第9話「動き出す影」

ルーナが国立魔法学院のあるグレイス聖王国王都に出発してから、さらに長い月日が過ぎた。


 アルタイルは一つの強い思いを胸に毎日欠かさず剣術、雷属性魔法の練習に励んでいた。


 それは、久々にルーナと再会を果たした時、さらに成長しているであろう彼女に醜態を見せない為だ。


 魔獣の目前で転倒した事は今でもトラウマになっている。


「あの日からもうどれくらい経ったんだ?王都での暮らしってどんなんだろうか。こことは違って毎日贅沢なものでも食べてるのか?」


「あなたじゃあるまいし、しっかりと考えて生活してるわよ。ルーナちゃんは。あと、私の作る食事が貧相みたいな言い方しないでちょうだい」


「ははっ。そうかな」


 母セレナと食卓で談笑していた。

 そして玄関から父シリウスが帰ってくる音が聞こえる。


「ただいま。今帰った。みんな無事か?」


 帰って来て早々、シリウスはおかしな事を聞いてくる。

 一瞬、自分の耳に懐疑の念を抱く。


 しかし、口を開いたセレナの言葉を聞く限り聞き間違いでは無いようだ。


「あら、遅かったわね。みんな無事かってどういうこと?」


「大丈夫そうだな。いや、最近、魔獣の動きがやたらと活発でな。つい昨日も隣の村で沢山の奴が魔獣に襲われたらしい。だから、一応の確認だな」


「物騒ね。あなたも周辺地域の巡回とかしてるけど、大丈夫なの?」


「ははは、俺を誰だと思ってるんだ。グレイス聖王国の元騎士団長だぞ」


 その発言にセレナと共に「確かに」と首を縦に振る。


「だが…。やっぱり油断は出来ないな。聖王国にいる知り合いから聞いた話だと最近、聖王国の近くで「神龍教会」の一員らしき奴を目撃したって話だ。」


「『神龍教会』…。それはまた縁起の悪い話ね…。本当なの?」


「いやいや、俺もまだ噂を聞いただけだ。だが用心する事に越した事はないだろ?」


 母セレナと父シリウスは、話を進めるが『神龍教会』と言うものを初めて耳に挟んだ。


 この世界に来て初めて聞いた単語だ。


「―――その『神龍教会』ってなんだ?」


「あぁ。アルタイルは知る機会が無かったか。いい機会だから、教えておこう。『神龍教会』ってのは500年前の大戦の後にいきなり出現した謎の多い教会勢力だ」


「へー…。それがなんで腫れ物を触るみたいな扱いをされるんだ?」


「…ああ。その「『神龍教会』には、『龍の使徒』って呼ばれる奴らが複数いて、そいつらが規格外の強さらしいんだ。そんな奴らが大陸のあちこちで大規模な問題を起こしていたり、信徒は世界中で虐殺を繰り返しているからだ」


「『神龍教会』…。怖いね。俺も気に留めておくよ」


「あぁ。頼む。何かあったら、母さんを守るんだぞ」


「もちろん。わかってる」


「ふふ。頼もしいわ。さ、それよりご飯が冷めちゃうわよ。早く食べましょう」


 セレナは2人の頼もしい会話に声を挟む。

 そうして、オリヴァー家では、時が流れていた。



 ロンド村の東にはサミュエル山脈が連なっている。

 その山脈のとある一角には大きく突き出した崖がある。

 

 その崖先ではアルタイルの暮らすロンド村や周辺の村を含む、グレイス聖王国の領地を眼下に一望する事が出来る。


 その果てなく広がる大地には、月光が大地を照らす。

 その下に各村の光が点々としていた。


 そこに1人の人影が立っている。


 白いロングコートの様なものを着て整った服装。

 特に派手な装飾は無い。

 紅い瞳で髪の毛は白い。

 年齢は20代前半といった様子の男だ。


「綺麗な景色だ。素晴らしい。あぁ。素晴らしい。…だが。人間どもの作り出す光が邪魔だな。……この神聖な大地は下等な人間が好き勝手していい場所か?」


「いいえ…アマデウス様。この大陸…全ての大地は…偉大なる神龍様が…創り出した…崇高なる…地であります。人間の…好き勝手しては…良い場所では…無いかと」


 側に支えていた者は頭を垂らしていた。

 そして土で膝を汚しながら答える。


 その声に艶は無く、感情を孕んでいない。


「あぁ。その通りだ。だからこそ、選ばれた私が、神龍に代わってこの全ての大地の主になるべきとは思わないか?」


「――――。」


「もういい、不愉快だ。消えろ」


 そう言葉を吐き捨てると赤い瞳は怒気を孕み、虚空を手で横に振り払う。


 白髪の男は見えない衝撃波を放ったのだ。

 それを浴びた従者らしき者は月下に鮮血の華を咲かせた。

 

