第3話 狂愛の神域に至る鬼
何故そんなことをしたのかと問われれば、輝夜は犬を見捨てるようで気が引けたと答えるだろう。
ソファーで店屋物のカツ丼をがつがつと食べる青年。
人間離れした青い色素を持つ髪色に、金色の人なつこい目。
それだけで人外だというのに、立派な角が二本生えているのだから、まごうことなく鬼という生き物だと予感させてくれる。
鬼はやたらでかい背丈を縮こまらせ、雪の降る外、それもゴミ捨て場で眠っていたものだから見捨てる行為ができなかったのだ。
いい加減このお人好し癖をどうにかせねばなるまい、と感じ取りながら鬼を改めて見つめる。鬼という割には、随分と調った見目をしている。
鬼はカツ丼を食べ終わると、割と熱めに淹れたお茶だというのにぐびぐびと勢いよく飲んで、腹を落ち着かせたようだった。
「人間の食い物ってうまいんだな、こんなにうまいもん食べたの何十年ぶりだ」
「それはよかった」
輝夜は、それでは帰って貰おうと言葉を続けようとしたのだが、鬼が興味津々に事務所を見つめきょろきょろするものだから声をかけるタイミングを失う。
「おねえさん、此処に住んでいるのか?」
「でないと君に先ほどの食べ物は出せなかったね」
「ええと、東から三百五十六歩目の、西から二千二十九歩の……よし、覚えた!」
「うん? 此処を覚えてどうするのだね」
「おねえさんに毎日会いに来る! 俺はね、
吉野はにぱっと牙を見せながら人なつこい笑みを浮かべ、行儀悪くも机の上に座る輝夜の両手を爪の伸びた手でぎゅっと力強く握った。
にこにことしてる笑みには薄ら朱が灯っている。これは、些かよくない予感がする。
「毎日来ても相手はできないよ、私にだって仕事はあるんだ」
「俺が会いに来たいんだ! おねえさんの顔が見たい」
とろんと蕩けた眼は、電灯に照らされてもきらりと人外の輝きを放っている。
言葉に詰まっているうちに、吉野はそれじゃあねありがとう、と帰ってしまった。
こめかみを抑え、幾らか考えているとそこへいつものくせ者がやってくる。
「先生、またよくないものに取り憑かれてる」
「今回も自業自得だな」
市松は面白おかしい様子で部屋の匂いを嗅ぐ仕草をし、瞬いて驚いた。
驚いてからもう一度匂いを嗅ぎ、輝夜へ可哀想な物でも見る声を投げかけた。
「神域の匂いがする。神様の系列ってえやつは、執着心が強すぎるから厄介ですよ」
「神域? きたのは、鬼だぞ。青くて金色の目をしていた」
「金色の眼を持つ者は、神域の証です。赤い、とかなら兎も角ね」
「神域に入る鬼……やばいやつってことかい」
「真っ当に関わると碌でもない出来事になりますよ。最終的には攫われて、あやかしにされるかも」
「はははははは、まさかあ! 人が簡単に物の怪になってたまるか」
このときの脳天気さを後に輝夜は、毎日届く花でもって思い知る。
*
毎日毎日、花を持ってきては吉野は輝夜に手渡した。
にこにこと幼子が褒めて貰いたい顔で、輝夜に渡す物だからすっかり輝夜は油断し吉野に悪い想いは抱かなかった。
吉野は実際、教え込んだら掃除までしてくれるから大助かりだ。
それに比べて吉野とすれ違いにたまーにやってくる市松ときたら、お気に入りのレースゲームでネット対戦を好き勝手して帰るだけ。
あとはたまに、一緒に休憩でお茶したり。
どちらかというと、世間から見ても百人中百人が吉野の方を一緒にいるならと選ぶだろう。
吉野は人の懐にするすると入り込むのが、やたらとうまかった。
十年はかかるだろう距離感の話も、吉野になら二ヶ月であっという間にしてしまった。
それくらい仲の良さが、一気に親密となっていた、なりすぎていた。
だからこそ、輝夜は吉野の持つ仄暗い性質に気づかず、吉野もまた鬼だという現実を忘れていたのだろう。
とある日、市松と吉野がばったりと鉢合わせたのだ。
市松がいつも通りお気に入りのレースゲームを飽きずにネット対戦している間に、吉野が花を抱えやってきた。
吉野は市松を見ると、やたら鋭敏な眼差しで市松を睨み付けた。
一方市松はというと、我関せずといった対応は変わらないのか、ゲームをしたままだ。
「おねえさん、この人誰ですか」
