第34話「暗影」
王宮から解放された。
アルタイルはアマリアとレイラと共に街へ赴く。
3人の足取りは人の多い通りを沿っていた。
しかし、そこからはそれぞれの目的を遂行する為に一時的に別行動となる。
「取り敢えず、ここからは別行動だな。それぞれの目的があるだろ?」
「そうですね。私はフロンターレ地区に用がありますので、一旦ここで別れます」
アマリアはアルタイルとレイラそれぞれに目配せをしながら答えた。一種の別れを少し惜しむ、そんな瞳だ。
聞きなれない地区にアルタイルは首を傾げる。
するとアマリアが大体の方角に指を指した。
その方向はアルタイルの目的地と反対方向だ。
「そうか、じゃあまた後でな。誘拐されるなよ、いてっ」
「されませんよ」
アマリアは頬を膨らませてアルタイルの足を蹴った。
そんな軽いやり取りを交わすとアマリアは背中を向けて反対方向へ歩き出した。
そのローブを纏った背中は次第に小さくなっていく。
やがて人波に飲まれていった。
残された2人は顔を向きあう。
「レイラはどこに向かうんだ?俺と同じ方角なのか?」
「あっははは……私は取り敢えず腹ごしらえに行こうと思う。だから、市場の方へ向かうな」
アルタイルはレイラに疑問を投げ掛けた。
レイラは、鳴り止まないお腹に手を当てながら、苦笑いを浮かべて応える。
「はははは!何だそりゃ」
「別良いじゃないか!食べる事は生きる事なんだよ!逆もまた然りさ!」
彼女の腹は空腹を訴えていた。
そのレイラらしい思考にアルタイルは笑いで返した。
市場までとなると、しばらくは方角が同じである。
レイラと2人きり。
そのまま賑やかな通りを進む事になった。
そこでふと疑問が浮かぶ。
アルタイルはレイラと2人きりで話した事がない。
それどころか会ってまだ日も浅い。
アルタイルは仲を一層深めるいい機会だと考え、一つの話題を挙げた。
「レイラはなんでそんな大剣を持ち歩いてるんだ?邪魔に思った事はないのか?」
「ん………これは父から貰った形見なんだ」
「形見……?」
軽い質問のつもりだった。
レイラは一瞬の沈黙の後、この剣の存在について応える。
だが、先程とは違う。
レイラの表情には影が差している事にアルタイルは気づいた。
その明暗の差は違和感を抱かせるのに十分だった。
地面に落ちるレイラの視線。
前しか見据えないほど真っ直ぐな彼女の視線が、だ。
それは普段のレイラとは異なる面だった。
その様子は決してこの話題が明るい方向へは向かわない事を意味している。
アルタイルはその原因を探る。
恐らく彼女の口ぶりからして剣を授けた父はもういないのだろう。
他界したか、離れ離れになったか……。
きっと辛い記憶を吸い込んだ剣だと容易に考えられる。
――何か悪い事を言ってしまった。
アルタイルは軽い気持ちで言葉を発した事を後悔した。
父の形見を邪魔に思う筈がないのだ。
デリカシーの無い発言をした自分を叱責する。
もっと何か別の話題ならば、言葉を選べば……
重たい空気にならなかったのではないか?
そんな事が脳内でグルグルと逡巡した。
「すまん。何か悪い事を聞いてしまったみたいだ」
「………ん?あぁ、考え込んでいただけだよ。気にしなくていいさ」
アルタイルは思わず謝罪の言葉を口にする。
だが、その言葉がレイラの意識の中に到達するのに僅かな差があった。
何かを考えていた事は間違えないようだが、それを図太く追求する神経は持ち合わせていない。
と、背中に衝撃が走った。
「なーに沈んだ表情見せてるんだよ!アルタイル!こんな華やかな街でそんな顔をしてたら湿っぽくてありゃしない!」
「いってぇぇ!」
いきなり、レイラはアルタイルの背中を豪快に叩いたのだ。
心臓は跳ねるくらいに驚く。
だが、同時に安堵も齎された。
その応対は普段通りのレイラに戻った事を気付かせる。
どの口が言ってるんだよ、とツッコミたくなるアルタイルだったがここはグッと堪えた。
「いっててて……。ったく、手加減くらいしてくれよ。背中に穴が開くぞ!」
「そんなので怪我するのは、ひ弱な体のあんたが悪い!あっははは!」
悪態をついたが、軽くいなされる。
それにしてもレイラの一撃は強烈だ。
アルタイルの皮膚はヒリヒリとした状態がしばらく続くことになった。
その華奢な腕のどこからそんな力が湧いてくるのか。
背中に手を当てて悶絶するアルタイル。
それを横目に、レイラは元気よく笑い声を響かせた。
明るく振る舞うその元気に釣られてアルタイルも調子を戻していく。
◆
「あ、ここじゃないのか?」
「そうそう、ここだ!すごい良い匂いだ!」
気づくと2人は市場に到着。
レイラの興奮は抑え切れずに、市場に飛び込んだ。
「――おい!待てよ!」
レイラは一瞬で人混みの中に消える。
この市場はサンロト市場と言い、王都の繁華街だ。
他国からの交易品、領地からの食材が集結する経済の活性地でもある。
行き交う人々は、貨幣を用いて生活に必要な物を調達していく。
皆の表情は明るい。
何を食べようか、何を作ろうか。
そんな感情が市場を彩っていた。
食べ物を欲するという事は生きている事の証明だ。
その中でも美味しい物を食べるというのは至福の時でもあり、娯楽でもある。
肉、野菜、果物。
その期待に応える様に市場では領地で採れた新鮮な食材が、良い匂いを辺りに充満させていた。
それは風に乗ってアルタイル達を包み込む。
