第6話 「誰かとキスをしたことは?」
「はぁ!?!?!?」
少し反響するくらいにでっかい声を出す。
いや、だって、まさか、そんなことを言われるとは思わないでしょ!?
「なっ、なん、なん?! なんで!? なんでそうなるの!? なんでそう思ったの!? なんでそんな提案してくるの!?」
「ふふ、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
「いやっ、だって! はぁ!? 驚くでしょこんなの!」
「顔、真っ赤ね」
ドクンとまた勢いよく心臓が跳ねる。
また、この女、また敬語を外した。
その事がなぜだか私の胸をきゅううと締め付けて、なんでか分からないけれど凄く嬉しくなって、心がなんだかぼわぼわとする。場違いにニヤけてしまいそうになる。
女は、そっと私との距離を詰めて、そっと私の頬に片手を当てる。
ひんやりと冷たい手のひらが心地よくて、じぃっと合わせられた目から視線をそらせなくて。
「誰かとキスをしたことは?」
「な、いや、あるけど……」
馬鹿正直に答える。あるにはある。けどそれはあれだ。ポッキーゲームの勝敗がつかなくて、ほんの少しだけ唇の先が触れてしまった。みたいなお遊びのキスだった。
「そう。じゃあしてみましょう」
「いや、まってなんで!?」
そうパニクっている私を置いて女は私との距離をもっと詰める。
下がろうと1歩、2歩と後ろに足を運ぶと腰に盃が当たりもう後ろに下がれない。
何時ぞやの召喚されたときのように私の足が女のスカートを折り曲げる。
顔が近い。近づいてくる。
半端に浮いた左手と仰け反った体のバランスを取るように女の肩らへんに触れる右手は、私の言葉とは裏腹にこの女を押し返さない。
唇が触れた。
私の見開いた目をじっと見つめながら、この女は私の唇に自分の唇を触れ合わせた。
この触れ合った時間が一瞬だったのか、数秒だったのか。それとも何分間も経っていたのか分からない。
けれど私には何分間も唇を合わせているように思えて、自分の心臓が爆発したのか、するんじゃないのかって程に私の体を揺らしていて、至近距離で見るこの女の顔がとてつもなく綺麗で、この女の匂いが金木犀の香りよりも良い匂いで。
唇が女の方から離されたときに仰け反っていた体が追いかけてしまったのは、きっとこの場の空気に酔っていただけだ。
「ふふ、どうでした?」
「な、にが、?」
言葉が酷くたどたどしい。なんでこの女こんなに冷静なの?
私はこんなに顔を熱くして、動揺して、今すぐにでももう一度口付けたいって欲望と必死に戦っているのに。
慣れてるってこと? この女の言う、私の同胞にも簡単にキスしてるってこと?
そう考えると頭がきゅうぅと変な感覚に襲われた。
「気持ち悪くなかったですか?」
「え? あ、いや……うん。あの、平気……だけど」
「そう。よかった」
待って、おかしい。ちょっと落ち着け私。
なんでこの女に胸がときめいてる? なんでこんなに動揺してる?
ただのキスでしょ。うん。元の世界でもしたキスだよ。舌入れた大人のキス、とかじゃない、普通に軽く触れ合うだけのキス。友達ともやったキス。落ち着け。何にも胸が高鳴ることはないの。落ち着け私。落ち着け。
「では、こちらの器も試してみませんか?」
「え?」
「私とのキスが平気だったのなら、こちらの器に口をつけるのも大丈夫ではないでしょうか」
「え」
そう言われたものだから振り返ってじぃっと盃を見る。
確かに、この女とのキスはその、嫌じゃなかった。
友達とふざけてキスしたときはどうだっただろう……もう覚えてないけど、とにかく不快感はなかった。
それならこの盃もただの間接キスだから、飲める……のか?
