あなたの背中を追って 2
それは唐突な告白だった。
聖の表情は真剣な眼差しで一切おふざけが入っていないことがわかる。
「いや、えっと」
瀬那は戸惑いを隠せなかった。どう返事をすればいいのかと考えていると、瀬那よりも先に聖が話始めた。
「瀬那さんの噂は聞いていますよ。フロンティアの悪党を倒してるって」
「そんな大それたことじゃない。身近な人の手助けをしていた時に、たまたまそういう奴らとも戦うことはあるってだけで」
「でも、それってとても危険ですよね。私は瀬那さんに怪我をしてほしくないんです。だから、もうそんなことしないいいようにします」
すると、草の上に立っていた瀬那の足に、水の触手のようなものがまとわりついた。水の触手は常に流水のように流れており動こうとしても振りほどくことができない。
「な、何をするんだ!」
「瀬那さんは高速移動を使える。それは知ってます。いろいろ調べましたから。でも、それじゃあ困るんです。だって、周りを見たらいつ瀬那さんがどこへ走っていくかわからない。だったら、余計なものを見てしまう目をなくせばいいんですよ」
聖は何の悪気もない表情で堂々と言った。むしろ、聖女にも似た不思議な神聖さすらその姿からは見えてしまうほど。
だが、瀬那は聖の表情の奥底にある精神的な歪さを見た。綺麗なバラには棘がある、などとよく言ったものだが、そんな生ぬるいものではないもっと危険で歪なものだ。
聖という少女は、自身を平々凡々でごく一般的な人間だと評価している。しかし、それは誤りだ。自身に対する評価というのは、自身のフィルターを通してでしか見ることができない。そのフィルターは時に一般の評価と真逆にしてしまうことがある。
時に、美人な人は自身の美貌で苦しむこともある。美人な人は周りから羨ましがられるかねたまれる。生まれ持ったものであるため、周りは欲しくても手に入らないからだ。
だが、美人である当人は周りからの視線を感じ、自身の姿に対し嫌気が差す場合がある。見られたくないのにたくさんの人から見られる美貌が疎ましいのだ。
聖の実家は住宅街にあった。瀬那も知らないことだが、瀬那の住む家と同じ住宅地にある三階建てで大きな庭のある家こそが相沢家である。
小さな噴水くらいならその庭に設置できる上、西洋的な佇まいの家にはとても似合うことだろう。そんな家で生まれた時から暮らしている聖香は、それが日常であり常識だった。
父親は大きな会社の社長で家を空けることも多いが、決して浮気はせず愛する妻をもっとも大事に考え、聖が生まれたからはもっとも大事な存在が二人になる。
母親は知識も技術もある主婦だ。一般的な主婦と比べれば人間的スペックはけた違いと言えよう。文武両道でありながら慢心することはなく、いつだって勉強することを怠らず新しい知識と技術を身に着けることが趣味だ。
そんな両親の下に生まれ育ってきた聖はそれこそがごく一般的であり、そんな両親にいまだおいつけていない自分など普通と考える方がむしろ自然だった。
ただ、聖はそんな中でも精神的にゆがむことはなかった。両親の愛情ゆえにゆがむ理由がなかったのだ。
「心というものは不思議ですよ。特に恋は素晴らしい。恋をした日と、いいや、恋をした瞬間とする一秒前では、見ている世界が全く違うんです。その人のことしか考えられなくて苦しい時もあるけど、近づいていると実感できると、初日の出を見た時のような特別な感覚になるんです。日の出って毎日出るのに初日の出だけ特別でしょう?」
「……お前、狂ってるぞ」
「恋は人を狂わせる。本で読んだことあります。おそらく両親も同じだったのでしょう。でも、結ばれたからこそより強固で素晴らしい繋がりが二人を進化させる。私は瀬那さんと繋がることでそれが達成できる。もちろんそのために瀬那さんに告白したわけじゃないですよ。これは私の恋心に従ったまでです。ただ、恋をしたということは両親に近づいた証でもある。あなたと繋がることで私は平々凡々な存在ではなくなり、その上最愛の人を手に入れられる」
