3
地下一階にある手洗い場と非常口が隣接しているすぐそばにあるエレベーター。ただエレベーターには”故障中”の張り紙がある。ずっと故障しているなとは思っていたがさほど気にも留めなかったエレベーター。これが影裏という場所への入口らしい。
上下のボタンをメモにある順番通りに押す。押し終わるとランプがつき、私は中へ乗り込んだ。乗り込んだ後に、更に私は666999とボタンを押す。なんだこれ。まるでゲームの隠しコマンドみたいだ。
エレベーターが動き出した。普通であれば最後に押した九階へ行くはずが、エレベーターは上昇ではなく下降を始めた。私は一体どこに連れていかれるのだろう。というか、ここ警察署だよなと疑いたくなる状況だ。
時間にして三分ほど降下を続けたエレベーターはすっと停まり扉が開いた。扉の先は暗く無骨なアスファルトの壁を挟んで狭い廊下が続いていた。
いよいよ気味が悪くなってきた。私はとんでもない事に巻き込まれてしまったのではないか。言いしれぬ不安と恐怖が私を覆い始めていた。
この資料は何なのだろう。私はまだその中身に目を通していなかった。ここには一体何が書かれているのか。まっとうな部署ではなく、こんな怪しげな部署にまわされてしまうような何かが書かれているのか。だとしたら、それは一体……。
やがて歩いた先で一枚の鉄製の扉が私を出迎えた。
“影裏”
扉にはまるで家の表札のような木の板が張り付けられていた。
――さっさとこれ渡して帰ろ。
こんこんと扉をノックしてみる。反応はない。もう一度ノックする。
「すいませーん」
やはり反応はない。私はドアノブに手を書けた。捻るとガチャっと扉は空いた。
「失礼しまーす……」
私は恐る恐る中を覗き込んだ。
「……すっご」
思わず声が漏れた。そこには想像していたものとは全く違う世界が広がっていた。
淡い灯りの中、部屋の真ん中には立派な木製の机と椅子がぽつんと一つ置かれている。一目見て上質なものだと言う事が分かる。これがひょっとするとこの影裏という場所にいる人物のデスクワークなのだろう。
そして机を取り囲むように壁際にはぎっしりと本棚が置かれ、棚にはびっしりとファイリングされた資料と思わしきものが敷き詰められていた。さながら小さな図書館のようだ。
「すいませーん」
改めて呼びかけたが、誰からも声は返ってこなかった。留守なのだろうか。鍵をかけないとは不用心だなと思ったがこんな場所だ。人の出入りがそもそもほぼないのだろう。外部の人間が簡単に来られる場所ではないという認識なのかもしれない。
だとしたら梅崎先輩は何故この場所を知っているのだろう。ここにいる人間と知り合いなのだろうか。
まあいい。とにかくここには今誰もいないらしい。机の上にぽんっと依頼された資料を置いた。これで任務完了。私の仕事は終わりだ。とっととズラかろう。
「……んー」
と思ったが、私はこの空間に少し興味が湧いていた。こんな怪しげな所に来る機会などそうそうないだろう。少し見させてもらうかと私は棚に近付いた。
棚の中に収められた無数のファイルの背表紙には管理するためのファイル名だろう、”File No A-110”といったように記号が記載されていた。私は中を開き読んでみた。
「……嘘でしょ」
そこに記載されていたものは一つの事件だった。内容は小学校一年生の女児が行方不明になったというものだった。
その日、母親と娘はスーパーで買い物をしていた。歩くときははぐれないように常に手を繋いでいたのが、一瞬娘の手が母親から離れた。おやと思い目を向けた時には、既に娘の姿は消えていた。母親の証言ではその間僅か一秒ほどの出来事だったという。
すぐにその場で娘の名前を呼び探したが見つからず、焦った母親は館内放送での呼びかけを依頼した。それでも見つからなかった為、ついに警察へと連絡する事になった。
警察はすぐに監視カメラの映像を調べた。消える直前、そこまでは確かに母親の言う通り仲睦まじく歩く二人の姿が映っていた。しかしその瞬間は唐突に訪れた。
カメラに背を向け歩く二人。その後ろを一人の男性が通り過ぎた。ちょうど娘の姿に重なるように歩き去った直後、娘の姿が消えていたのだ。
映像を見ていた者達は全員顔を見合わせた。見間違いかと思い、何度もその場面も巻き戻したが、何度見返してもやはり同じだった。まるで合成映像や手品でも見せられているかのように、娘の姿は消失したのだ。そして次に娘の消失に気付いた母親が、不思議そうに周りを見回す様が映し出されていた。
ありえない状況だ。一人の人間が大衆の中で忽然と姿を消した。しかも、消失した瞬間を誰も目の当たりにしておらず気付いてもいない。まるでそんな女の子なんて最初からいなかったのように。
――神隠し。
私の頭に一つの言葉が浮かんだ。私は他のファイルにも目を通した。やはりそこには私が想像していたものばかり収められていた。
「ははっ……マジで?」
ここがどういう場所なのか納得した。冗談みたいな話だが、耳にする事はあった。
数多の事件。その中でも未解決として蓄積されていくものがある。証拠不十分や様々な理由があり埋もれていく事件。そんな中でも、説明がつかない事件がこの世には存在している。
つまりここはそう言う場所だ。物理や科学で説明も証明も出来ない、処理が不可能な非現実的な事件が行き着く事件の墓場。いわば未解決事件のゴミ箱部署だ。
という事は、私がここに持っていくように依頼されたあれも、そういう事なのだろう。
「……帰ろ」
長居するような場所ではない。私は速足で扉の方へと向かった。
がちゃ。
どうやら逃げ遅れたらしい。扉の向こうから音がした。ぎぃっとゆっくりっと扉が開く。
決して悪い事をしたつもりはないが、勝手に入った事がバレた時、この部屋の持ち主に咎められないとは言い切れない。隠れようかとも一瞬思ったが、そう思っている間に扉の向こうの人物と目が合った。
「おや、不法侵入」
神秘的で奇妙。彼を見た瞬間に頭の中に飛び込んだイメージはその二言。
すっきりとした細身の身体にフィットした上下共に黒のスーツに黒のシャツという漆黒の出で立ち。くしゅっとパーマがかった肩先まで伸びた銀髪。薄くすきっとした輪郭に細い目つき。女性のような見た目だったが、発せられた声は男性のものだった。
男はスマートながら驚く程の速度と共に一瞬で私との距離を詰め、私の手首を掴み後ろ手に捻った。
「いたたたたたた、ちょちょちょっと痛い痛い!」
「はい逮捕」
ガチャっと手首に何か金属的な物が嵌められた。その瞬間、やはり梅崎先輩に絡むとろくな事がないとあらためて思った。
――最悪。
刑事になって警察署内で同族に逮捕されるだなんて夢にも思わなかった。お父さん、お母さん。ごめんなさい。
「さて、事情聴取でもしようか」
男性の声はどこか愉快そうだった。
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