薄氷の上で愛を奏でる

神原依麻

第一章 多様性との出会い

第1話 初手でいきなり浮気宣言?

「私、ユウのこと好きだなぁ」


 ミライはいつものようにのんびりとした口調でそういった。


「…じゃあ、付き合う?」


 俺は自然を装いながらそう尋ねる。多少なりとも緊張はしていたが、了承の返事が返ってくる確信があった。なぜなら今日は3回目のデートだ。これは最早、恋愛の常識、恋愛のルールというやつだろう。もちろん、手応えだって十分にあった。


「そっかぁ、ユウは私と付き合いたいのね?」


 すると、ミライはにこにこと笑いながら確認してくる。だから、こちらも満面の笑みを返す。


「もちろん!」


 期待と少しばかりの不安を込めて、ミライの瞳をじっと見つめる。


「とっても嬉しい!」


 すると案の定の答えが返ってきて、俺は胸を撫で下ろした。しかし、その後に続いた言葉は俺の予想をはるかに超えるものだった。


「ちなみに私、パートナーが2人いるんだけど、それでもいいかなぁ?」


 これが全ての始まりだった。




「……ごめん、なんて言った?」


 聞き間違いかと思い、問い直す。またも期待と今度は大きな不安を込めて、ミライの瞳を見つめる。


「とっても嬉しい。ちなみに私、パートナーが2人いるんだけど、それでもいいかなぁ?」


 ミライは一言一句違えずに言い直した。それは、先ほど認識した言葉が聞き間違いではなかったことを証明していた。


「え、パートナー? つまり、恋人? それが他にいるならダメなんじゃないのか? というか、既に2人?」


 ミライはちょっと抜けているというか、天然というか、ふわふわした子だとは思っていた。しかし、この返答はどうだ。俺は混乱する頭をフル回転してなんとかそう返した。


「もちろん2人にも了承を得ないといけないよ?ちなみに、マヨちゃんとハルね」


 この子は倫理観が欠如しているのだろうか。全く悪びれずにそう返すミライに若干の失望と嫌悪の感情がちらついた。


「えっと、それはつまり二股というやつではないか?」


 語気が荒くならないように気を付けながらもそう返すと、ミライは極めて冷静に、またしてもとんでもないことを言った。


「二股じゃないよ。実は私、ポリアモリーなんだ」


「ポ、ポリアモリー?」


 ただでさえ混乱しているところに聞いたこともない謎の言葉が飛び込んできて、俺の頭の回路はいよいよショートを起こしそうになった。


「関係者全員の合意を得たうえで、複数の人と恋愛関係を結ぶ恋愛スタイルのことだよ。だから浮気とか二股とかじゃないよ」


「……」


 なんと返答して良いのか分からず、俺は黙り込んでしまった。そもそも今日は楽しい3回目のデートで、今日から俺たちは彼氏・彼女になるはずだったのではないのか。なぜこんなことになったのだろう。


「混乱させちゃってごめんね。私はユウのことが好きだし、付き合いたいと思ってくれたのであれば嬉しいよ。でも、私はポリアモリーのスタイルを変えたいとは思っていないから、ユウにはそこを納得した上で私と付き合って欲しいな」


 黙り込んでしまった俺に、ミライは少し困った様子でそう言った。


「えっと、正直とても混乱している。俺はミライのことが好きで、ミライもそう思ってくれているんじゃないかと思っていた。だけど、ポリアモリーって言葉は初めて聞いたし、ミライには既に恋人が2人いて、つまり俺は3人目の男になるってことなんだよな?」


 何か言わなければならない、という焦りもあり、まずは状況整理に努めようとした。しかしミライはここで初めて訝しげに首を傾げた。


「んーっと、私は確かにユウのことが好き。そして恋人が2人いる。でも3人目の男っていうのはどういう意味? 付き合った順番という意味だったら確かに3番目ってことになるわけだけど、そういう意味で合ってる?」


 改めて問われると、自分が何を質問したかったのかわからなくなってきたが、それでも何とか今ある困惑を言語化しようと言葉を捻り出す。


「いや、えっと、そうだな。順番、付き合った順番というか……。それもそうだけど、2人目のことはセカンドって呼ぶから3人目はサード? つまり俺はサードなのかってことが聞きたい?」