「相手のことを考えずによくそんなことが言えるな。俺はあったばかりのお前に対して恋を抱ける時間なんかなかった。普通、考えればわかることだろ。俺はな、一目惚れはしない達なんだ」
何を言えば目の前の少女を止められるかわからなかった。可憐のようにシンプルな性格をしていれば話すこともできただろう。なにせ、瀬那自身はこの瞬間悪いことは何もしてないのだから。
聖は可憐とどこか似ているところもある。それは自身の信念に対して正直であるところだ。しかし、この状況に置いてそれはよくない方向で働いているのも明白。執念にも似た恋心がまさしく瀬那を襲っていた。
こんな相手を野放しにしているグングニルにどこか嫌気が差すが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
流れる水の触手はすでに瀬那の腿にまで複数本まとわりついている。最初から足を止める予定だったのだ。どこからか瀬那のヴィジョンを知り、走ることができなければ止められると分かっていたのだ。
ヴィジョン所持者は感覚としてヴィジョンを分類する。瀬那のヴィジョンは肉体強化系というものに分類されるものだ。それは体を強固にしたり力を上げたりと、自身の肉体に関する何かしらの能力を指す。
だが、瀬那の加速に関しては動き出してからではないと本領を発揮できない。走り出してから加速が始まるのだ。どれだけ加速が速い車でも動けなければただの鉄の塊。加速力などあってないものなのだ。
そうこうしている間に流れる水の触手は徐々に上半身へと昇ってきていた。
「知ってますか? 人は深部体温が三十五度以下になると体が震えたり思考力が低下するんです。さらに三十二度を下回ると呼吸や脈拍が弱くなる。さらに下がってしまえば意識がおかしくなるんです。でも、日常生活で体温を下げることってないですよね。雪山にでも行けば話は別ですけど」
「何をしようとしているんだ」
「私のヴィジョンは水を操る能力です。水圧が強ければ人間の体でさえも簡単に飛ばすことができますよね。ナイアガラの滝の真下に足場があったとしても立っていられる人間はいないように。でも、水は決まった形がなく操ってあげないと形を保てない。だから、その勢いを保ったまま触手のようにしたんです」
「でもよ、それだけなら動きを封じただけだろ」
「ええ、だからさっきの話に戻るんです。水は零度になると氷始めます。私が温度調整できるのは凍らないギリギリのところまで。知ってます? プールってあんなに冷たいのに実は20℃くらいはあるんですよ。夏の日差しで熱を溜めた体が、水温に慣れるまでの間はとても冷たく感じますが、たかだか二十度。じゃあ、零度くらいの水にずっと浸かっているとどうなるんでしょうね」
銭湯などにあるサウナの後に浸かるために用意されている水風呂は、十七度程度で保たれている。これは一肌で冷たいと感じる水温だ。サウナの後に入るため、極端に冷たく感じるが実は零度とは程遠い。海水浴シーズンの海もプールと同様の水温となっている。すなわち、零度という水温で体を浸かることは一般的な生活をしていればまずない。
瀬那は体が急激に震えるのを感じた。水の触手は足首や脚の付け根をしめつけ昇ってきている。
そして、それらの箇所にある血管は冷やされ、急激に体温を低下させるのだ。体全体を水に浸からせなくても、これだけで人間の体は体温を奪われ零度の水に浸かったのと堂々の変化が起きる。
さらに、これはさっき聖の言っていた体温の低下による、体の異常を発生させる条件となっていたのだ。
「そのまま拘束しつつ運んでもいいかなと思ったんですけど、この都市では組織に入っている人間以外は条例でヴィジョンを使うことは基本的に止められている。といっても、罰則そのものは緩い。ただ、体が濡れるのは嫌なんです。ということであなたの動きを完全に封じてから持っていきます。無論、運んでいる間も私に触れない箇所、背中やズボンの下に水を纏わせてですけども」