「市松という胡散臭い奴だ」
「どうも胡散臭い人の、市松文字です」
適当感溢れる輝夜からの紹介と、市松自らの自己紹介に吉野は額を抑えて唸った。
吉野から見ても、市松はよろしくない物に見えるのか、大層心配してくれた。
「この人は追い出したほうがいいよ、おねえさん!」
「どうしてだ。物の怪ということなら、君もだよ」
「そうなんだけど……おねえさんもどうして胡散臭い人を事務所にあがらせるかな!?」
「うーん、どうしてだろうね」
「先生は僕のことがだあい好きなのですよ、それによって免罪符となってるの」
「まあ嫌いではないな」
二人の適当さに満ちたやりとりで、二人の間柄では冗談を言い合った日常茶飯事なのだが、過敏に吉野は反応した。
目を見開き、牙を見せ唸り、持っていた花束をぶちぶちと千切り一気に人外と納得いく面相になった。
「どうした」
「許さない……おねえさんが、他のやつを、愛するなんて。許さないからな!」
「え?」
「それでも愛するというのなら、おねえさんを食べる。食ってやる」
「どうした、吉野。市松はただの……」
ただの何だろう。言い表せない関係だ、たった一言で言えない関係だ。
友達でもなんでもないし、かといって腐れ縁でもない。
ただお互いの気紛れによって続いた仲なので、明確に言えなかったのだが、その言いよどみが益々吉野を怒らせた。
金色の眼を血走らせ、ぎろりと二人を睨み付けた。
「俺の獲物だ、この人は!」
「あらやっぱり餌だったんですか、先生のこと」
「違う! そんなつもりじゃなかった! 俺は、真剣に、愛、愛して、いたのに」
吉野は手をごきごきと変形させると、一気に事務所を荒らした。
吉野の周りに強風が纏い付き、その風の一部で強度が脆い調度品は真っ二つに割れたり、破壊されていく。
そんな状況でも輝夜は状況を理解できず、ただ参ったなあと思案していた。
市松は面白おかしいのか爆笑しながら両手を叩き、吉野を貶す。
「貴方やめときなさい、この先生という御方は酷い御方だ。人の気持ちにやたら鈍いんだ」
「五月蠅い! 俺は、俺はそれでもおねえさんが好きだったんだ! 骨をかみ砕いて、体内に取り入れたい衝動を必死に我慢しても仲良くなりたかった!」
「鬼である本性に逆らってまで付き合うような価値のある御方なのかしら? 僕はとってもそうは見えないのよ」
「五月蠅い、黙れ、黙れ!! 貴様も食ってやる、この狐が!」
「残念、狐面をしているけれど、狐ではないのです」
それでは市松は何の物の怪だというのだろう、と気になったあたりで、吉野は事務所にあった物という物を壊しにかかっていた。
がしゃんがしゃんと戸棚が倒れていく、凄まじい力だ。中には本や重い機械や書類が入っていたというのに軽くひっくり返された。
参ったな、と輝夜はひらりとひっくり返された本の間から落ちてきた栞を拾う。
それは押し花で出来た栞、吉野の持ってきた華で作った栞だった。
栞を手にしたまま吉野に押し倒され、肩口に血が吹き出るほど強く噛みつかれ、輝夜は顔を顰め唸った。
吉野は最初気づかなかったが、徐々に輝夜の持つ華が一番最初に自分が持ってきた花束の中にあった花で作った物だと気づけば一気に殺気を消した。
「おねえさん……」
「痛いから離してくれないか」
「……どうして、そんなのもっていたんだ」
「贈り物が嬉しくて持っていた。純粋に有難うの気持ちがこもった贈り物は、中々無い。君のような感情に素直で無邪気な人と出会えるのもレアケースだしね」
輝夜は肩口を押さえながら、吉野を見上げ、さらりと頬を撫でて吉野の涙を親指で拭った。
吉野は一気に顔を真っ赤にさせ輝夜から身を離し、そのまま駆けだして逃げた。
「先生、いいんですか? とっておきの鬼払いの札作る職人も紹介できますが」
「いいんだ、悪い子じゃない。きっと、いつか、仲直りできるさ」
輝夜は栞を大事にポケットへ入れて、病院へ。
病院で手当を受け、帰宅すればそこには謝罪を意味した花言葉の花束が、扉前に置かれていて輝夜は思わず幼く笑った。
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