第2話「グレイス聖王国」


 屈強な男性は子を太い腕の中に抱く。

 静かに純白のシーツの上へ寝かせた。


 シーツは波打ち、柔らかい毛布が包まれる。

 女性は狼狽し、消えゆく紋様に視線を固定しつつ声を震わせる。


「呪術をかけられたのかも知れないわ!」

「――とりあえず落ち着こう!冷静に考えよう!何か呪術をかけられるようなことをしたかい?もしくは昔に準ずる場所に行ったか?ここから南の「アルカンの湖」とか」


 男性の脳は考えられる可能性を導いていた。


 それが「アルカンの湖」。

 この世界で、その湖は500年前に魔女が死んだと伝えられている。

 しかし、今もなお残る魔女の残滓が周辺を禍々しい雰囲気で取り巻いていた。


「500年前に叡智の魔女が死んだ所かしら?行ってないわ…」

「…そうか。なら原因が分からないな…。取り敢えず聖教会の大司教様に相談してみよう。何かわかるだろう…」

「聖教会…。王都まで行くのね…。」

「あぁ。かなり長旅になるが、このまま放置するわけにもいかん」

「――そうね、私も行くわ。」


 この2人がいる地は「ロンド村」と言い、グレイス聖王国の辺境に位置する領土だ。

 聖教会はグレイス聖王国王都に構えており、順調に行けばここから馬で北に5日程で到着する。

 女性は出産したばかりで体力的な問題があるが生まれた子に対する思いが胸中を支配する。

 そして女性は聖王国王都へ向かう事を決意した。


「あなた、王都に入る時はくれぐれも大人しくしてくださいね…」

「あぁ、わかってる!この前みたいに騒ぎは起こさないよ!」

「本当ね?次起こしたら首が飛ぶわよ」

「そんな時は遠い所へ逃げるかい?」

「今冗談はいらないわ」


 こうして言葉を交えた後、二人は黙々と支度を済ませる。


 王都へ行く前にまず男性は子を腕の中に寝かせて女性と共に北の方角の村の中心地まで向かった。


「あっ!ジョージア村長!」


 村の中心地に到着すると村役場にいた村長の元に駆けつける。


「おやおや、どうしたんじゃシリウス、セレナ。そんなに血相を変えて。野盗でも遭遇したのか?シリウスがいるならそんな大ごとでも無いじゃろう。」


 シリウス。

 それはこの赤ん坊の父親であり、セレナが母親だ。


 村長は冗談を言うと同時にシリウスの腕に抱かれた赤ん坊が視界に映る。


「おぉ!とうとう生まれたか!」


 村長は笑顔で赤ん坊の顔を覗く。

 村人口が少ない村長に新しい命が生まれるのはめでたい事に違いない。

 しかし、一転してこの二人の表情は深刻な様子だ。

 二人の瞳の焦燥を感じると、村長は事態の重要性を察する。


「――どうしたんじゃ。儂に言いなさい。難病か。…それとも呪術が…?」


 そこで赤ん坊の白く柔らかい腕を村長の前に差し出し、セレナが詠唱を唱えた。

 すると、亀裂のように伸びる淡い紫の模様が熟睡している赤ん坊の白い腕から発現する。

 白と紫のコントラストは見る物に強烈な印象を植え付けた。


「――何じゃこれは!――セレナ、唱えた呪文は属性を確認する魔法じゃな?」


 村長の瞳にも、焦燥の色が伝染する。


 恐らく長い人生の中でこのような模様を見た事は経験した事が無いのだろう。


「――あぁ、そうだ。だがこんな禍々しい模様、見た事が無い。だから聖王国に向かって聖教会の大司教様にお会いしてくるつもりだ」


 セレナよりも先にシリウスが答えた。

 シリウスは村の中でも陽気な性格であり、二言目には冗談を交わすルーズな人柄だった。

 その者が真剣である様は事態の深刻さを物語っていた。


「すまん。長く生きてきたがこのような紋様は目にした記憶は無い。儂には力になる事が出来ないじゃろう。――じゃが、すぐに聖教会へ向かう荷車を手配しよう。おい、馬屋のケーラを呼んできなさい」


