逆転世界ノ電池少女 伽藍戦記

小太刀右京/KADOKAWA 単行本・ノベライズ総合

序章

 共通歴1941年12月7日、東部時間では12月8日のことを思い出すことのない米国人はひとりたりともいないだろう。

 あの日こそはあれから長く、冥く、我々栄光あるアメリカ合衆国という国家の上に覆い被さった敗北の歴史、その第一歩であり、そしてもっとも呪わしき瞬間であった。

 私たちの築き上げてきた文明、民主国家や産業革命と呼ばれるそれらの存在がどれほどガランドウで、脆く、壊れやすく張り子の虎であったか、それが満天下に示された瞬間であったのだ。

 あの日以来、合衆国はベトナムで破れ、アフガニスタンと中南米から無惨な撤退を繰り返した。私は息子や孫たちが、私と同じようにそれらの名誉なき戦場で砂と泥にまみれるのをじっと見てきた。

 あれから半世紀以上の時が過ぎた。

 私は長く沈黙を守ってきた。

 それこそがあの戦いで死んだすべての兵士たち、すべての市民の鎮魂につながると考えたからだ。

 だが時は流れ、私は老い、人々の記録もまた扇情的なものに埋め尽くされるようになった。一兵士の仄聞したものがすべてであるはずもないが、私の老いた記憶がまだ確かであるうちに、あの時起きたことを語りのこそうと思う。

 私はヘンリー・カットナー。

 あの戦争を戦ったすべての人々に、この文章を捧げたい。


 *


 その日は日曜日だった。

 私は海軍兵学校(アナポリス)を出て少尉に任官したばかり、まだ二十歳そこそこの若造で、戦場のことはなにも知らなかった。

 両親はマサチューセッツ州の旧家の出で、メイフラワー号とともにフロンティアに移民してきたことを誇りにしていた。そんな両親があの三角破風屋根の家、ボストンの屋敷を捨ててサンフランシスコへと転居し、そこで事業を始めた理由については、私は幼かったから何も聞かされていない。あるいは1927年、まだ海軍の軍人だった父がFBIと共同で行なったあのインスマス襲撃作戦に関わりのあることであるのかもしれないが、そのことについて父は最後まで語らぬままだったし、語らぬほうがよいこともあるのだろう。

 先を急ごう。

 開戦の噂はずっと前から流れていた。

 日米通商航海条約、あのペリー提督から引き継がれた日米間の通商条約を合衆国が打ち切ったのは1939年7月、執行したのは昨年の一月。それに引き続いて合衆国が石油の対日輸出を全面禁止したのは、昨年の八月だった。

 大陸を侵略しようとする日本に対して経済制裁が必要であり、これは平和のための措置なのだ、と唱えられていた。今でも歴史の教科書はそう教えているかもしれない。

 そういう側面がなかったとまでは言わないが、事実は今少し複雑だ。

 ひとつに、合衆国もまた日本同様に大陸へ食指を伸ばしていた。東北三省、当時でいう満州の利権を確保しようとし、日本に袖にされたのだ。そのために、合衆国は栄光ある孤立主義をかなぐり捨て、大陸側に味方することで、巨大な市場を確保しようとした。

 いまひとつは、西海岸を中心に広まっていた日系移民社会への恐れ、もっといえば差別意識だ。合衆国は移民によって築かれた国家であることを誇りにしていたが、実際には移民内部に大きな格差が存在した――日系人たちは崇める神が違い、習慣が違った。土地所有が禁止され、ついには借地すら禁止された――私たちは彼らを安い労働力と考えているだけで、対等の市民とは考えていなかったのだ。

 勤勉に働く日系移民たちは大陸系移民同様に恐怖の対象となり、やがて合衆国を乗っ取るのではないかと語られ始めた。黄色人種たちによる白色人種への人種戦争なのだ、という論が声高に語られ、強硬策と穏健策があれば常に前者が選択された。

 日本では10月16日に文民内閣が総辞職し、軍人出身の総理が組閣した。これで、日本が戦争を決意したことは間違いない、と判断された。

 だが私たちは高をくくっていた。

 すでに特殊工作機械、鉄およびクズ鉄、石油、航空ガソリンの添加剤など戦争に不可欠な物資の対日輸出が禁止されていた。これは、日本がアメリカに対して戦争を行うための、もっといえば大陸で続いている戦争を行うための物資が止まったことを意味していた。

 もはや日本が平和以外への道を選ぶことはないであろう、と確信していたのである。

 そうでなければあの朝、私がキティ――当時のガールフレンドで、先住民と米兵の間に生まれた娘で、太陽のように素敵な娘だった――のベッドで一晩を過ごして、至極のんびりとした気分で士官用宿舎に戻るなどということも、当然ながらなかったのである。