同時にレイラの食欲を刺激する匂いでもある。
「ハァハァ……やっと見つけた」
「あれ?遅かったな。探したぞ」
「お前が先々進むからだろ!ちなみに探したのは俺!」
アルタイルは額に汗を流しながら、レイラの腕を掴んだ。
そんな事も意に介さず、陳列された食料にレイラは目を輝かせながら、一品ずつ目を通していく。
その輝きはプレゼントを与えられる子供の様だ。
だが、レイラは目に入った物を次々と購入。
無造作に選んでいるようにも見えた。
手には茶色い紙袋で溢れ、歩くのすら影響を与え始める。
時より、レイラの肩を支えて歩行を安定させたりした。
見かねたアルタイルはレイラの大人買いに横槍を刺す事にする。
「おいおい、買い過ぎじゃないか?そもそもその細い体のどこにその量が入るんだよ」
「胸じゃ無い?」
その返答にアルタイルは肩をすかした。
一瞬の間もない即答に苦笑いを返すしかない。
だが、確かにレイラの胸は豊かでスタイルは抜群だ。
恐らく、大剣を振り回して戦闘に身を置く事が多い彼女は必然的に理想的な体に到達していたのだろう。
アマリアにもレイラを見習ってしっかりと食べて欲しい。
と、心の中で願った。
今頃くしゃみをしているかもしれない。
そんな事を耽るうちに善意の心が差したのか、レイラの荷物持ちを手伝おうと手を差し伸べる。
その時だった。
「……そんな事より、アルタイルは良いのか?私の買い物なんかに付き合ってて」
「……あ、そうだった!」
アルタイルは指摘されて自分の目的を思い出した。
このままいけばレイラの買い物に付き合うだけになる所だった事を脳裏に浮かべ、戦慄する。
「危ない危ない。じゃあなレイラ、食い過ぎるなよ?」
「わかってる。……あ、おじさんこれも頂戴」
注意した矢先にレイラは目の前の果物を店員から購入した。
アルタイルはレイラが全く聞く耳を持っていない事を悟る。
……呆気に取られながらも、ため息をついてサントロ市場から離れた。
◆
空は分厚い雲が次第に青い空を包み始めていた。
それは何かを告げる様な……不吉な予感がアルタイルの胸中を掻き乱す。
不安を煽るその空から視線を下ろすと足を早めた。
「国立魔法学院はこの方角で合ってるよな……」
荒い呼吸で呟いた。
アルタイルの目指していた場所は「国立魔法学院」。
それは幼馴染であるルーナ・ルーカスが通っている学院だ。
アルタイルの目的はルーナとの再会だった。
彼女と離れて10年の年月が過ぎるのだ。
今の姿は10年前の記憶と全く異なっているかもしれない。
すぐに見つけられる自信がアルタイルには無かった。
……それでも足は止めない。
焦燥の感情がその歩みを緩ませなかったのだ。
次第に何か黒い影が迫って来ているのをアルタイルは肌で感じていた。
それは時を刻む事に大きくなる。
何か邪悪な何かが。
黒雲一色となった雲からは度々閃光がチラついていた。
通りを足速に進んでいると、
「こりゃ
「やだ、洗濯物出したままだわ」
と、人々が足速に散っていく。
やがて、通りを歩く人々は
閑散となった通りには乾いた風のみが通り過ぎて行く。
人が少なくなった事で進みやすくなった通りをグングン進む。
やがて広い敷地を有する建物が視界に入った。
周囲は密集する建物が囲んでいるが、鉄格子で囲まれた敷地内は広々と涼しげだ。
敷地内には窓の多いゴシック調の校舎から構成された建物が構えており、同年代の少年少女が門を行き交いしている。
黒基調で統一されたローブを纏ったその姿は、記憶と重なるものがあった。
まるで制服で通う学校だ。
前の世界の学校生活が脳裏にちらつく。
そこでアルタイルは確信を掴んだ。
国立魔法学院に到着。
安堵の息を漏らすと、視線を周囲に泳がせる。
……ルーナに会う方法を模索する必要があったからだ。
着いてから以降の事は考えていなかった。
取り敢えず、学院に到着すれば良い。
そんな、軽薄な行動を反省しつつ鐘が鳴った。
それは国立魔法学院の中央に設けられた塔かららしい。
カランカランとなる音色は街の中を木霊して行く。
だが、その鐘の音は長く響かなかった。
……猛々しい咆哮に打ち消されたからだ。
――龍の咆哮。
それはアルタイル達と共に来た紫の龍が鎮座している方角からだ。
「どうしたんだ……!?」
意識はその咆哮に持っていかれる。
アルタイルは思わずその方角へ振り返った。
それは他の学院生も同様だ。
「なんだアレは?――」
「鳥なんじゃないのか?――」
「人だろ?――」
一同は一つの方向に目が釘付けになり、口々に言葉を漏らす。
その先に皆の疑問の矛先が向けられていた。
咆哮のした方角のさらに奥には城壁が見えている。
王都全体を取り囲む塀だ。
全高は50メートルにも達する程高く、その存在は圧倒的。
それは街の一つの景色となっていた。
どこにいても必ず視界に入るからだ。
だが、その城壁のさらに上空に1つの人影。
初めは鳥かと思ったが違う。
純白のロングコートで身を包んだ男が、重力に反して滞空している。
明らかに異なるオーラを放ったその影は、王都を見下ろす様に佇んでいた。
それを視界に捉えたアルタイルの背中は冷たい血が流れていくのを感じる。
心臓が鼓動するたびに冷たい血が体を巡り、体を硬直させていくのだ。
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