しょっちゅうクリスティナの代わりに授業に参加しているクラウディアとは違い、クリスティナはクラウディアほど入れ替わりに慣れてはいなかった。

 ただ、クラウディアのふりをしなければわからないことはあった。

 クラウディアのクラスは、基本的に領主候補が多く、全員が全員ずいぶんと湾曲的な言動が目立った。

 一見すると礼儀正しくも見えるが、それはどこかきっちりと一線引いているようにも見える。クリスティナは最初は戸惑ったが、一日授業を受けていてよくわかった。

 このクラスの者は全員、相手に言質を取られないよう、それでいて常にイニシアティブを握れるように言葉を選んでいるのだ。領主として、時には領境で揉めることもある。そのときにいかに自分にいい条件を引き出すか、相手の心証を悪くしないかを考えなければならない。ひとつの諍いは戦の火種にもなりかねないのだから。

 だからこのクラスには、言動には充分気を付ける生徒しかいなかったのである。


(このクラスでは、お姉様は具合が悪そうね……)


 クラウディアは言動がきつく聞こえがちではあるが、素直で率直な物言いを好む。ただでさえ王都的な言動が嫌いな彼女なのだから、それが余計に加速しそうではある。

 クリスティナはしょっちゅう影で嘲笑されている分、礼儀正しくしていれば普通に過ごせるこの教室のほうが居心地がいいが、それはあくまで彼女の性格の問題なため、クラウディアにそれを言うことはない。

 そしてこのクラスには、クラウディアの婚約者であるセシリオがいる。

 爵位としてはそこまで高い訳ではないが、低い訳でもない。顔がいいだけでなく、その物腰や対応、頭のよさで、クラスの中でも中心人物的な存在であった。そしてなによりも、他クラスからたびたび様子を見に来る女学生がいる。

 パニアグアははっきり言って爵位は高くない上に、クラウディアとセシリオの仲があまりよろしくないと来たものだから、なんとか隙をついてセシリオを奪おうと画作する女学生が後を絶たなかった。

 学院中に婚約が決まらなかったら、そのほとんどの令嬢は遅れ後家になってしまい、以後まともな婚約が回ってこない。やる気があれば、大学部に進学したり、どこかに奉公に出かけたりするのだが、令嬢として蝶よ花よと育てられ、適齢期になったら結婚するものだと擦り込まれている彼女たちは、他の選択肢をなかなか思いつけないようだった。


(……私も、人のことは言えないけれど)


 既に婚約済みであるクリスティナだったが、あまり彼女たちのことを馬鹿にはできなかった。

 彼女は本当ならば、大学部に進んでもっと薬草学を勉強したかった。ハーブの効能を研究するのも、新規のハーブ採集も楽しいし、外国のハーブをどうにか自生させられないかと研究するのも夢があるが。

 彼女は残念ながらハーブと関係のない遠方に嫁ぐのだから、勉強しても無駄なため、言い出すことができずにいた。


(お姉様だったら、許してくださるかもしれないけれど……)


 基本的にクリスティナの提案を無下にしないクラウディアであったら、彼女が当主に着いてから申し出たら、すぐに許可をくれるだろうが、果たしてエルベルトがそんなことを許してくれるだろうか。

 婚約が決まったのは中等部のとき。何度か長期休暇のときに、家族ぐるみでお茶会をして話をしようと試みたが、彼を前にすると上手くしゃべることができなかった。彼の乱暴過ぎる言動がおそろしく、彼女がついつい泣き出してしまうため、何度彼に舌打ちされたかわかりはしない。

 最終的には決まって彼に睨み付けられて、こう言われた。


「お前……泣けば全部終わると思っているだろ?」


 そう尋ねられて、返す言葉が見つからなかった。

 やがて、次の授業のために移動する時間になった。次は現代文学の授業であり、少しだけ楽になると思いながら歩いていると、セシリオがまたもどこかのクラスの女学生に言い寄られているのが見えた。