 するとミライは間髪入れずに俺の言葉を咀嚼する。


「それは恋愛関係においていわゆる本命と浮気相手がいる場合に、浮気相手のことをセカンドと呼ぶことがあり、そういう意味で、ユウのことは本命ではなく浮気相手のしかも序列的に言えば3番目なのかということを聞きたい、ということで合っている?」


「た、多分」


 質問をしておいて多分と答える自分が情けない。そしてミライによって言語化されたそれは俺の心に深く突き刺さった。もし、これが肯定されたら俺はたかが序列3位の男だったということになる。そう思うと、怒りよりもむしろ悲しみとか、舞い上がっていた自分を滑稽に思う気持ちの方が強かった。


 しかし、ミライはそれを完全に否定した。


「さっきも言ったと思うけど、浮気とか二股ではないの。もちろんそれらをどう定義するのかにもよると思うけど、私がいう浮気とか二股っていうのはお互いパートナーはあなたと私の1対1だよね、という約束をしているにも関わらず、そのパートナーに断りもなく別のパートナーシップを形成することだと思っている。約束を違えること、裏切ることだと思う。私は今複数のパートナーシップを形成しているけど、関係者全員に合意を得た上でパートナーシップを形成している。だからユウにも正直に話をしたし合意できるかどうか聞いている。合意ができないなら残念だけれどパートナーにはなれない。逆にもし合意してもらえるなら、ユウのことをみんなと同じように大切にするし序列をつけるなんてこと絶対にしない。ユウのこと、本当に好きだから」


 その目は真剣で、嘘や偽りはないように思えた。ミライは確かに俺のことが好きだと言ってくれていて、それは俺の心を温かく包み込んでくれた。しかし、『複数の人と恋人関係になる』というのが、しかも『合意の上』というのが、俺にはどうしても理解できなかった。


「俺もミライのことは好きだし、だから付き合いたいと思った。ミライも俺のことが好きだってわかってすごく嬉しいし、付き合いたいって思ってくれていて、だったら俺だけにはできないのか。普通に考えて恋人が3人いるなんておかしいし、俺はミライのことを大切にしたい。俺だけで満足してもらえるように努力するよ。それとも俺だけだと何か不満なのか?」


 絞り出した俺の言葉はとても拙かったと思う。でも、ミライには十分伝わったようだった。


「ありがとう。ユウがちゃんと言葉にしてくれて、私と向き合ってくれて嬉しいよ。私はユウのそういうところが好きなんだと思う。だけど、ユウがどうしてもモノガミー、えっと、1対1のパートナーシップがいいっていうなら、やっぱり付き合うことはできないと思う」


 その言葉に、俺は少なからずショックを受けた。ひょっとして、これは遠回しに振ろうとしているのではないかとさえ思った。しかし、ミライは真っ直ぐに俺を見つめると話を続けた。


「ユウは今日初めてポリアモリーのことを聞いたから、急には受け入れられないのかもしれない。だけど、例えば誰かと1対1で付き合っていても、友達と遊びに行ったり1人で出かけたり、全てのリソースをそのパートナーとだけ共有するわけではないと思うの。それから友達は複数人いてもおかしくないのに、恋人は複数人いたらおかしいってなぜそう言い切れるの? 日本だってちょっと前まで一夫多妻制を認めていたし、世界には三人婚とか一妻多夫制を認めているところもある。普通かどうかじゃなくて、ユウがどう思うかを教えて欲しい。ユウは私と付き合って何がしたいの? どういうパートナーシップを望んでいるの?」


「俺が望んでいること?」


 例えば休日に一緒に出かけること。声が聞きたくなった時に電話すること。キスしたり抱きしめたり、セックスとか。


「それってモノガミーじゃなくちゃ満たされないこと?」


 それは俺にはすぐに答えられなかった。しかし、今までの自分の恋愛遍歴を思い起こせば、友達より彼女である自分を優先することを強要されたり連絡の頻度で文句を言われたり、そういうのが面倒になって別れたこともある。


「もし、ユウが少しでも理解しようと思ってくれるなら、試しにポリアモリーなパートナーシップをを経験してみない?」


 いつになく押しの強いミライ。


「……わかった」


 今度は俺が了承の意を示す番だった。

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