 村長も聖教会へ向かう事に賛成のようだ。

 こうした村長の協力もあって無事に聖王国へ向かうことが可能となった。


 服と食糧。

 松明やロープなどの小道具を荷車に積載し、車輪が動き始めた。

 ガタガタと車軸がブレる様は2人の不安な胸中を如実に語っていた。



 荷車で北へ5日かけてたどり着いた先に荘厳な白い城壁が姿を表す。それは街を囲むように聳え立っている。


 開放的であり堂々とした城門には衛兵が隊列を組み入り口の監視をしており、そこに順番を待つ列が出来ていた。


 荷車が城門の前に辿り着くと、シリウスとセレナはアルタイルを抱えて、荷車を後にする。


 グレイス聖王国は500年前勃発した世界規模の国家間戦争後、建国した国の一つだ。

 王都の堅固な城壁は二重となっており、その中心の小高い丘に王城を構えている。

 来たる敵に備え、今でも軍備には余念を抜かず、厳重な警備が施行されている。


「次の方どうぞ。武器などお持ちの方は外して、入国管理局の方へ、お預け下さい。今回、王都に来た目的はなんですか?」


 衛兵が1人ずつ武器を徴収し、列を並ぶ者に訪都した理由を聴取する。

 一歩そしてまた一歩とシリウス達は城門に足を近づけた。

 城門は近づく程その迫力を増す。


 そして順番が回ってきた。


「次の方。今回、王都に来た目的…」


 衛兵機械的に繰り返していた質問要項の問いがシリウスの顔を見ると途端に止まった。

 同時にシリウスの表情が険しくなる。


「――はい、今回聖教会の、大司教様に用事があって参りました。」


 この様子を見ていたセレナは割って入り、シリウスの代弁をする。


「そ、そうですか。では、武器などはお持ちでしょうか?もし、所持している場合は入国管理院の方へお預け下さい」

「はい。このロングソードです」

「預かります。都を離れる時は返却します」


 そうして、何事なくシリウスとセレナは城門をくぐる。

 グレイス聖王国王都の中心地ラ・ロレンスに歩みを進めた。 

 街並みは綺麗に区画された道に石造りのレンガが敷かれ、様式美に富んだ美しい建物が並んでいる。街は行き交う人々で賑やかであり、活気に満ちている。


 それは2人の住まうロンド村とは相反する光景だ。

 人口、建造物の密度が桁違い。


 聖教会は中心地ラ・ロレンス区の東地区に存在しており、城門から距離はそこまで遠くはない。


 だが、人混みの波を進んでいかなければならない。

 雑然とした音は深い意識の中に沈むアルタイルを呼び起こす。


 ―――うるさいな。ん?


 静かに重い瞼を開き、眩しい光が瞳を焼く。


 え?どこ?なにこのファンタジーな街は?


 瞳に飛び込んでくる光景は脳の思考を停止させた。

 どこを見ても洋風屋敷が軒を連ねていた。

 コンクリートの道路も車も電灯もない。

 石畳の道と馬車、結晶で光る光源。

 ここは日本ではない事を確信した。


 しばらくして、大きな塔を左右に構える白い外壁を持った聖堂の中へ入った。


 聖教会の拠点だ。

 聖堂の中は開放的であり、横長のベンチが左右に一列ずつ均等に並べられている。

 中はひんやりとした空気が満たしていた。

 大きいステンドガラスから差す外光が広い聖堂内を鮮やかに照らしている。


 そこに到着するとアルタイル(仮称)はスーパーコンピューターである自分の頭(自称)を再稼働させ、今の状況を分析した。

 導き出された解答は……


(俺、夢見てるな)


 ―――正しい答えは出せなかった。


「大司教様、久しぶりにお会いできて光栄であります。シリウスです。」


 聖堂の奥にある聖壇から一人の御老体が姿を表す。


 80歳くらいだろうか。

 全身は白い装束に身を包み、顎には白い髭を伸ばしている。

 まるでサンタクロースを彷彿とさせる。


「…ほう。久しぶりじゃな、シリウスよ。わざわざ王都に帰って来るとは珍しい。何かあったのか?」


(誰だ…この爺さん…)


 聖壇から一歩ずつ段を降りる。

 そしてシリウスとセレナとの距離を縮めてくる。

 だが、不思議と気配を感じない。

 まるで空気の塊がゆっくりと近づいて来る感覚を覚えた。

 ふんわりとしており、足音さえ聞こえない。

 只者ではないようだ。


「実は…この子の様子を見てほしいのです。最近、生まれた私達の子です。ですが、この子は普通の子とは大きく異なるところがありまして…」


 シリウスは途中まで話すと口籠る。


「ほう。あの、シリウスがとうとう父親か。時が経つのも早いの。さすればこの子の属性は確認したか?属性は持っておったか?」

「それなのですが…。セレナ、頼む」


 そう言うとセレナは頷き、静かに詠唱を始めた。

 先程まで、穏やかな表情だった大司教はアルタイルの腕を見ると眉間に皺を寄せ、険しい表情を見せる。

 もう何度も見てきた光景だ。

 少し耐性ができて来たかもと思ったが、やっぱり気分は良くない。


(えぇ…何でみんなそんな顔すんの…結構傷付くんだが)


「これは、まさか…!この様な属性を持って生まれる子がいたとは…さらに赤ん坊とは思えん凄まじい魔力量じゃ…」

「魔力?私達には何も感じませんが…?」

「無理もない。魔力は外界から集める深層器官と体内の魔蔵である浅層器官に蓄積される2種類がある事は知っておるな?」

「それは…はい」

「この子は、その深層に魔力を蓄積させる事が出来る稀子だ…それも凄まじい量じゃ…」

「本当ですか!?」

「深層器官内の魔力を測定する事は一部のものしかできん。お主がそう思うのも無理はない」


 大司教はアルタイルの腕から視線を外し、シリウスとセレナと視線を交差させる。


「2人に伝える事がある」


 と告げた。

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