貴女を堕とす物語

メノシメ

第1話 来たくもない異世界

 異世界転生、異世界召喚。もう何度も何度も目にしてきた文字。その言葉を脳内で噛み砕きながら目の前の出来事をぼんやりと理解しようとする。


「やはり姫様のお力は素晴らしい! またもや成功しましたぞ! これで我が国はまた他国の追従を許さぬ確固たる国へ」


 つんつるてんの髭おじさんの話はそこまでで聞くのを辞めた。後はもう自分たちを褒めたたえ他国を愚弄するような後進国の議会の特徴のような話をばかりをし、他の豪華な格好をした人もそれに洋々と乗っかる。

 そんな辟易とする会話の中でも皆がちらちらと気にする視線の先、豪華絢爛な室内で一段と装飾が凝っている私の目の先、階段の先。一脚の椅子の前に立ちこちらをまっすぐと見つめているお姫様と目が合った。


 なぜか燦爛さんらんと様々な色を描く髪の毛は、遠くから見れば普通の銀色なのに目を凝らして見ると淡い青色や薄いピンク色にも見えて、じぃっと間違い探しをするかのように見つめ続けると目が熱を持ったように熱くなり首筋に重りを乗せられたように頭が痛くなる。


「初めまして」

「……」

「こ、こら! 失礼であるぞ! こちらの世界に誰が連れてきてくださったと思っている!」


 さっきのつんつる髭おじさんが遺憾の意を小っちゃい体全身で表現し、ぴょんぴょんと拳を振り上げて抗議する。

 その様子が余りにもかわいらしく童話の世界のようで普段なら笑っているのだけれど、異世界に召喚されたという事実が重く私の心にのしかかって笑えない。


 うん、笑えない。まったく笑えない。

 何の冗談だこれは。異世界召喚? やめてほしい。

 私は前の世界になんの不満もない。家庭環境は円満で学校には友達もいる。バイト先の人たちとも関係は良好でお金に困っていることもないし死にたくなるようなことなんて今まで何一つなかったほどに、本当に幸せで順風満帆な人生だった。


 確かに魔法が使える異世界には憧れる。今もふわふわと無数に浮いている光源に胸が高鳴った事実は認める。

 でも前の世界の全てを手放してこちらの世界に来たいと思うほど私の人生は酷くなかった。


「帰して」

「何をですか?」

「私の世界に私を帰して」

 

 途端にざわめきが波のように広がる。つんつるおじさんはあんぐりと口を開けて信じられないものを見るかのような顔でこちらを見る。

 ざわめきは今や部屋中に広がって雑音のように私の耳をついた。

 多数の人間が驚愕し嫌悪し口を開かずにはいられないという状況の中で、唯一私の上に立つお姫様は微笑みを崩さずに私を見下ろしている。


 いや、なんかしゃべれよ。なんでお前は驚かないんだよ。


「ぶ、無礼な!! 召喚されておいて帰りたい? 馬鹿なことを! なんだこの小娘は!」

「召喚してなんて頼んでない」


 まるで私が異世界に来たくて来たくてたまらなかったかのように言うので堪らず私はそうつぶやく。

 そうしたらまあ凄い。先ほどまでの声の雑音が騒音となるほどに大きくやかましくなった。


「礼儀の一つも知らぬ小娘がいい気になりおって」

「姫様がやっとの思いで召喚されたのに、まさかこんな体たらくが呼び出されるなんて……」

「ぐうう……なんたる侮辱じゃ。なんたる屈辱じゃ……」


 勝手なことばっか言いやがって。ムカついたので召喚された場から立ち上がり、目の前のレッドカーペットが敷かれている階段を上っていく。

 途端に悲鳴にもにた罵詈雑言が飛び交い、階下の兵士たちが揃った動きで光を集めた手をこちらに向ける。

 が私の目の前にいるお姫様はにこにことそっと右手を挙げて制した。

 兵士が手を中途半端に下ろし困惑の表情で顔を見合わせ、つんつるおじさん初め数人の家来たちがお姫様に声をかける。

 それにも何も返さずに、何も喋らずに、ただ突っ立って私がお姫様の元に辿り着くさまをただ見つめている。それが酷く心を逆なでする。


 ついにお姫様と対等の位置に私が来ても微笑みは崩さない。


 そこまで来てようやく気付いた。

 このお姫様の笑みは大人が子供に向ける笑みと同じだ。子供が意気込んでるそばでそれが叶わないことを知りつつ「頑張れ、応援してるよ」と笑みを送る大人の顔だ。


 それに気づいて頭に血が上り勢いのままお姫様の胸ぐらをつかんだ。

 今度こそ確実に階下から悲鳴が上がる。

 それでもこのお姫様は微笑みを崩さない。うざい。


「帰せ」

「ごめんなさい。無理なんです」

「は?」

「異世界から召喚はできますが、異世界へ返還することは絶対にできないのです。あなたはもう、元の世界には絶対に還れません」


 は?


「なんて言った、クソ女」


 胸ぐらに力を入れて引き寄せる。 

 あんなにもうるさかった周りの音が膜を張ったかのように遠くなっていく。この女の呼吸音しか聞こえない。こんなにも近い距離でガンつけてるのに、この女は動揺もしない。瞬き一つだって増えやしない。弧を描く唇の端が震えもしない。


 こんな近い距離で動揺しないって、どんな人生送ってきてるんだこの女。


 いらだつ心とは裏腹に、異様な立ち振る舞いに体が思わず気後れしたのだろう。怖気づき片足が一歩下がろうとした時、冷たい手で腕を勢いよく掴まれこの女に引っ張られた。


「な……」


 抱きつかれた。この女に。

 引っ張られた拍子に体勢を崩した体。その背中に手を回されてこの女の胸の中に納まる。この女のドレスと私の制服のスカートが触れ合って重なり合った。


「な、にして」

「かわいそうに、混乱しているのですね」


 ゆっくりと優しく、でも確実に腕に力を込めて私とこの女の距離が縮まる。もう既に重なり合っているのに、更に力を入れるから体と体が密着して、ドレスの中に私の足が入り込む。この女の髪の毛が私の髪の毛と混ざり合う。


 クラクラする。


 私とこの女の身長はさほど変わらない。から胸と胸が丁度当たり、潰れ合う。

 その重なり合った胸からドクンドクンととても早く鼓動が私の体に伝わってきて。

あぁこの女、平穏を装っているけど実は動揺しているんだなって思った。

 

 クラクラする。

 クラクラを収めるように深く呼吸をする。

 手足に力が入らない……?

 

 すると彼女はクスリと初めて声を立てて笑い、私の耳元で、吐息を私の耳の中にねじ込むかのように吐息交じりに囁いた。


「あなたの胸の鼓動。とても早いですね」


 その言葉で、ああ、この馬鹿みたいに早い鼓動は私のものなのかと。

 そして頭がクラクラするのは、この女に染み付いている甘い匂いのせいだと、薄れゆく意識の中で理解した。

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