「戦争になるの?」

 事実、キティは不安そうに訊いたものだ。

「なぜそう思うんだい、キティ?」

「新聞に書いてあるわ。本土の新聞じゃなくて、ここの新聞よ……日系人が多からニュースに強いの。合衆国が最後通牒をつきつけたから、明日にも戦争になっておかしくないって」

「ならないよ。新聞屋ってのは、多少過激なことを書くほうが売り上げが上がるって考えるような奴らさ」

「でも、本当にそうなったら、こんな小さな島を守ることができるの?」

「戦争になったとしても、戦場はフィリピンだ。ここまでは来ないさ。それに」

 私はキティを抱き寄せてキスした。

「もし仮に、日本人たちがとてつもない可能性に賭けてここまで来たとしても、この島の守りは万全さ。何ができるものじゃあない」

 私は幾度、自分の愚かしい言葉を思い出しては呪ったことだろう!

 そう、私たちは本当に高をくくっていたのだ――。この太平洋艦隊司令部まで、日本軍の攻撃能力があるはずがない。いや、仮にあったとしても勝算がないことを悟り、戦端など開くはずもない、と。

 ああ!

 私たちは思い出すべきだった。ワシントンで愛国者ミニッツメンたちが立ちあがった時、アラモの砦で愛国者たちが押し寄せる帝国主義者に叛旗を翻した時、彼らは“勝算”を問題にして戦ったというのだろうか?

 たとえ敵が合衆国の百倍の国力をもっていたとしても、私たちが自由と民主主義、そして家族を脅威にさらされた時、私たちは“勝算”を問題にして戦わずして屈服するだろうか?

 まったく同じことだ。

 私たちは彼らを、コミックスの中のヴィランのように考えていた。滑稽で、愚かで、私たちヒーローの鉄拳を浴びればみじめに屈服するような輩なのだと考えていた(ここで、愛する孫ジェニファーから、“今のコミックスのヴィランはそういう存在じゃないわ”と指摘を受けたことを述べておく。だが、とにかくそういう気分だったのだ)。

 しかし、彼らは私たち同様“誇り”を持ち、“勝算”なき戦いに挑む気概を有していたのだ。


 *


 私がキティに語ったように、真珠湾の守りは万全だったのだろうか?

 もちろん違った。

 ヨーロッパではすでに戦争が始まっており、合衆国の関心はもっぱらそちらに当てられていた。

 太平洋艦隊司令は幾度も海軍上層部に対し、航空攻撃の可能性を訴え、防空網の充実を唱えていたが、上層部は来たるべき欧州戦線に備えるべきだと考え、太平洋艦隊司令部の防備については現状で十分だと考えていたのである。

 まあ、だからといって、我らの司令部が先見の明に富んでいたとはいいがたい……彼らはこの島の防衛そのものは陸軍の任務だと考えていたから、対空警戒は海軍ではなく陸軍の責任だと考えていた(そして驚くべきことではないが、陸軍の側も海軍に責任があると考えていた)し、日曜日の朝七時、宣戦布告の報が届けられても、日本軍の攻撃目標はフィリピンだと考えていたのだ。

 艦隊を一時湾外に脱出させるべきだと考えた幕僚もいたが、市民に無用な不安を与えるとして却下された。


 *


 6時30分。

 哨戒任務に当たっていた駆逐艦、<<DD-139 ワード>>は、特設沿海掃海艇<<コンドル>>より、正体不明の物体を発見したとの連絡を受け、急行していた。

 <<ワード>>が発見したのは、潜水艦の司令塔らしき“何か”だった。当該海域ではいかなる勢力の潜水艦も(米海軍も含め)潜航を禁止されており、司令長官からはどのような不審な船舶もためらわず攻撃の対象とせよとの厳命が出されていたから、<<ワード>>が戦闘態勢を取ったのは当然のことだった。

 私はキティにまたキスをして、次のデートの約束をしながら宿舎へと戻る途中だった。実際、私のこのような行動は日曜日でなければ許容されなかっただろうし、実のところ父の威光のようなものが働いていたことも否定できない。

 

 *


 6時42分、太平洋艦隊司令部に配備されたばかりのレーダーサイトは、所属不明機の機影を捕らえた。それが何を意味しているのか理解していたものは誰もいなかった。レーダー士官はそれを、極秘訓練中の爆撃機編隊を捕らえたか、さもなければノイズだと考えて無視するよう告げた――実際、この時代のレーダーはまったく信用ならなかったからだ。


