第36話「意地と嘲笑」

睨み合う2人。

 神龍枢機卿第二席次と名乗る男。

 グレイス聖王国騎士団長。

 両者の睨み合いは、街中を逃げ惑う人々の声が静かになるまで続いた。


「…いつまで私を睨んでいるんだい?私の顔に何かついていたのか?」

「ふっ、笑わせるな。邪悪という抽象概念が貴様の顔に張り付いておるわ」

「あっははは、言ってくれるね。確か、騎士団長の……」

「――セオドア・ブランケットだ。貴様に名乗る道理は持ち合わせていないが、我とて騎士団の端くれ。貴様如きに名乗ることは許されよう」

「下らない信念だこと」


 神龍枢機卿と名乗る男は肩を竦める。

 まるで呆れている様子を見せた。

 この話には全く意味がない、空虚な時間である事を彼は知っているからだ。


「貴様の名は…アマデウス・モードレッドと言ったか。訊いた事がある。たった1人で国一つを滅ぼしたとか」

「おっと、光栄だな。私の事を知っているとは。なら、話は早い」


 アマデウスは適当に会話を切り上げる。

 これ以上の会話は望まない、と言った様子だ。

 そして掌を胸の前に差し出す。


「何をするつもりだ?」

「………」


 返事は無い。

 返事をする事さえアマデウスは止めたのだ。

 静かに差し出した掌を握り締める。

 すると止まっていた風が吹き始めた。

 この時、セオドアは今まで風が止んでいた事に初めて気付く。

 

 セオドアの脳裏に一つの可能性が浮かび上がった。

 それはセオドアに一抹の危機感を予知させる。

 全ての感覚を研ぎ澄まし、次の展開を予測する。

 しかし――


「がはっ!!!なんだとっ!!」


 荒ぶる風。

 それは四方に音を奏でながらセオドアの体を鋭利な刃物のように切り裂いた。

 全身鎧フル・プレートの隙間からは赤い鮮血が滴り、セオドアは瞠目する。


「…一体何をしたんだ」

「ただの魔法だ」


 立つ事に意識を削がれながらもセオドアは騎士剣をアマデウスに構える。

 その手はがっしりと剣を握り、血管が浮き出ている。

 緊張と絶望。

 この感情がセオドアの胸中を支配していた。


 しかし、引く事は許されない。

 視界は前を向け、足は前に重点をかける。

 それは自分に退く姿勢がない事を表していた。


 だが、誰が許さないのか。

 それは自分の信念だ。

 騎士団の団長に昇り詰め、王国の民を守る責務を背負っているのだ。

 その者が敵前で背中を向けて逃げる事など許される筈がない。

 約束を交わした先代騎士団長、シリウス・オリヴァーに顔向けが出来なくなる。

 そう自分の胸を叩き、気合を入れる。


「…どうした、はぁ、もう来ないのか。ならばこっちから行くぞ」

「おじさん、そんな言葉を吐ける状態じゃないよな。地面を見てみなよ。鮮血が花を咲かしてるよ?」


 その言葉に耳を貸さずセオドアは足に力を込める。

 一気に重心を傾けて、アマデウスの一寸先にまで踏み込んだ。

 そして、騎士剣をアマデウスの首斜めから切り掛かる。

 無駄のない動き。

 それは洗練された、研ぎ澄まされた一撃だ。

 これまでの経験、努力、知恵が反映された会心の一太刀だった。


「おっと、まだこんなに動けるのは関心だ。けれど…遅いな」

 

 セオドアの想いを宿した一撃に反動は返ってこなかった。

 当たれば少なくとも鈍い感触が返ってくる。

 さらに返り血や音もだ。

 しかし、それらは発生しなかった。

 返ってきたのは風を切る音。

 

 目の前にアマデウスの姿は無かったのだ。

 虚空を切り裂いた事に気づく。

 その判断に寸分で遅れたセオドアは次の瞬間、左肩から先が失っていた。


「ぐっ!!……くっ…はぁ、はぁ。残像だったか」

「あーあ、血だらけじゃないか。もう逃げた方がいい。私は寛大だからそれくらいは許す」

「…貴様に許しを請う必要などない。この体は王国の一部だ。腕の1本が切り落とされるなど大した事ない」

「頑固だね。その性格は損するよ」


 立つ事さえ万力を要求される状態だ。

 呼吸を荒ぶらせながらも剣を地面に突き刺し、体制を維持する。

 アマデウスの言葉は軽く聞き流した。

 いや、聞き流すしかないのだ。

 今や冷静に一言一句言葉を理解する余裕は残されていない。


 セオドアは悟っている。

 圧倒的な力量差を。

 一撃どころか立つ事さえ困難に陥る状況。

 それもまだ数分しか経っていない。

 セオドアは情け無い自分を嘲笑する。

 