そろそろと盃を持ち上げてみる。水の綺麗な音がして、盃の中の水が揺れる。
零さないように注意しながらゆっくりと口元に杯を持って行って
「いや……ごめんやっぱだめ」
無理だ。やっぱりどうしても想像してしまう。何処の誰かもわからない何もわからない赤の他人がずっと口をつけて飲んできた盃なんて。
想像するだけで身震いがする。
「私とのキスは平気だったのでしょう?」
「そうだけど……それとこれとは別っていうか……あんたとしたのは特別っていうか……」
…………ん?
私今変なこと言った?
変なこと言ったな私?
後ろを振り返ると、あらまぁと口元に手を当て笑顔の女が視界に入る。その顔はなんだか嬉しそうで。
「いや、ちっ、違うから!!! あんたが特別ってわけじゃないから! 勘違いしないで! 馬鹿!!!」
「あら、残念です」
何が!?
聞こうとして寸での所で思いとどまる。
この女のことだから、何が!? なんて聞こうものならまた変な空気に持っていって何をされるかわかったもんじゃない。
聞かぬが仏。南無阿弥陀仏。
だめだ、なんだか私の思考までおかしくなってきた。
「と、とにかく! 嫌だから、無理だから! ごめんだけど!」
「そうですか……」
女は考えるそぶりを見せたあとに軽く口を開いた。
「では、そうですね……新しいものを作りましょう」
「え? いいの?」
「はい。できれば作りたくはないのですが……嫌なのでしょう?」
「うん……」
「では、新しいものを用意します。ですが」
「なに?」
「新しいものを作りたくなかったのは、単純に作るのが大変だからです」
「うん」
「でも、あなたがそこまで言うのなら、新しいものを作りましょう。でもね、エリ」
「っ、前も思ったけどなんで名前知ってるの」
名前で呼ばれると弱い。さらに敬語を外されるとクリティカルヒットだ。
女の言葉に答えるように心臓がうるさくなる。
動揺をごまかすように関係ない話題を振っても、女は意に介さず自分の考えを私に伝えた。
「私だけ、あなたに尽くすのはおかしいと思うの。私は、あなたの意思を尊重する。あなたの意思を尊重して、その水を新調する……あなたは、私に何をしてくれるの?」
そうきたか。
でもそうだ。確かにフェアじゃない、ここで私の我儘ばかり通すのは。
この女の言うことを何も聞かずに、私の言うことだけ聞け! と喚くのはお子様の癇癪のようで、それは私自身も好きじゃない行為だ。
この女が私の意見を尊重するのなら、私もこの女を尊重しないと。それが当たり前だろう。
「……はぁ……確かにそう。わかった。じゃあ何をしてほしいの? あんたに言われたとおりに訓練とやらに出ればいいの?」
あとは……なんだろう。やっぱり他国との戦争関係?
それはちょっと考えたいし、どう考えてもテイクに対してギブのほうが上回りすぎだろう。
「テレサ・ワァルキュリヤ」
「は?」
何が?
「私の名前です。本当はもっと沢山の名前があるのだけれど……これだけでいいわ。ね、名前で呼んで。エリ」
そう言っていつもよりもくだけた笑みで私の頬を手の甲で撫でる。
なんで、なんでこの女は、こんなにも私のことを揺さぶるの。
「テレサ……」
「なんですか、エリ」
テレサ・ワァルキュリヤ。テレサ・ワァルキュリヤ。
まるで初めてのお使いに行って、子供が買ってくるものを忘れないように何度もつぶやくみたいに、私は何度も何度も頭の中でテレサの名前を転がした。
その間もテレサは、私が頭の中でテレサの名前を反芻しているのがお見通しかのように、色のある笑顔で私を見つめ続けていた。
なんだけくらくらする。私は……何なんだろう。なんでこんなにもこの女……テレサに惹かれてるの?
なんで、テレサがかわいいなんてことを思ってる? 私を拉致した国のお姫様なのに。なんで愛おしさで胸がいっぱいになるのだろう。
やっぱり変だ。状況が余りにもおかしすぎる。
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