 *


 6時45分。

 <<ワード>>号の艦長は注意深く不明艦への接近を続け、それが人工物であり、友軍のものではないことを断定した。冷静かつ的確な判断であったことは間違いないだろう。

 同艦に搭載された50口径4インチ砲四門が火を噴いた。

 <<ワード>>の乗組員たちは勇敢で、いずれも訓練で鍛え上げられていた精鋭であった。彼らは波間に浮かぶ小さな潜水艦の司令塔を狙い撃ちするに十分な技倆を備えていた。

 単装砲の砲撃が金属片を飛び散らせ、海をもうもうたる硝煙で包んだが、艦長は油断というものを知らない男だった。

 彼はさらに艦を潜水艦へと接近させると、四発の爆雷の投下を命じた。

 水柱が上がり、重油の黒い染みが太平洋のコバルトを汚した。

 あきらかに敵潜水艦に痛打を与えた証明であった。潜水艦戦において、撃沈された艦は永遠に浮かび上がってくることはなく、その死が確認されることは珍しい。艦長は敵手の死を悼むと、「国籍不明艦に対して砲撃および爆雷投下を敢行。撃退せしものと判断する」との電文を司令部に向けて打電した。

 最終的に回収されたのはわずかな金属片だけであったが、予想される敵潜水艦からの反撃もなかったことから、<<ワード>>号はおそらく小型の偵察用潜水艦のごときものであったのだろう、と判断した。

 <<ワード>>号の艦長がこの判断を後にどう捉えていたかはわからない。彼は1944年12月7日、奇しくもちょうど三年後に日本軍の攻撃を受けて<<ワード>>号と運命を共にしたからである。

 だが、すくなくともこの時、<<ワード>>号が遭遇したものがなんであったのか、何を意味したのか理解しているものは誰もいなかった。


 *


 7時ごろ、艦隊司令部は興奮と動揺に包まれていた。

 宿舎から駆けつけた私も同様だった。

 日本が宣戦布告を行ったというのである。

 我々士官の間では、太平洋艦隊司令部が日本軍の攻撃対象となる可能性についてはかねてから議論されていたから驚くべきことではなかったのかもしれないが、それでも先の大戦から二十年近くが経過しており、“戦後組”である我々にとっては瞠目すべき出来事だったのだ。

 とはいえ、日本の主攻撃目標がマレー半島とフィリピンであろうことについて我々は疑いをもっていなかった。彼らの確保すべき目標はまず石油であるはずだったからだ。

 それに何よりも、長駆して太平洋艦隊司令部を奇襲することは難しく、撃退されれば日本海軍はその虎の子の戦力のすべてを開戦と同時に失うであろう。

 我々はそう結論づけた。

 いや、そう信じたがっていたのだ。

 結局のところ我々は、自分たちが戦場、父や祖父たちが戦ったあの恐るべき世界大戦の戦場に出ることを恐れ、どこかで自分たちが“戦わずに済む理由”を探していたのだろう。

 今となってはこれも滑稽な話だ。

 私たちが戦った戦争は、父や祖父たちが戦ったそれよりもはるかにおぞましく、呪わしいものだったのだから――。


 *


 7時55分。

 ローガン・ラムジー中佐は空を見上げていた。

 紅いマーキングをつけた艦上爆撃機が飛行場に向けて急降下してくるのに気が付いたのだ。

「どこのお調子者だ」

 彼は芝居がかった人物として定評があった――彼の息子であるローガン・ラムジーJrもこの時期は俳優志望であり、この戦争がなければそのまま映画俳優になっていたと噂されていた――このときもやはり芝居がかっていた。

「飛行機乗りって奴らはスタンドプレーを見せることにしか興味がないのか。おい」

 そこまで言って、彼の顔色が変わった。

 艦上爆撃機の下部、爆弾を取り付けているフックが外れているのに気が付いたからだ。

「お調子者の上にバカ野郎だ。担当整備士ともども吊し首にしてやる。僕の星ではこれが普通なんだとか抜かすんじゃないだろうな、アルフ!?」

 ラムジー中佐は顔色を変えてまくし立てた。機体番号を控えておいて、どうでも軍法会議にかけるつもりだった

「いえ」

 彼の隣にいた当直士官、アルフレッド・ゴンザレスの顔は、驚愕を通り越して凍り付いたように冷たかった。まるでTVショーのパペットのように無表情だった。

「あれは敵機です」

「何!?」

「赤い丸のマークが見えました。あれは……」

 彼らの目の前で、格納庫が派手に爆発した。

 500ポンド爆弾の直撃だった。

 

 *


――this is not drill.