「もう終わらせよう。私が介錯して、苦しみから解放してあげるさ」

「余計なお世話だ。自分の最期は自分で決める。他人に命を奪われる事を決めるなど愚かな事はしない」


 セオドアは血混じりに悪態をつく。

 単なる逆張りではない。

 それは意識をこちらに向ける為だ。


 セオドアは王宮の方を一瞥する。

 アマデウスに気づかれないように、だ。

 続いて腕の止血をする。

 服の袖を破り、腕に縛り付けて応急処置を施した。


「弱者を痛ぶるのは趣味じゃない。次で終わらせるさ」

「何度も言わせるな。生殺与奪の権利を貴様にくれた覚えはない」


 アマデウスは溜息をつき、次の動作に入る。

 片腕を横に広げ、手を仰いだ。

 すると、風の塊が重い音を立てて近づく。

 それは地面に削り、風とは思えない重厚さを孕んでいた。


 ――この瞬間、セオドアは覚悟した。

 衰弱した肉体にあの一撃を耐える力は残されていない。

 出来るのは剣を構える事だけだ。

 それが彼の出来る精一杯だった。

 王国騎士団長。

 それは短く儚いものだった。

 圧倒的な力の前にそれはただの肩書きにしかならない。


 目の前に迫る風の塊。

 目には見えないがハッキリとわかる。

 その重い風は人間の体を軽く引き裂くだろう。

 風に重さは無い?

 いや、あるのだ。

 人間なんて風の重力を浴びれば簡単に吹き飛ぶ。

 

 たが、その風の塊は王宮から伸びる光の一閃によって弾けた。

 風は四散。

 広場を囲んでいた建物は吹き飛んだ。

 その衝撃波にセオドアも吹き飛ばされる。


「やっぱり、何か企んでいたな。時間稼ぎもその為か」

「………」


 アマデウスはその衝撃に微動だにしない。

 一方で瓦礫に身を包んだセオドアに声を発する余裕はなかった。

 返事を返さず、酸素を吸って吐く動作をただ機械的にするだけだ。


 アマデウスはその様子を瞳に映す。

 瀕死のセオドアに興味を失い、王宮の方へと視線を流した。

 目を細め、その姿を確認する。

 

「何だあの爺さん。冗談は嫌いだ」


 アマデウスの瞳の先にいた人物。

 それは白い髭を蓄えた神父の装束に身を包んだ老体。

 その者が先刻の魔法を放った本人だと断定する。

 だが、アマデウスの記憶にその姿が浮かび上がる。


「あれは、たしか……ふん、面白い。聖教会の大司教か」


 アマデウスは口角を上げて笑みを見せる。

 老体相手に気分は乗らないが、その実力を脳裏に反芻した。


 魔法に年齢による影響はさほど大きくない。

 必要なのは知識と経験だ。

 一方で肉体を駆使する剣士や闘士にとって肉体の衰えは深刻だ。

 それは常に優れた反射神経、筋力、技量を求められるからだ。


 しかし、魔法は違う。

 老化による肉体の衰え。

 それは大きなマイナス要素にはなり得ない。

 むしろ、蓄積した長年の豊富な知識は魔法の強化に繋がるのだ。

 

「…さて、どう出てくるか」


 アマデウスは王宮に佇む大司教を見据える。

 大司教もまた、アマデウスを見据えた。

 両者の間に物理的な距離はある。

 しかし、それは両者にとって短過ぎる。

 両者の卓越した魔術使いにこの距離は無いようなものだ。

 

 上空には蛇のようにとぐろを巻く風が控えている。

 それはいつでも王都を破壊できる時限爆弾のように炸裂する時を待っていた。


「戯れに付き合ってもらおう…人間供」


 アマデウスは静かに呟き、大司教に向けて複数の魔法陣を展開した。

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