皇帝への遺書



◆◇



 「彼は、許してくれるだろうか?」

ぽつんと、ナイペルクはつぶやいた。


 枕辺のマリー・ルイーゼが、顔を上げた。

 再びナイペルクが眠ってしまったと考えたのだろう。彼女は、編み物をしていた。


 「彼」が、誰を指すか、もちろん、マリー・ルイーゼには、わかっているはずだ。

 ナポレオンとの間の息子、ライヒシュタット公フランツ……、


 だが、彼女は、聞こえないふりをした。



 ……自分は、彼から、母親を奪い取った。

 心に空洞を抱えたまま、彼は成長した。微笑みと優雅さで孤独の悲哀を隠し、昨年会った彼は、立派な、オーストリアのプリンスになっていた。


 手遅れだ。

 もう、償いは、できない。


 自分の体のことは、自分が一番良くわかる。この病から、もう助からないことを、ナイペルクは、悟っていた。

 それで、去年、ウィーンへ帰った際、妻から皇帝に、二人の結婚を話してもらった。


 思ったほど、皇帝は驚かなかったと、後から妻は語った。



 ベッドに横たわったまま、力を振り絞り、ナイペルクは尋ねた。

 これも、今までに何度も、繰り返している問いだ。

「皇帝に、アルベルティーナとヴィルヘルムのことは、話しましたか?」


 妻の答えは、いつも同じだった。

「もちろんですとも」


 さらに、ナイペルクは、質問を重ねた。

「二人の年齢を、きちんと、お伝えしましたか?」


 それでも、皇帝は、二人の存在を許してくれたろうか。姉弟が、ナポレオンマリー・ルイーゼの前夫の存命中にできた子とわかっても。


「……ええ」

マリー・ルイーゼの返事が、一拍、遅れた。


 ……マリー・ルイーゼの言うことを、信じるべきではない。

 ナイペルクにはわかっていた。


 彼の、子どもたちへの危惧は、差し迫っていた。

 妻には伝えていないが、イタリア半島の情勢は、緊迫している。マリー・ルイーゼが、君主として治めるパルマもまた、水面下で、不満が燻っていた。


 近いうちに、民衆の蜂起が起きるだろう。

 いずれ……自分の死後……母子が、この国を逐われる可能性は、かなり高い。


 その時、妻の、愛しいダーリンアルベルティーナと、まるぽちゃの小さなおでぶちゃんヴィルヘルム……両親を、「シニョーラ」「シニョール」と呼ぶよう、躾けられた子どもたち……は、どうなってしまうだろう。


 ウィーンに、彼らの居場所は、あるのだろうか。


 そうでなくとも、パルマ領有は、マリー・ルイーゼ、一代限りのことだ。たとえ、二人が、彼女の子と認められたとしても……そんなことがありうるのだろうか……、子どもたちに、領土パルマ相続権はない。


 ……もうこれ以上、不幸な子どもを増やしてはならぬ。

 ナイペルクは決意した。


 苦しい中で、彼は、ウイーンの皇帝に向けて、手紙を認めた。

 アルベルティーナとヴィルヘルムに、どうか、庇護の手を差し伸べてくれるように、と……。


 妻には内緒で、彼はそれを、前妻が産んだ息子に託した。







 アダム・アルバート・フォン・ナイペルクが亡くなったのは、年が明けた(1829年)2月22日のことだった。

 アルプスのヨーハン大公が、長年の想いを実らせ、アンナ・プロッフルと正式な結婚式を挙げた、6日後のことである。



 死因は、水腫症。※

 55歳だった。


 ナイペルクの葬儀は、聖パウロ教会で、国葬によって、挙行された。


 しかし、マリー・ルイーゼは、喪服を着ることができなかった。

 ナイペルクはパルマの首相にすぎず、彼女の正式な夫ではなかったからだ。









fin








*~*~*~*~*~*~*~*~*

※水腫症

体の細胞などに、水(リンパ液)が貯まる病気です。

心臓病、腎臓病、肝臓病などが考えられます。




お読み下さって、ありがとうございます。

他サイトではこの後、「『ドン・カルロス』異聞」が入るのですが、カクヨムさんでは別立てでアップロードしてありますので、ご興味のある方は、そちらをご覧下さい(ヨーハン大公のお話でもご紹介しています)。

「プリンス」と「スパイ」が友情について語り合う場面と、シラーの戯曲『ドン・カルロス』が、入れ子構造になっています。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887051396


「黄金の檻の高貴な囚人」は、まだ続きます。この後もお付き合い頂けたら嬉しいです。







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