「――これは演習ではない」


 ラムジー中佐の発した電文は、合衆国中を駆け巡った。

 どこまでも芝居がかった人物だった。

 その報告は遠くワシントンにも届けられたが、その報告を受けた海軍長官の第一声は、

「ありえない! 誤報のはずだ! 第一次攻撃はフィリピンのはずだろう!」というものだった。

 すべてはあまりにも楽観論に基づくものだった。

 我々は敵の動きを余すところなく把握し、いかなる情報網も盗聴に成功していると信じて疑わなかった。

 建国以来我々はあまりにも勝ちすぎ、負けるということに慣れていなかった。

 そして海軍長官に報告した作戦部長は大きなため息と共にこう答えた。

「いいえ。誤報ではありません。太平洋艦隊司令部は空襲下にあります」

 そしてこう付け加えた。

「そしてこれで凶報は終わりでもありません」


 *


 事実だった。

 7時57分、ラムジー中佐が打電を行うより早く、戦艦<<ウェストバージニア>>の腹に、日本軍機の投下した魚雷が突き刺さり、その巨体を傾がせた。

 私は司令部から飛び出し、神に祈っていた。

 白銀の翼を連ね、赤い太陽のマークを描いた日本軍の飛行機が何十機も、我々の頭上を我が物顔で飛翔していたからだ。

 彼らの技倆は恐るべきものだった。

 超低空で我々の監視をすり抜け、私のいる司令部から彼らの顔が見えた。少年のように幼いその横顔は、鍛え抜かれた戦士のものだった。

 コミックスや映画のプロパガンダの中で繰り返し描かれた、物真似しか能のない猿のような日本人はどこにもいなかった――美しくすらあった。

 次の瞬間、戦艦<<アリゾナ>>、我々太平洋艦隊の象徴と見なされていた<<アリゾナ>>の主砲を、500ポンド爆弾の直撃が粉みじんに吹き飛ばした。

 何が起きているのかはもう誰の目にも明らかだった。

 その先のことを思い出すだけで、私は今も震えが止まらない。

 8時10分、私たちの目の前で、<<アリゾナ>>の前部火薬庫が爆発した。

 とっさに荷物の陰に隠れ、耳を塞がなければ私の鼓膜はどうにかなっていたことだろう。

 だが、その後に目撃した光景に比べれば、私の聴覚の無事など取るに足りぬことだった。

 おぞましい光景だった。地獄について私が想像していたものの百万倍も恐ろしかった。

 黒色火薬の濛々たる煙が、崩れゆく<<アリゾナ>>の上に、不吉なキュクロープス(単眼巨人)のように君臨していた。

 おそらくは、艦載機カタパルト用の火薬に引火したものであったのだろう。漆黒の魔煙は、<<アリゾナ>>の巨大な艦橋を覆い隠すほどだった。

 だが、その煙の下で繰り広げられていた光景たるや! 嗚呼!

 人と鉄の焼ける異臭が周囲を満たした。母の名を、神の名を叫ぶ絶叫が絶え間なく響く。私の口からも同じ悲鳴が漏れていただろう。

 生きながらにして焼かれる水兵たちが、地獄の炎に包まれた甲板から煮えたぎる海へと飛び降りていくその様は、糸の切れた操り人形が舞台から落ちるかのようだった。

 そして、全身を炎に焼かれた人々が水中に救いを求めたとしても、その焼けただれた皮膚に生命を支える力があろうはずもなく、海面にこぼれた油に燃え移った炎の前に力尽きて沈んでいくのだ。

 そして私たちはそれをただ見ていることしか出来なかった。

 つい先刻まで戦友の誓いを立てたはずの男たちが、合衆国の旗とともに栄光をもって見上げたはずの戦艦が助けを求めているにもかかわらず、だ。

 上空では、死を告げる怪鳥のごとく襲い来る日本軍の爆撃機が、執拗かつ大胆な攻撃を繰り返していた。

 戦艦<<オクラホマ>>も舷側に魚雷と爆弾の集中攻撃を浴び、まるで崩れ去るバベルの塔のように傾ぎ、水中に没しようとしていた。<<オクラホマ>>の甲板から脱出した水兵の何人かは必死に波間を漂い、まだ戦う意志を見せていたが、より不運なものたちは、<<オクラホマ>>に襲い掛かった爆弾の破片や、飛び散った<<オクラホマ>>の残骸に五体を切り裂かれ、あるいは紅蓮の炎に飲まれて、なすすべなく死んでいった。

