第14話 真意
「おい、待てって!」
何を隠そう中高バスケ部レギュラーだった俺である。最初こそ出遅れたものの、道が入り組んでおらず、コウの背中を見失わなかったことも幸いして、その手を掴むことに成功する。
「はあ、やっと、追いついた」
抵抗されるかと思ったが、コウは大人しかった。いや、お互いほぼ全力疾走だったので、息を整えるのに精一杯というだけかもしれない。しばらく俺たちのぜぇはぁという息遣いだけが響いていたが、やがてそれもおさまると、コウがポソリと告げる。
「手、離せ」
「……逃げない?」
俺がそう尋ねると、コウは黙って頷いた。俺はゆっくりと掴んでいた手を離す。前言通り、コウが逃げることはなかった。
ひとまず近くにあった公園に移動した。コウをベンチに待たせて自販機で缶コーヒーを買って戻る。
「ほい」
コウは無言でそれを受け取った。冷たい寒空の下。吐く息は白く、公園には俺たち以外に誰もいないようだった。
「俺、忘れるの得意だから」
目の前の池を見つめながら、俺はそう告げた。
「え?」
戸惑う様子のコウを無視して話を続ける。
「暗記系の科目はだいたい一夜漬けでテストが終わった瞬間に忘れてた。だから忘れるのは得意な方だと思うんだ。さっきの出来事も、寝たら忘れると思う」
「いや、けど」
俺の言いたいことが分かったようで、だからこそ反論しようとするコウを再び無視する。
「俺はミライの味方だから、ミライの意見を尊重したい。でも、それは誰かを傷つけてまでってことじゃない。もちろんそうしないと今度はミライが困るってことなら割り切るけど、今回はそうじゃないから」
コウは黙って俺の話を聞く気になったようで、握りしめていた缶コーヒーをあおった。
「俺、ちょっとは勉強したんだ。それで、カミングアウトは本人の意思やタイミングを尊重することが大切だって知った。もしカミングアウトしてほしいことがあるなら、相手がそうしたくなるような振る舞いをするべきだってことも。だからコウが話したいって思うまで話す必要ないよ。ちょっと悔しいし情けないけど、俺はまだまだだから、もっと努力する」
もうほとんど俺の勝手な所信表明だったけど、俺の思いは伝わったと信じたい。
「寒いし帰るか」
そう言って、俺は缶コーヒーの残りを飲み干した。
「さっきも言ったけど」
すると、黙って話を聞いていたコウが口を開いた。
「これは俺の問題だから。ハルやミライの意向は関係ない。それから、ユウのことも信用してないわけじゃないんだ。むしろ、ユウが思っている以上に、俺、ユウのこと」
コウはそこで一度言葉を切った。次に続く言葉が何なのか。しかしそれは結局わからずじまいだった。
「……とにかく。ユウの努力が足りないとか情けないとかそんなことない。むしろすごく歩み寄ってくれてると思う。俺たちのこと、同情するやつはいても、同じ土俵に立とうとするやつはあまりいなかった。ユウは他人の靴を履いてみるってことを実践している。もっと自分を褒めてやってもいいんじゃないか」
他人の靴を履いてみる。エンパシー。似た言葉にシンパシーがある。シンパシーが同情、相手のことを可哀相だと思うことに対して、エンパシーは感情移入、相手の立場になって考えることで、その感情を共有する。シンパシーは結局のところ他人事だ。可哀相でも飯は食える。一方でエンパシーは自分事になる。痛みを分かち合うから、飯ものどを通らなくなる。もちろん事象によりけりではあるけれど、俺の理解としてはそういうことだ。
「お、おう」
どう反応して良いかわからず、おれは曖昧に応えると、空き缶をごみ箱に捨てた。とにかく俺は、ミライを理解したかった。近づきたかった。そのために必死にもがいていたことが、まさかコウに評価されていたとは。気恥ずかしくてコウの顔を見ることができない。俺はゴミ箱を見つめたまま固まった。
そんな俺の心情を理解しているのかいないのか。コウは俺と同じように空き缶をごみ箱に放り込むと、駅に向かって歩き出した。俺は慌ててその背を追いかける。
「もし、良ければなんだけど」
コウはそう前置きして、今度LGBTQ+の交流会があるから一緒に行かないかと誘ってくれた。その交流会は、LGBTQ+の当事者ではなくても参加できるものらしい。
ミライたちは来るのかと聞いたが、1人で参加するつもりだったという。一抹の不安はあったが、努力すると言ってしまったし、何よりミライたち以外からカミングアウトを受けたことのない俺にとって、より彼らのことを理解できるようになるチャンスだと思った。
了承の意を伝えると、コウは心なしかほっとしているように見えた。
そのまま帰宅して風呂に入った後、小腹を満たすためにカップラーメンに湯を注ぐ。マヨの家であれだけ美味しい料理に舌鼓を打った後だとむなしくなるが、致し方ない。待っている間に放置していたスマホを開くと、マヨからメッセージが来ていたことに気づいた。
「しまった、マヨに連絡するの忘れてた」
急いで土下座のスタンプを送るとマヨから電話がかかってきた。
「も、もしもし?」
恐る恐る電話に出る。
「今どこにいるの!? 大丈夫!?」
「悪い。今は自宅にいる」
「コウは?」
「走って捕まえて、公園でちょっと話して、その後すぐ帰った」
「……コウから何か聞いた?」
今度はマヨの方が恐る恐るといった様子だ。
「何も。俺が言わなくていいって言った。ついでに駅での出来事は忘れるってことも」
そう伝えると、そう、とマヨは短く返事をした。
「そっちは大丈夫だったのか? 同級生?」
俺の方からも念のため確認する。
「あぁ、大丈夫。空気の読める子だから」
マヨの返事はあっさりとしたものだった。どちらにせよマヨが対応したのだ、心配はいらないだろう。
「とにかく俺は今日の一件を忘れることにして、それで話は片付いた。コウはコウで、俺に話をするかどうかは自分自身の問題として向き合うつもりのようだったから、見守っててやろうぜ」
公園でコウと話をしたことで、俺の焦りは消えていた。第一印象が最悪だっただけに、俺には心のどこかにコウへの苦手意識があったのかもしれない。だけど、それはもったいないことだったと気がついた。コウはきっと人一倍繊細なのだ。だからこそ防衛反応が強く働く。人のことを良く見ていて、人の美点に気付けるやつだ。そこはミライとよく似ていた。
「……追いかけてもらってよかったみたいね。コウにとっても、ユウにとっても」
マヨはどこまで見抜いているのだろう。その真意を掴むことはできそうにないけれど、今日のお茶会は多分コウだけではなく、俺のためでもあったのだと気づいた。
「なんか、今更だけど、ありがとな、マヨ」
気付いたら、お礼を言っていた。
「どういたしまして」
それに照れるでもなく偉そうにするでもなく、ごく自然にその言葉を返せるマヨはやっぱりすごい奴だと思った。
今日の駅での出来事はミライとハルには言わないでおこう、ということになった。積極的に隠すことでもないが、積極的に共有することでもないだろうから。
そんなやり取りも終わって電話を切るころには、カップラーメンはすっかり伸びていた。
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