勝ち誇ったり慢心するそぶりはない。あくまで過程であり目的を遂げるための経過なのだと理解しているからこそ、一切の油断はないのだ。
しかし、瀬那にもまだできることは残っている。
「知ってるよな。俺が加速できるって」
「ええ、調べましたから」
「俺のヴィジョンはいわゆる肉体強化系。自分の体を常人よりも超えた力にすることができる。岩のように硬くなる人もいれば、銃弾を避けるスピード、水中を自由自在に移動できる能力さえもっているのが肉体強化系だ」
「だから知ってますよ。でも、加速はあくまで動き出してからじゃないと意味がない。止まっている状態では何もできませんよ」
「たぶん、お前は慎重な人だ。俺の動きを派手に止めれば騒ぎが起きたと周りが気づき、グングニルを呼ぶ。そうなれば炎のヴィジョンや風のヴィジョンをもった化け物レベルのヴィジョン使いが来るかもしれない。だけど、その慎重さがこの俺に手段を見つけさせたんだ」
瀬那はその場で腕を振り上げ、一気に下げると拳で太ももを殴った。
「何をしているんですか!」
いきなりの自傷行為に聖はうろたえている。最愛の人が傷つくのをみたくない目を反らした。
その直後、草を踏みしめる音が聞こえ視線を戻した。そこには瀬那が自由となり立っていたのだ。痛みと体温の低下で震える足でなんとか立っている。
「加速できるのは別に足だけじゃないんだ。速く走るってことは呼吸も速くなるし目線の移動も速くなる。そして、走るためには腕を振るだろ。ていうことはその速さを利用すればパンチには絶大なパワーが乗るってことだ」
所詮は触手状にしただけに過ぎず、それでは人の体を完全に止めることはできない。どれだけ勢いよく落ちる水の流れで壁を作ったとしても、車がそれを突き抜けられないことはないのだ。
人間のパンチの速度は鍛えている人で40km。かつて最速と言われたボクサーでも50kmと言われている。瀬那はそれらのパンチの二倍以上の速さで拳を突き出すことができる。腿にダメージこそあるもののこの勢いで殴れば体は衝撃で水の触手から簡単に脱出ができる。
「もう同じ手は食らわない。少しでも足にまとわりついてきたらすぐに動けばいい。初見でしか成功しない策だろ。もうお前に俺を止めることはできない!」
聖の足元が濡れていたのは水をばら撒きじわじわ芝生へと移動させ、瀬那の動きを止めるためだった。芝生である以上足元が濡れているかどうかの判別はつかないがそれでもかまわないと瀬那は判断した。
あくまで直感ではあるが聖はヴィジョンを極めた人間ではないとし、水の触手で相手を止めるためには、対象が停止していることが前提なのではないかと考えた。
もしすぐにでも動きを止められるなら、今この瞬間に再び動きを止めるはずなのに、それをしないのが何よりの答えだ。
「傷つかないでほしいっていいましたよね。なんで自分を傷つけるんですか? 家族が自分を包丁で切る姿を見ても何も感じないんですか?」
「嫌に決まってるだろ」
「それと同じなんですよ! 私はあなたに傷ついてほしくない。だから、強引に止めるんです! 好きなんだから!!!」
波が力強く島へと打ち付ける。島の高さならば津波でも来ない限り決して広場に波が入ってくることはない。しぶきが触れる程度だ。しかし、明らかに波の勢いはおかしい。今日は風もなく穏やかなのに、まるで嵐の海のように波が発生していたのだ。
「いいましたよね。私は水を操れるって。だから、ここにしたんですよ。海がある場所なら私の力は無限に使える!!!」
力強く打ち付ける波が勢いよく昇ると、形を変化させて巨大な水の手が完成した。
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