 漆黒の煙が港を包んでいた。

 私たちはこれが悪夢であってくれと、知る限りの神と聖人に祈っていた。サンタクロースやコミックのヒーローに祈っている者もいたが、それを笑うものは誰もいなかった。誰でもよかった。これは我々の恐れが見せている幻影なのだと言って欲しかった。

 だが、黒い煙の向こうに広がっている地獄めいた光景は、まぎれもない現実だった。阿鼻叫喚の叫びと、それをかき消す轟音とが、果てしなく、果てしなく続いていた。

 戦艦<<カリフォルニア>>は対空砲の弾薬庫に誘爆して派手に爆発した後、艦首にさらに急降下爆撃を浴びてなすすべもなく沈みつつあった。

 最初の魚雷を浴びた<<ウエストバージニア>>もご同様だった。何発もの魚雷と爆弾とが彼女を包み込み、美しかった船体は湾の水底へと引きずりこまれて行くところだった。

 私たちは空を見上げていた。今にも、合衆国の誇る最新鋭の戦闘機部隊が現れて、日本軍を叩きつぶしてくれるのではないかと期待していた。

 だが、映画の中のように、騎兵隊がラッパの音とともに現れることはなかった。

 そう、港が攻撃を受けていたのと同じように、敵は我々の飛行場の配置を完全に把握しており、集中配備されていた戦闘機・爆撃機に対して猛烈な攻撃を行っていた。

 分散配置するべきだ、という意見もあったのだが、この島には日系移民が多く、彼らが反乱を起こした時に小規模な飛行場が点在していると容易にゲリラに破壊されることになる、という憶測が、司令部に集中配備を選択させたのだ。

 完全に愚策だった。

 日本軍の正確な爆撃は飛行場の燃料タンクを粉砕し巨大な火柱へと変え、駐機していた我が軍の戦闘機を執拗に破壊した。爆撃機だけでなく、上空制圧に参加していた戦闘機隊も果敢に地上に強襲をかけ、機銃で戦闘機とパイロットたちを粉砕したのだ。

 わずか十五分のことだった。

 我々は、若いボクサーに現実を教えてやるチャンピオンのつもりでリングに立っていた。だが現実には、我々は素手で若い虎の前に投げ出された老いたボクサーだったのだ。


 *


 十五分間の破壊と殺戮の後、まるで潮が引くかのように、日本軍機は上空から去っていた。

 教科書に載せたいほどのヒット&アウェイだった。

「さあ、こうしちゃいられんぞ! 第二波は必ず来る! 今のうちに対空陣地を構築し、負傷者を救出するんだ!」

 そう、誰かが叫んだ。

 私が叫んだ、と言いたいところだが、とんでもなかった。

 私はその瞬間まで完全に茫然自失していて、正直なところ木偶人形も同然だったし、小便を漏らしていることにもまったく気が付いていなかったほどだった。

 とにかく、誰かがそう言ってくれたから、ああそうか、そうするべきなのだ、と機械的に動いただけだった。

 周りの多くもそうだっただろうし、おそらく、口にした者もそうだったのかもしれない。もしかしたら、誰も何も言わなかったのかもしれない。

 実のところ、分からないのだ。

 戦友会で何度か聞いたこともあるが、誰の返事も同じだった。皆、手柄として言いそうなものだったが、そうではなかった。

 あの時、あの地獄で、何らかの能動的な意志を持っていた者など、いなかったのだ。

 ただただ、誰かの言葉に従って体を動かしていれば、次の瞬間に自分の頭の上に爆弾が落ちてくるのではないか、という恐怖を忘れることができた。それだけのことなのだ。

 告白するが、私は両親のことも、キティのことも何ひとつ思いだしはしなかった。

 ただ、生き残ってしまっただけだ。

 それだけだ。


 *


 とにかく私たちは使えるものならなんでもかき集めた。

 対空砲や機関銃はもちろんのこと、私物のライフルまで引っ張り出され、ガレキや残骸を引っ張り出して即席のバリケードを作った。誰もが第二波攻撃のあることを確信していた。傷ついた太平洋艦隊にとどめを刺しにこないはずがないからだ。

 撃沈された戦艦から脱出した水兵たちも、健在だった戦艦<<メリーランド>>などに移動し、対空砲に取り付いた。

 我々の戦意は高かった。復讐に燃えている者もいれば、私のようにただ惰性で動いている者もいた。

 だが、とにかく砲弾を運び、砲座を据え付けているその時には、まだ自分は生きているのだ、と感じることができた。あの海に投げ出された哀れな死体の群れに、あるいは廊下に並べられてうめいている瀕死の負傷者たちの列に、まだ自分が加わってはいないのだ、と考えられたのだ。

