少女へ

 至極真っ当な意見であることは、私たちも承知している。そう、まさにその通りなのだ。あなたたちが仰っていることも、その意味も、解釈の仕方も、私たちには十分すぎるほどに伝わっている。まず、その点に関しては、安心していただきたい。

 ただ、そうしたことを踏まえて、私たちの話を聴いて欲しい。これは単なる私たちの独りよがりな行動とその言い訳に過ぎないし、そこになんらかの意図や思想、もしくはメッセージのようなものは含まれていない。文脈に沿って生まれただけの、ただの偶然の産物でしかないのだが、それに対してなんの説明もなしにあなたたちの前に立つというのは、どうにも居心地が悪いため、この場をお借りして説明させて欲しい。その点はどうかご容赦願いたい。

 そもそも今回の件は、私たちとは全く関係のない存在だったある少女の事情が、私たちに少しずつ関与しはじめたところから始まる。私たちが少女を引き取った理由は、特に何もない。それが正直な事実である。年端もいかない少女の生活を私たちの生活に落とし込むことが、儚く切ないことであるとか、或いは人間としての義務感のような感情が芽生えただとか、そうしたものは私たちの中にはなかった。もちろん、私たちも自分の感情の一粒一粒を丁寧に共有し合っていたわけではないため、断言することは出来ないのだが、あの頃の私たちは感情で動くというよりも、その場の空気感や、そうあることが自然であり、人知を超えた状況であるという認識によって行動していたのである。自然災害が私たちの意思とは関係なしに襲ってくることと同様に、私たちは少女を引き取るという環境に没入せざるを得なかったのだ。

 私たちは少女に対して必要最低限の生活を確保した。その点に関しては心配の余地はない。食糧の配給、教育、人間関係的な成長の促進といった、一般的な要素と人間に必要な養分において、一定の水準は保っていたと思う。徹底したという表現が正しいかもしれない。私たちも、この状況が所謂一般的なものから離れた環境であることは理解できていた。それは先ほど例にとった自然災害の被災地を思い浮かべてもらえれば話が早い——もちろん、私たちは被災地に対して、何か批判的な、物議を醸し出すような思想や活動をしたいわけでは一切ないことだけは分かって欲しい、あくまでも例として挙げたまでだ。

 それ故に、私たちは厳かに少女の育成に取り組んだ。些か定型的すぎる面はあっただろう。私たちは幻想の中にある周囲の目を気にしながら生活をしていたため、ある意味ではそこに特別性のある事象の介入はなかったかもしれない。どの家庭にもそれなりの特殊な事情というものが存在すると思うが、私たちはそうしたことを意識しすぎたのかもしれない。その点では、私たちに反省すべきところがあった。それは少女と生活していた頃からわかっていたことだし、対処しきれていなかったことも事実だ。

 とは言え、私たちは問題なく少女との生活を全うしていた。少女は寡黙で、私たちとの会話も最小限にとどめているようだった。そこに私たちの感情が入り込む余地などありはしない。私たちは彼女とは本来無関係の他人であり、そこに人間の大人としての愛情を注ぎこもうなどという大それた行動は犯さなかった。私たちは、少女に本を与えることによって、間接的に成長を促す方法をとった。もう感じ取っていることと思うが、私たちは少女と密接な関係を築くというよりも、ある一定の距離を置くことによって、彼女にとって私たちが周囲の環境として映るように努めたのだ。

家は、近くに川が流れ、山に囲まれた盆地の中にあり、そこに住む私たちが、雨が降った後の湿気のように必然的に存在している。私たちはそうした対象であり、且つ、人間としての最低限の教養を身につけるための手段として利用されればそれでよかった。そのうち少女が大人になり、この地から去るまで、その役割を全うしようとしていたのだ。そうした意味で、私たちの振る舞いは順調に見えた。少女は聡明に育ったし、私たちが用意した同年代の友人との関係も良好と言えた。勉学を教え合う姿や、一時の感情の爆発よって起こる諍いも、その歳の少年少女たちのそれだった。年齢を重ね、異性との恋愛に発展した事例においても、少女はたくましくそれを経験として処理した。恋愛対象となった少年には、その後も継続して少女に接するように言ったのだが、そこはあまり上手くはいかなかった。

 その後、私たち自身の生活にも変化があった。少女を取り巻く環境の整備に、些か時間と労力がかかるようになったのだ。やはり人間が一人成長していくにつれて、その環境は拡大していかなければならない。しかし、この少女の特殊な状況において、その拡大が真っ当な順序を踏めるのかどうか、私たちは疑問だった。一般的な価値観の拡大とは、つまりは家庭外での経験に依存している。私たちは少女と共に生活をしていたが、そこにはおそらく一般的な特殊性が確保されていない。私たちは最大公約数的に少女に接しようと努めていた。故に、価値観の拡大において、私たちの範囲から逃れる術を少女が用いているのかわからなかったのだ。

 私たちのとった策は、解体と新体制である。少女の拡大、変化を促すのであれば、まずは周囲の環境である私たち自身もそれに対応しなければならない。季節が変わり、葉の色の変化を楽しむように、私たちは少女の見る景色の自然摂理としての変化に順応しようと努めた。

 まず、私たちはいくつかの組に分かれた。大きく分けると、少女の直接的な景色になる者たちと、間接的な環境を陰で作り出す者たちである。もちろん、多くの者は少女の景色になることを志願した。やはりやりがいがあるのはこちらだろう。少女の成長と変化を自分の仕事の成果として感じ取りやすいためである。特に高齢の者は、この地に残りたいと言う者は多く、発言権もあることから話し合いがもつれた。しかしながら、そこに公平性を持たせたうえで決断しなければならないのは確かなことで、組分けは抽選形式で行われた。少女が寝静まった深夜に開催された運命の抽選では、各々が、自分自身の人生の道筋を確固たるものとして認識した。しかしそれはむろん、少女の人生の付随物としての人生なのだが。

