【SS】マッチングベイビーズ

枝折(しおり)

マッチングベイビーズ

デザイナーベイビー、つまり受精卵の段階での遺伝子操作によって理想の胎児を作りだすことが合法化されたのは約10年前のこと。


「ヒト遺伝子操作基本法」が可決された当時は大きなニュースとなり、倫理に反すると大規模なデモが連日行われたりもしたが、つぎつぎと発生する新しい事件の報道に流され、やがてこの騒動も落ち着いた。


そして今や、新生児の約20%はデザイナーベイビーとなった。

この10年間で遺伝子操作を施ほどこされたことによるで胎児への悪影響は報告されておらず、ほぼノーリスクで理想の子供ができると明らかになった。

それでもデザイナーベイビーの割合が2割にとどまっているのは、遺伝子操作にはそれなりの費用が必要であり、容易に手を出せない家庭が多いからだ。


時代が変われば、新しいビジネスが生まれる。


今、赤子の親たちの間では、0~5歳まで限定のマッチングアプリ『マッチングベイビーズ』が大流行している。

1年前にサービスが公開されてから人気はうなぎ登りで、その登録者数はいまや300万人に達しようとしている。


***


最近やっと首が座るようになった優子を膝上で抱きながら、母親は『マッチングベイビーズ』のホーム画面を開く。


相手からの交際オファーである「いいね」の通知は「100+」と表示されている。

100人以上の赤子、正確に言えばその赤子の親が優子を気に入っているということだ。


「優ちゃん!昨日インストールしたばっかりなのにもう100件以上もいいねが来てるよ!さすが、ママの可愛い優ちゃんはモテモテだねぇ~」


当然だ、と優子は思う。

マッチングアプリの女は若ければ若いほど需要がある。

生後5ヶ月の優子は全体の中では若い部類に入る。


そのうえ、優子のプロフィール写真はかなり男児の親にウケがいい。

最初はなかなか終わらない撮影に不機嫌さを隠そうともしなかった優子だったが、さっさと良い写真を撮らせるほうが得策だとの考えに至り、にこり、極上の笑みを見せてやった。


同世代の女たちが何も考えずにただ無邪気な笑顔の写真で勝負する中、優子の聖母のような微笑みは異彩を放っており、男児の親をつよく惹きつけた。

「息子の理想のお嫁さん」を彷彿とさせるからだ。


母親はさっそく「いいね」を送ってきた男児たちのプロフィールをチェックしていく。


「慎吾 しんご(4)DB」

名前の横の数字は年齢、DBは「デザイナーベイビー」の略だ。

ファッションモデルの遺伝子を持っているらしく、非常に整った顔をしている。

プロフィールの詳細もロクに読まないまま、母親は右スワイプをする。


『マッチングベイビーズ』では、表示された相手が気に入れば右スワイプをして相手に「いいね」を送る。

お互いに「いいね」を送りあえばマッチング成立。

晴れてメッセージのやりとりが可能になる。


一方、表示された相手が気に入らなければ左スワイプ。

左スワイプされた相手は300万の登録者という情報の海の藻屑となり、二度と自分の画面に表示されることはない。


「陽翔 はると(2)DB」

こちらは弁護士の遺伝子。容姿は十人並みだが知的な顔立ちだ。

迷わず右スワイプ。


左。右。左。左。左。


母親はデザイナーベイビーか否かというただ一点で相手をふるいにかけ、ひたすらに指を動かし続けている。


マッチングが成立した相手から続々と送られてくる「はじめまして。いいねありがとうございます!」といった無難なメッセージの返信にも忙しそうだ。


優子は座るようになったばかりの首を懸命に動かし、母親を見上げて思う。


ママ、あたしのパパは平凡だけど優しい人だったね。


受精の瞬間からすでに、優子の意識は存在していた。

母親の臓器や皮膚を介して聞こえてくる父親の声色を聞くかぎり、彼の母親に対する愛情は本物のようだった。


でも、パパはあたしができたことを知ると出ていっちゃって、ママは今ひとりであたしを育ててくれてる。

パパは子供は絶対にデザイナーベイビーが良かったんだってね。

自分であたしをつくっておいてばかみたいって思うけど、大人には大人の譲れない何かがあるんだろう。


***


「優ちゃん。」

声を出していることも気づかぬ様子の母親のつぶやきに耳を傾けてみる。


「ママが素敵な旦那さんを見つけてあげるからね。

デザイナーベイビーの男の子と結婚すればきっと幸せになれるから。

あなたにはこんな思い、絶対にさせないから。」


ポトリ、ポトリ、と優子の頬に落ちてくるしずくが鬱陶しい。


まったく、泣くのはあたしの仕事なのにね。


普段めったに泣かない利口な赤ん坊の優子であるが、やれやれといった調子でぐずり始めた。


今日はママと一緒に、思いっきり泣いてやろう。


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