 それだけで良かった。

 持ち上げるだけで腰が砕けそうになる巨大な対空砲の弾薬を運びながら、それが士官の仕事であるかどうかすら考えず、私たちはただ、生きていた。


 *


 そして第二波は来た。

 いまだ収まる気配すら見せぬ黒煙を背景に、銀翼を連ねた敵機の群れは、一糸乱れぬ動きで艦隊へと殺到してきた。

 その数、78機。

 百機にも満たぬ、というのは後知恵の感想であって、当時の我々にとっては、空そのものが敵ではないか、と感じられた。

「やはり、敵の狙いは艦隊だな」

「とどめを刺すつもりだ、畜生」

 対空砲に取り付きながら、そういうことを言った、と記憶している。

 私が敵の提督ならば、作戦の優先順位は


①太平洋艦隊に所属する主要艦艇の撃滅

②重油タンクおよびタンカーの破壊

③主要港湾施設の破壊


 となるだろう、と私はその時ぼんやりと考えていた。

 ①を達成しなければ、そもそも奇襲を行う意味がない。生き残った太平洋艦隊は間違いなく日本への復讐の牙を研ぎ、猛然と襲い掛かるだろうからだ。

 ②を達成すれば、少なくとも一年、下手をすれば数年の間、太平洋艦隊の動きは大きな制約を受ける。いかに本国に豊富な石油があろうと、その備蓄は貴重なものであり、またその輸送施設を失うことは断固として回避しなければならないものだからだ。

 ③は①と②を達成した上でのみ意味を持つ。破壊され、沈没された艦艇も引き上げれば修理できるかもしれないが、そのためには港の修理施設が必要だ。また、港そのものを長期的に使用可能にさせれば、①②よりの立ち直りはさらに困難になる。

 であるから――。

 まず①を達成するために、この第二波で艦隊を徹底的に叩く。②、③を無理に狙えば、空母の保有する限られた艦載機の数故に、虻蜂取らずになる可能性が極めて高い。そして、第三波攻撃で②、③を達成するのが彼らにとっての理想であろう。

 では我々の取るべき選択肢は何か。

 艦隊の損害をゼロに抑えることはできまい。いや、すでに半ば潰滅していると言っても良い。

 しかし、①を諦め、②③を達成させないとすれば、どうか。

 すなわち、第二波の航空攻撃に対し痛打を与え、第三波を断念せしめれば、重油タンクと港湾施設は守られ、潰滅した艦隊の復旧も容易となる。そうなれば、資源に勝る我々は長期的な勝利を得ることができよう。

 私たちはそう考えていたし、後の回顧録で艦隊司令部も同様に判断したことが裏付けられている。

 そして、私たちはそうした。

 最良の判断を下したと言ってよいだろうし、その戦いぶりに恥じるところはない。


 *


 8時54分。

 敵機動部隊より発した<<ヴァル>>、日本側の呼称でいえば<<九十九式>>艦上爆撃機が大気を切り裂き、生き残った艦隊目がけて急降下を開始した。

 もはやそれを、我々の模造品だと考える者は誰もおらず、その爆撃の正確なることについては疑いようもなかった。

 彼らは海風を切り裂き、一歩間違えば墜落する超高速の降下を行い、地表ギリギリで爆弾を投下するとそのまま反転急上昇して離脱する、という離れ業をやってのけるだけの一流のパイロットたちだった。

 その威力は第一波で証明済みであったし、そして今からも証明されるだろう。もはや損害のない勝利など有り得ないことは誰の目にも明らかだった。いやそもそも、勝利などあるのかすら疑わしかった。

 だが、第一波とは異なる条件がふたつあった。

 ひとつは、彼ら自身の残忍な攻撃が招き寄せた火災による黒煙だ。第一波では日本軍は自由に蒼穹を飛翔し、思うさま我々の攻撃目標を捉えることができた。だが、第二波では違った。彼らは黒煙を避けて飛翔しなければならなかったし、煙に隠された攻撃目標を視認するために取れるコースは限られていた。

 ふたつめは、そのまさに限られたコース上に、私たちが必死に配置した対空火器の火線が配置されていたことにあった。日本軍は、我々の設置した弾幕の回廊にみずから飛び込むほか、選択肢がなかったのである。

 恐ろしい光景だった。

 私は港の機関砲座で、対空砲撃の指揮を取っていた。もし、彼らがその気になってすこし侵入コースを変え、私を爆撃することを選べば、一瞬で私たちは地上から消滅していただろう。

 だが日本人たちはそうしなかった。恐るべき果敢さを持って、生き残った艦艇へと急降下を続けていくのだ。

 彼らは死を恐れていないのだろうか?

