガガッ









(っ!?)



 男が目を瞑って仕事のことを考えていると、出入り口の方から引きずるような音が聞こえてくる。

 恐る恐る視線を向けると、引き戸が大きく開かれていた。


 男は混乱する。

 今度のは間違いなく、風の仕業などではなかったからだ。

 たかだか風の振動程度で、あれ程まで大きく引き戸が開かれることはない。

 しかも、引き戸の隙間には紙が挟んであるのだ。

 自然に開いたとはとても思えない。



 じゃあ、どうして?


 人が来て開けた?


 なら、その人はどこに?



 そんな言葉が頭の中を巡っていくが、答えは出ない。

 その代わりに、再び背筋にぞわりとした悪寒が走る。



 足の上を、またあのヒルのような虫が這っていた。



 それも今度は、何匹も……



「ひ、ひぃぃぃぃぃ!?」



 慌てて手で振り払うも、ヒルは数が多く一度では払いきれない。

 ヒルは凄い勢いで足を這いあがり、上半身へと向かってくる。



「ひぃぃぃ! やめろ! 来るな!」



 嫌悪感と恐怖から、男自身信じられない程の甲高い声が漏れる。

 動揺で手がガタガタ震え、ヒルを振り払う精度も落ちていく。

 その間に、ヒルはどんどん、どんどんと体を這いあがってくる。

 振り払ったヒルも再び体に取りつき、気づけば男の体は全身ヒルまみれになっていた。



「ひぐっ! はべ……」



 叫び声を発しようにも、口にまでヒルが入り込み、最早声すら出せない。

 そんな状態の男の視界に、黒い影が映り込む。

 その影は子供くらいの大きさで、全身滑りを帯びており、蛍光灯の光を反射して不気味な光沢を放っていた。


 『子供』は男の顔を覗き込むように顔を近づける。


 男は息をすることすらままならず、ただ目を見開いて『子供』の顔を見ることしかできなかった。

 そして次の瞬間、『子供』の顔がぱっくりと割れ、おびただしい量のヒルがボトボトと顔に落ちてくる。



(ま、まさか、コイツ・・・がこのヒル達の、宿主……)



 徐々に埋め尽くされていく視界の先で、おぞましくうごめくヒルの集合体。

 男にはソレがまるで、人の顔のように笑みを作ったように見えた。



「ん、んぶっ! ぃぃぃぃぃぃ!」



 なんとか声を絞り出そうとするが、漏れ出るのは水気を帯びた呼気のみ。

 そしてついにはそれすらも聞こえなくなり――































 ――――早朝。



 駅員が待合所の見回りに来ると、そこにはスーツやYシャツといった衣服と靴、そして鞄だけが残されていた。

 駅員は暫しそれを見て考えてから、無表情に呟く。





「ああ、昨日はご馳走だったんだな」



 と……





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蟲籠 九傷 @Konokizu2

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