死神と狂戦姫

中村雨

第一部:死神と狂戦士

序章

プロローグ①:狂戦士と死者

北の果て。

 凍てつく山脈から流れ出す巨大な氷河の中にさえ、封印迷宮ダンジョンは存在する。

 氷壁に異質な顔を覗かせる神代に創られた魔法の建材と、氷河をそのまま利用した美しい悠久の氷の迷宮。

 その凍てつく空気の中で、剣を振るう武装した集団。

冒険者パスファインダー』だ。

 蠢く死体アンデッドの群に取り囲まれていた。


「姫様ッ!」


 冒険者パスファインダーの男の一人が、迫りくる蠢く死体アンデッドを斬り伏せながら、彼らの陣頭に立つ、毛皮と鎧を纏った黒髪の女性を呼んだ。

 大男でも扱いが難しいであろう、身の丈を超える長大な剣を、切っ先を揺らすことなく横一文字に振るうと、彼女に飛び掛かろうとした蠢く死体アンデッド数体が肉片となって飛び散った。

 その重装備にしては痩せた体格に尖った耳。

 妖精族ティーエ

 女性しか生まれず、寿命が人間族ノイエよりも遥かに長いこの不思議な種族は、北部では珍しくない。

 北部諸侯を束ねるウルスス連王国では人間族ノイエ妖精族ティーエ、二つ種族の王と元老院が合議で治める双王制を取っているからだ。

 冒険者のパーティも四人の人間族ノイエの男女に混じって、ヴィオと呼ばれた大剣使いの他に、術を操っている妖精族ティーエがもう一人居た。

 後方から炎の濁流が蛇のようにのたくって飛び、ヴィオの剣戟の隙をついて飛び掛かった蠢く死体アンデッドを焼き払った。


「ヴィオ様、〈爆炎流ヴァスフラム〉も今ので打ち止めです、後退しましょう!」


 その妖精族ティーエの〈魔術師ウィザード〉の女性が叫ぶ。


「だめよレオナ、わたしが後退すれば総崩れになる。持ちこたえている間に皆を下がらせて!」


 だが、言っている傍から、ヴィオと呼ばれた大剣使いの周囲を護っていた小さな蒼い魔法陣が蠢く死体アンデッドの爪を受けて砕け、光に還った。


「〈楯の霊術ベイル〉が破られました! 後退を!」


 霊術を施した〈僧侶プリースト〉の男が叫ぶ。

 しかし、ヴィオは下がらない。

 踏み止まっているというよりは、後から後から群がってくる蠢く死体アンデッドを斬り払うので手一杯だった。

 手を止めれば、死体の波に飲み込まれてしまう。

 黒髪を振り乱し、一心不乱に大剣を振るう。

 迷宮の奥から、次から次へと溢れ出してくる青黒い燐光を放つ蠢く死体アンデッド


「『群』や『巣』の話は訓練所で習っているけども、これは異常だ」


 ヴィオには、まだ思考を巡らせる余裕があった。

 だからパーティの仲間が、とうに限界を超えていることに気づくのが遅れた。


「数が……数が多すぎる! うぁああああ!」


 右翼を懸命に支えていた〈戦士ウォーリア〉が気を抜いた瞬間に押し倒され、蠢く死体アンデッドの群の中に飲み込まれた。

 死体に駆け引きは通用しない。

 痛みも恐れもなく、ただただ喰らいつこうとする原始的な暴力。

 波を斬ろうとする剣のごとく磨き上げた技巧は歯が立たず、ただただ打ち払う膂力だけがモノを言う。

戦士ウォーリア〉の背後から、正確な弓で援護していた〈斥候スカウト〉も剣に持ち替えて応戦しては居るが、もう助けは間に合いそうにない。

 その点についてヴィオは恵まれていた。

 クラス〈戦士ウォーリア〉の膂力ですら凌ぎきれない蠢く死体アンデッドの群を薙ぎ払うほどの力は、ヴィオの本来持っている筋力を優に超えている。

 守護天使アンヘルに授けられた『クラス』の加護パッシブだ。

 しかし、その加護パッシブでさえ、この状況を打破するだけの力はない。


「〈楯の霊術ベイル〉をもう一度私に!」


 だが、返ってきたのは悲鳴だった。

 身をひるがえして見れば、左を守っていた〈戦士ウォーリア〉とその後方にいた〈僧侶プリースト〉が、もろともに蠢く死体アンデッドの群に飲み込まれていた。


「ヴィオ様、私を置いて逃げてください!」


 ヴィオの背後に居た〈魔術師ウィザード〉のレオナがそう叫んだ。

 彼女は〈爆炎流ヴァスフラム〉のスキルを使い切り、残っているスキルは精々〈魔力の矢マギロア〉と〈眠りの砂サンドマン〉。

 どちらも蠢く死体アンデッドの群をどうにかできるスキルではない。


「こうなれば……せめてアナタだけでも逃げて、レオナ」

「――! いけませんヴィオ様! 〈狂戦士バーサーカー〉のスキルは危険すぎます!」


 博学な〈魔術師ウィザード〉のレオナはそう言うが、進退窮まった以上、逃げる余裕も、出し惜しみする意味もない。

 ヴィオは己が宿業に賭けてみることにした。


「ユニーク・クラスが守護天使アンヘルの強き加護だというのなら、その権能スキルを示せ! ――吼え猛るもの! 太古の衝動、原初の霊脈、魂の鼓動、命を燃やすものよ、汝、魂より出でて、汝、悉く骨となり、汝、悉くを灰燼と帰せ――生まれ出でて、死に往くものよッ!」