 そんなはずはなかった。あの時私が見たパイロットの横顔は、確かに人間のものだった。

 ただ勇気を、おそらくは愛国心によって突き動かされ、巨大な爆弾を抱いた航空機で紅蓮の回廊へと飛び込んで行くのだ。

 曳光弾を含んだ対空砲弾は、まるでオレンジ色のシャワーのように見える。光輝いているのは、その光芒によって私たちが火線を観測し、命中率を高めるためだ。戦艦と港の双方から吐き出される嵐のごとき砲撃が、何機もの爆撃機をかすめ、その構造材を吹き飛ばした。

 何機かは、堕とせた。

 だが制空権の欠如はいかんともしがたかった。

 上空では出撃に成功したケネス・テイラー中尉らの戦闘機隊が孤軍奮闘し、何機かの敵機を落としてはいたが、やはりそれだけだった。


 *

 

 黒雲のごとき日本軍の爆撃は、永遠に続くのではないかと思われた。

 湾を脱出しようとしていた戦艦<<ネバダ>>は脱出をあきらめ、対空砲撃を続けながら、沈没を回避するためにみずから座礁した。

 私はひたすら空を睨んでいた。

 一機、また一機と確実に敵機を撃退、あるいは撃墜していたが、それ以上に爆撃はあまりにも熾烈だった。

 機銃掃射が幾度も私のそばをかすめ、そのたびごとに戦友の誰かが死んでいった。

 私はそれが誰なのか考えることはしなかった。ただ、次の“くじ”に当たるのが自分ではないように、自分になるとしたら、せめて一機でも多くの敵を殺せれば、と考えていた。

 なんのためにこの砲を撃っているのか――。

 なぜこの砲座に張り付いているのか――。

 なぜこの空を見上げているのか――。

 そんな疑問が、何度も脳裏をかすめた。

 戦場というのは不思議なもので、すさまじい轟音に満たされているためか、脳がエラーを起こして、静寂であるかのように感じることがある。

 その時がそれだった。

 永遠に続くのではないかという反復射撃の中で、私はひどく青い空と、赤い炎と黒い煙、そして白銀の戦闘機を「ああ、美しいな」と感じていた。

 私という存在が空に溶け込むかのような果てしない射撃、それは実際のところ一時間ほどで終わりを告げた。

 戦艦<<ネバダ>>座礁・大破、戦艦<<ペンシルバニア>>中破、他、小型艦に被害甚大なるも重油タンクおよび港湾施設への被害軽微。

 日本軍側の撃墜は20機を超え、70機以上の敵機が甚大な損害を受けた。想定される日本軍の空母が六隻程度とすれば、一隻あたり60機の艦載機を搭載しているとして、戦力の約20パーセントが喪失したに等しい。第一次攻撃隊の損害と兵員の疲労を考えれば、30パーセント以上であろう。

 第三波はない。

 あったとしても、それは自暴自棄の攻撃だ。こちらは<<ネバダ>><<ペンシルバニア>><<メリーランド>>などの砲は依然健在で、攻撃された飛行場でも復旧が進んでいるはずである。一方、補給のタイミングを考えれば第三波は早くて翌朝。そうすれば、日本軍は復讐に燃える我々の牙の中に飛び込んでくるはずだ。