 たしか商家上がりの令嬢だったと思う。


「ねえ、セシリオ様。今度ぜひとも私たちとお茶をなさいませんか? 実家から大量にお菓子が送られてきて困っていますの」

「大変申し訳ないけどね、ひとりで女性たちのお茶会には行かないようにしているんだ。誰かひとりでも婚約者がいたら、先方に誤解を招くかもしれない。食堂でお茶会をするのだったら、ありがたく出かけるのだけどね」

「まあ……私たちのことをこんなに気にかけてくれるなんて、光栄ですわ」


 クリスティナは少しだけしょんぼりとした。彼が優しいために、声をかけられるのはよくわかる。

 身分が高過ぎず、婚約者とそこまで仲睦まじくない。その上彼の言動はひどく優しいから、一見すると優柔不断にも見える。隙だらけに見えるからこそ、こうやって付け込まれるのだ。


(どうしましょう……これって婚約者のふりをしている今だったら、止めに行ったほうがいいの?)


 周りを見るが、下手につついて騒ぎを起こしたがらないらしく、皆そっと見なかったふりをして歩いて行く。

 クラウディアが毛嫌いしている社交界の大人の対応である。クリスティナはしばし考えてから、すう……と息を吸い込んだ。今は髪をきつくまとめ上げているおかげで、緊張感が抜けきらない。


「ちょっとあなた、なにしてらっしゃるの?」


 毎日聞いているクラウディアの声に、女学生はたじろいだ。一方のセシリオはにこやかだ。


「やあ、クラウ」

「ごきげんよう、セシリオ……あなた、人の婚約者になにしてらっしゃいますの? 困りますわ」

「わ、私はただ……お菓子の始末に困って……」

「困ってらっしゃるのなら、教会にでも配ってしまいなさいな。喜んで信者に配られるでしょうね」

「で、ですけど……!」

「セシリオ、参りましょう。授業に遅れてしまうわ」

「そうだね、申し訳ないけれど、やはりお茶会には行けないよ」


 そう言って彼女を置いてけぼりにした。

 口汚いことを言ったクリスティナは、心臓をバクバクさせていた。


(お姉様はいつも格好よくしゃべりますけど……これで正しかったのかしら? もっと強そうにしたほうがよかった?)


 クリスティナがひとり反省会をしている中、隣でセシリオは緩やかに笑っていた。


「今日のクラウはずいぶんと強気だったね」

「そう? いつものことだったけれど」

「最近はずいぶんと調子を崩していた、というか虫唾が走っていたのかな? もう王都出身の子たちを嫌い過ぎて、しゃべるのすら億劫になっていたから、これだけ怒ったのは久し振りじゃないかな?」

「そのつもりはなかったんだけど……」


 セシリオの指摘に、クリスティナは内心しまったとしょげ返っていた。


(お姉様の心証を悪くしてしまったのでは……私の中での格好いいお姉様像に固執するあまり……私の馬鹿ぁ……)


 そうひとりで落ち込んでいる中、セシリオが謳うように言う。


「気持ちがいいんじゃないかと思うよ。社交界だとどうしても湾曲的な物言いばかりになってしまうからね。それが社交術だとしても、時としてははっきりと言ったほうがいいことだってある。僕も見習ったほうがいいね」

「そ、そうなの……」

「じゃあさっさと行こうか」


 クラウディアを褒められたのだから、少しは喜べばいいのに。クリスティナはそれを素直に受け止めることができなかった。

 しこりが残っている。


(……まだまだだわ。私……お姉様が取られたくないんだわ)


 どれだけセシリオが優しい人であったとしても、淡い気持ちを持っているとしても、クリスティナの優先順位の一番はクラウディアであった。

 そう思い込もうとして、彼女は自分自身から別のものがふつふつと沸きはじめていることに、気付くことすらなかった。

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