 クラスを拝領することで、ヒトは魔力粒子グリッターダストを操ることが出来るようになる。それに形や方向性を与えるのが『スキル』だ。

 この守護天使アンヘルから与えられるスキルの中には、危険なものもあり、その起動の際には、起動詠唱アクティベートと呼ばれる呪文が必要だった。

 ヴィオの唱えた起動詠唱アクティベートは、魔術師ウィザードのスキルよりも長い。


「〈狂戦士バーサーカー〉の四番ッ! 〈狂戦士化グロウラー〉!」


 ユニーククラス〈狂戦士バーサーカー〉のスキルが起動。血のように赤い粒子が沸き上がり、ヴィオを覆う様に狼の幻影を描き出す。


「ぐるおおおおおおおおお!」


 美しい妖精族ティーエの口から出たとは思えぬ咆哮が、封印迷宮ダンジョンに響き渡った。

 物理的圧力をともなう咆哮に、意思のないはずの蠢く死体アンデッドが慄いた。

 瞬きの間、静止した時間を切り裂いて大剣が弧を描く。

 死者の濁流だった戦場の中心に、血風乱れ飛ぶ竜巻が顕れた。

 精緻な文様の掘り込まれた美しい妖精族ティーエの大剣が、どす黒い血と死肉がこびり付つこうとも、嵐のように舞う剣は鈍ることはなく、黒血と骨と肉が鋼に咲き、赤黒い狼の幻影を纏う戦士が舞う。

 銀の刃の黒い嵐は、すべての蠢く死体アンデッドを肉片に変えるまで続いた。


 やがて――


「ぐるるるる……」

「ヴィオ……様……ごほッ」


 血の泡と共に絞り出した〈魔術師ウィザード〉の声で、ヴィオは正気に戻った。

 もはや周囲に動くものはなく、死者の群をすべて屠り去ったその刃は、守りたかったはずのレオナの胸に突き立てられていた。


「あ……ああああ……私は……なんてことを……」


 血の泡を吹いたレオナの目に光はなく、事切れていた。

 だが、絶望している暇はなかった。

 今はまだ蠢く死体アンデッドにはなっていないが、襲ってきた死体の中には、冒険者の装備を纏ったものも居た。

 あの物量から考えても、この近辺の村の墓地などからも死体が消えていただろう。

 この封印迷宮ダンジョンのゲートを護る深淵の悪魔ディアブロ――ゲートキーパーはおそらく死霊を操る権能スキルを持っているのだろう。

 今すぐにここを離れなければ、蘇ってきた仲間の死体と戦う羽目になる。

 ヴィオは持ち上げることも儘ならない大剣を魔術師の胸に残し、その額に別れの口づけをすると、満身創痍の身体で封印迷宮ダンジョンの入り口へと向かう。

 だが、意識が保ったのは十数歩だった。

 壁を頼りにしても支えきれず、身体がくずおれる。


「だめ……か……」


 仲間も、愛しい人も助けられず、痛みと疲労と絶望にヴィオの意識は途切れた。


      ***


 その様子を覗いていた視線があった。

 少し伺ってから、二人の小さな人影が床の隠し扉を開いて現れる。


「まだ息がある」


 人間族ノイエ妖精族ティーエに比べると、半分ほどしかない身長。

 精霊族リルトト

 ウルスス北部の山中に住む、氷の精霊族ダルト・リルトトだった。


せ。そいつは〈狂戦士バーサーカー〉と言っていたぞ、ユニーク・クラスだ。それも敵味方の区別なく滅ぼし尽くす、神代の曰くつきのクラスだなんて」

「だが姫様と呼ばれていたぞ。妖精族ティーエの姫だ。助け出せばウルスス連王国から褒美が出る」


 褒美という言葉で、反対していた精霊族リルトトの男の気は緩んだようだった。

 精霊族リルトトは名に精霊とはあるが、山野に暮らし、魔力粒子グリッターダストに親和性が高い以外は、基本的にはヒトの種の一つには違いなかった。


「よし、運び込め。後はこの姫様の運に任せよう」


 二人の精霊族リルトトが、ズルズルとヴィオを引きずり込むと、隠し扉が閉じて、辺りの床と見分けがつかなくなった。

 隠し扉が閉じて少し経った頃、新たな蠢く死体アンデッドが、のそりと、その上を通った。

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