 その場で力無く倒れる。


「――ところで君。グレイス聖王国の様子は?」


「はっ…魔獣で…村を襲わせる事により…聖王国王都へ…追い立てている…ところで…あります。そのため…多くの…避難民が…聖王国王都へ…駆け込んでいる…ところです」


もう1人の従者らしき者が答えた。


「ならいい。下がれ」


「――はっ」


 顔には黒い包帯を巻き、漆黒の衣装を纏った従者らしき者は闇と同化し姿を消す。


 白髪の男は海の様に広い湖を瞳に映して呟く。


「『アルカンの湖』…。愚かな魔女の墓場だね。懐かしい。さて、そろそろ僕も聖王国へ向かうか」


 白髪の男は月光に照らされる大地に背を向ける。

 静かに暗い森の中に歩み出し、姿を消した。



 晩飯を済まして、一つの考えを口にする。

 シリウスは夜の巡回に出る為、外出する支度を済ませていた。


「父さん、今日は俺も村周辺の巡回を手伝うよ」


「お。それは嬉しいな。ならサミュエル山脈の麓の方面を巡回してくれないか。だが監視だけだ。決して近づくなよ」


「わかってる。じゃあ出よう。母さん、行ってきます」


「あら、いってらっしゃい。気をつけてね」


 2人はあかりを手に持ち、扉を開く。

 夜の冷たい空気が流れ込み、全身を包み込んだ。

 吐息は白く変化し、虚空に消えていく。


「冷えるな。風邪引くなよ」


「うん。それにしても今日は満月か。綺麗だね」


「そうだな。ゆっくりと酒でも飲んで過ごしたかったがな。

最近の様子じゃ仕方ない。何かあったらお前の雷属性魔法で戦うなり、知らせるなりしろよ」


「了解」


 そして、足を進める。

 力強く踏み締める音はやがて、別々の道へと進み夜の闇へ響いた。


 父は「アルカンの湖」方面へ。

 アルタイルはサミュエル山脈の麓に向かう。


 「アルカンの湖」の周辺には濃密な森が囲んでおり、太陽や月の光を受け付けず、陰湿な雰囲気を漂わせている。


 怪しい奴が潜伏するには打ってつけの場所だ。


 一方、サミュエル山脈では、冷たい風が草葉の擦こすれる音を奏で、月光が針葉樹の隙間から差し込んでいる。


 特に怪しい雰囲気も無かった。

 だが、夜の森は怖い。


「夜の森って昼とは違った別の怖さがあるな。魔法が使えない前の世界じゃ、肝試しでもこんなとこ絶対に来ないわ…」


 ふと、前の世界の事を脳裏に思い出す。

 そこに淡く浮かび上がるのは平凡な毎日だ。


 しかし、それでも記憶から簡単に消える訳ではない。

 そこで歩んだ17年間の「西宮仁」の人生は「アルタイル」として生きる人格に大きな影響を与えている。

 ――特に女性関係の無さは深刻な爪痕だ。


「前の世界で女心を理解していれば、この世界での立ち位置も大きく変わってるんだろうな。そういえば、あっちの世界じゃ俺の扱いってどうなってるんだ?行方不明とかになってるのか…?」 


 そんな事をぼんやりと考えていた。

 落葉を踏む音は誰もいない森の中へ響いていく。



 やがて30分程歩いた。

 燈に照らされた地面に視線を送る。

 そこには奇妙な足跡が残されていた。


「―――何だ?この足跡。最近のものだ」


(近くに…誰かがいた?)


 そう思案を巡らす。

 と、茂みを揺らして何かが近づいて来る音が聞こえた。

 視界は燈が届く範囲から先は闇に支配されている。

 視覚は役に立たない。

 研ぎ澄ますのは聴覚だ。


 だが、鼓膜が捉えた音は草木の中を人が進むには余りにも早過ぎる。


(――――!何だ…!)


 刹那、漆黒の影が暗闇から姿を表して、目の前で静止する。

 その漆黒の影は顔に黒い包帯の様なものを巻いており、表情を確認することは出来ない。


 しかし、その包帯の下に隠された瞳からこちらを凝視している事は確かだ。


 そしてそれは生気を失ったような声で話しかける。


「―――お兄さん。こんなところ……で一体……何を?」

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