 翌朝には、間接的な環境作りの任を受けた者たちが家を去った。少女はまだ眠っていた。彼らは最後に少女の寝顔を見て、その姿を目に焼き付けてから出発した。

 それから、私たちは少しずつ組織を複雑に構成していった。その家に住まう者は最小限に抑えられたものの、そこから派生して私たちの行動も変化するため、逐一連絡は共有された。そして組織としては、統一された指針に従って自らの役割を全うしなければならないため、その日の行動を記録し、チーム同士での関わり合いも意識してつなぎ留めておく必要があった。私たちは苦労しながらも、なんとか組織としての基盤を作っていった。

 少女はというと、私たちの変化に一瞬戸惑っているような素振りを見せたが、直接何かを言ってくるようなことはなかった。そのため、私たちは少女の変化に気をつかった。自分以外の人間の心情変化ほど捉えようのないものはない。しかし、私たちはそれを実行しなければならなかった。少女と近しい人間は、予めその変化の測定素材として用意し、対処するようになった。そうすれば、少女の変化に対応することは可能だ。人員を拡大し、その景色と環境の形成に抜かりはないか、少女は一般的な特殊性の獲得に成功しているのか、それだけを考え、記録し、傾向を導き出し、対策を行った。

 膨大な資料は、少女の人生の拡大と多様性を表していると同時に、私たちの努力の結晶でもある。一人の人間がどれほどの情報を得て人生を進めているのか、感慨深い気持ちにもなる。しかしその膨大な物質が、私たちが起こした罪の証拠としても存在しているのは、一体どういうわけなのだろう。

 それは、環境作りにおいての失策だった。少女が大学に進学した頃である——この歳にまで成長すると「少女」という代名詞に違和感を抱く者もいるとは思うが、私たちにとって、この呼び名がしっかりと彼女の本質を捉えている表現のような気がするため、これ以降も少女と呼ぶ。

大学は家から数時間かかる場所にあった。そのため、少女は一人暮らしを始めることになった。私たちのもとから離れ、一人で暮らすのである。

 私たちは迷った。少女はこの地を去る。当初の予定では、少女が私たちのもとを離れた瞬間に、私たちは少女への一切の干渉を止め、そのつながりを少しずつ、絵具に水をたらし薄めるようにして少女の記憶の重要な部分から消えようとしていた。しかし大学生というのは、世間一般でも意見が分かれるほどに難しい時期である。学生でもあるが、一方で大人としても認識される。 

そしてここからは、完全に私たちの問題である。私たちは、私たちの都合で少女の環境を形成し続けることを選んだのだ。私たちは、万全な状態を維持しすぎていた。用意周到に少女に必要なものを揃え、チームで連携を取り合い、遠くにある小さな可能性のタネが花開く瞬間にまで範囲を広げてしまっていた。それが日常となっていた。つまり、少女の人生にとって良好に働くと確信していた状態が、すでに大きすぎる存在として当たり前のように私たちを覆っていたのだ。そこから抜け出すことは至難の業だった。私たちは、その最大の問題を先送りにした。少女の人生が拡大の傾向を見せているのに対し、組織としての運営を縮小させることは、直観的にできるものではなかったし、そこで完全に組織を解体しようと決定できるような、確固たる意志もなかった。私たちはズルズルと新たな生活を受け入れようとしていたし、そこに少なからず迷いもあった。しかしながら、少女が一人で生活するという新たなステージに対応するために組織の在り方も少なからず変えなければならなかった。そうした不安定な状態が重なり合い、私たちは足元がおぼつかないまま、少女の人生とともに前に進み続けたのだ。

 そこから先のことは、あなたたちもご存知の通りである。簡単に言えば、私たちの行いが世間に晒され、曖昧にしていた環境がはっきりと認識できる程度には分断された。少女と私たちの関係は——このような言い方は不適切なのかもしれないが——私たちが少しずつ形成していた環境の、さらに外部の存在によって強制的に終わりを迎えた。

 私たちはいま、非難される立場にある。私たちが気がかりなのは、もちろん少女のことだ。私たちは、いま少女がどこでどのような状態にあるのか把握できていない。少女がいまの私たちを見て、どのように感じるのか、はっきり言ってわからない。

少女は寡黙だが、ものを冷静に考えることが出来る。一方で、とても繊細であることも私たちは知っている。少女は人のつらさや喜びを共有し、そこに道徳や倫理などという公的な概念を介入させない。つらい状況にある友人には寄り添い、喜びを得た友人には祝福を贈ることが出来るのだ。私たちは少女のそれらをよく知っているし、少女のそうした言動によって、私たちの多くは何かしらを得ていた。だからこそ、ここまでやってこれたし、あなたたちの視点から言えば、取り返しのつかないところまで来てしまったのかもしれない。

 少女はこれからどのような生活を送るのだろう。私たちはそれを見送ることが出来ない。少女はもう立派な大人なのだから、たくましく生きていくだろう。一人暮らしを継続するのだろうか。あるいは肉親を捜しに行くのだろうか。恋人ができて、一緒に暮らすのかもしれない。どちらにしろ少女はこれからも生き続ける。

 もしも少女に関して、何かしらの問題が生じてしまった場合、そのとき少女の近辺にいる人々がどれほど少女に尽力してくれるのか、それだけが心配だ。もしも何かわからないことがあったなら、私たちが残した資料を役立ててくれれば幸いだ。それは、私たちの罪の証拠でもあるが、少女のこれからを支える役割も、きっと担ってくれるだろう。私たちはそれを信じている。

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