 今から思えば――。

 私たちは何も学んでいなかったのだ。

 常に戦争の女神は楽天的な観測を持つ愚か者に罰を下すのだと、艦隊司令部が攻撃を受けたその時に私たちは理解すべきだったのだ。

 我々の安寧、我々の信じている普遍の真理なるものは氷山の一角に過ぎず、その水面下には人が知る由もない、絶望的で虚無のごとき運命が潜んでいるのだと。


 *


 そして、10時4分。

 それは私たちの前に訪れた。

「おい、あれはなんだ、ヘンリー」

 そう言ったのは、同期の士官候補生、インゲ・ピックマンだった。

「あれとはなんだ。士官ならもっと明瞭な……」

 そこまで言いかけて、私も、インゲが“あれ”と呼ぶしかなかった理由をすぐに悟った。

 それは巨大な頭だった。

 鋼鉄の、人に似た頭部が、確かに海から上がってきたのだ。その頭部だけで、小型車ほどの大きさがあっただろう。

 実のところ、それが何を意味するのか私たちは本当に理解できていなかった。

 最初に東部戦線で戦車を眼にしたドイツ兵と同じことだった。目の前の常識が完全に破壊された時、人間は一様に同じ反応をする。

 理解できるまで、それを見ようとするのだ。

 私たちがそうだった。

 海から上がってきたそれは、神話のポリュペーモスさながらの巨人だった。

 鋼鉄の装甲板を持ち、鎧を着た騎士にも、不格好な人の模造品のようにも見えるそれは、巨大な銃――ただしくは砲を手にしていたから、兵器なのだ、とようやく理解できた。

 全高20フィート(約6メートル)の、機械人形。

 私はそれが意味するものが何か、皆目理解することができなかった。

 巨人は砲を構え、呆然とみている私たちの前で、その巨大な指で律儀にトリガーを引いて見せた。

 私たちの背後で、重油タンクが爆発した。

 そしてようやくその時、私はその巨人の装甲に『真国日本』と書かれていることに気が付いたのだ。

 呆然と――

 呆然と対空砲を撃ちながら、私は子供の頃好きだった冒険小説のことを思い出していた。

 冒険小説の中で主人公は、無知な未開人たちの前で、マッチで火を起こしたり、日食を予言したりして神と崇められるのだ。圧倒的な知識によって尊敬される快感を想像するのが嬉しくて、私は何度もベッドの中でそれを読み返した。

 だが――今、その未開人は、私たちだった。

 百年前のアメリカ人の誰もが、航空機が戦争をする時代を想像できなかったように、読者諸氏には理解できないことだろうが、当時の私たちには、人型兵器の有用性どころか、人型の兵器が戦争をするという“常識”すら何ひとつ理解できていなかったのだ。

 とにかく、私は砲撃を命じた。

 巨人の腕に取り付けられた機関銃で砲手が吹き飛ばされた後は、私自身が取り付いて撃った。

 愛国心のためでもなく、復讐のためでもなく、背後にいる民間人のためでもなかった。

 消えそうな正気を保ち続けるために、このあまりにも絶望的で戯画的な現実の前に私の魂を守るためには、撃つこと、抗うことが必要だった。

 それだけだ。

 抗わなければ、私は人間ではいられなかっただろう。

 何十発か、何百発かの射撃が巨人に浴びせかけられたが、巨人は淡々と湾内を破壊する作業に従事していた。私はゴリアテに立ち向かうダビデではなく、巨人の足下の蟻にすぎなかった。

 海中から現れたポリュペーモスは、一体ではなかった。十体近い巨人たちは、それぞれに備えた武器で、まるで我々の配備を知り尽くしているかのごとく、的確に港湾施設を破壊していった。

 最初の巨人、私の前に現れたあの巨人が、ライフルを構えた。

 その銃口の先にあるものを知り、私は慄然とした。

 油槽艦<<ネオショー>>だ。

 航空機用の燃料を満載した<<ネオショー>>は戦艦<<メリーランド>><<テネシー>><<ウエストバージニア>>に守られる形で今だ湾内にいた。本来ならば第二波攻撃時に離脱する手はずだったのだが、敵航空機隊の爆撃は、<<ネオショー>>の足を完全に止めており、艦隊は<<ネオショー>>への爆撃を阻止するのが精一杯だった。

「やめろ」

 私は叫び、さらに撃った。

 なんの効果もないことはわかっていたが、とにかくそうした。

 そして、砲撃が轟いた。

 巨人の放った超高性能焼夷徹甲弾の一撃が<<ネオショー>>の腹を貫き――すさまじい爆発の衝撃波がすべてを吹き飛ばした。

 ああ――。

 それこそが本当の悪夢だった。

 <<メリーランド>><<テネシー>><<ウエストバージニア>>は完全に破壊された。

 重油タンクのすべては破壊し尽くされ、港湾施設も粉砕されていた。

 私は戦友と部下と上官の屍にまみれて、ただ巨人たちを見上げていた。

 それが――<<伽藍人形(ガランドール)>>が世に現れた第一日であり、我々の栄光が地にまみれる、その最初の弔鐘だった。

 

 *


 私たちの報告は、誰からも信じられなかった。

 巨大な人型兵器による湾の崩壊を証拠づけるものは何もなかった。まともな写真は一枚も撮影されておらず、港湾施設の破壊は日本軍の爆撃と工作員による破壊活動の結果だと結論づけられた。

 私は本国に送還され、長い取り調べと精神鑑定の後に釈放され――そこで、流れ弾に当たったキティが家族もろともに死んだと聞かされた。

 私は決意した。

 たとえ、だれもあれの存在を信じなかったとしても、あの鋼鉄の巨人を打ち倒さねばならないと。

 そうでなければ――私が生き残ってしまったことに、意味などないのだと。

 そのときの私は本当にそう愚かにも信じていたのだ。


 伽藍戦記 序章―太平洋の伽藍人形―

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