探偵はそして安堵した~小咄集~
かぎのえみずる
市松の顔 編
第1話 吸血鬼の悲哀と悲愛
デジタルが進んだ中でも、デジタルではなくきちんと現像された写真が裁判には有効なので、お気に入りの一眼レフで撮った代物だ。
真っ黒いセミロングの髪の毛をさらりと風に揺らし、茶色の眼でもってその現場をしかと見届けると、紅色のリップで弧を描いた。
セピア色のシャツにサスペンダーをつけ、チェックのスキニーパンツを履きベレー帽を被った昭和の探偵たる風貌だ。
輝夜は二十になったばかりの女性であり、見目はそれなりに調っていたが、愛嬌があまりなくもてることはないほうの部類である。
美人でも愛嬌がなければ遠のかれるという奴である。ましてや職業が、探偵などという妖しい職業であれば正常な人であれば遠のく。
輝夜に近寄ってくるのは正常ではない人ばかりのため、近寄ってくる異常性の多さに輝夜はすっかり慣れきっていた。
依頼人と話したり、役場の人間と話して、「あ、久しぶりにまともな人と話している」とさえ感じる。
輝夜自身はまともかどうかは自覚はないが、世間とずれている感覚は覚えがある。
世間の人々が動画やテレビに集中したり、流行の話題に追いつこうとしたがる中で、輝夜は五十年前に没した売れない作家が唯一出したたった一作品の本に夢中になるくらいだったのだ。
本の名前は「この世で最後に日が暮れたら」という安直な物で、内容もさほど変わった内容ではない。
ミステリーで探偵が刑事と協力して解決するというだけの内容。
だが夢中になった。輝夜は兎に角夢中となったのだ、そこから探偵という職業に憧れ現在はれてなれた身だ。
十代の頃から修行したり、バイトをしたりで仕事内容になれていったが、いかんせん浮気調査ばかりという状態を知っていく輝夜。
それでも、輝夜のまわりは異常ばかりなので、日々に飽きる行為はなかった。
輝夜が現場写真を撮りおわり、帰りに自分へのご褒美だと「チョコシュークリーム」を買った帰り道だった。ついでに弁当も買った。今から自炊するにはあまりに疲れている。
神経が張り巡らされていて、兎に角何にでも気づきやすい状態だったのだ。
通り過ぎた路地裏に、何か宜しくないモノがいる気配がした。
此処で見なかった振りをすればよいものを、輝夜はこの日神経が活発で気づいてしまったのだ。
立ち止まって路地裏をまじまじと見つめると、路地裏には女性と抱き合う男が一人。
それだけなら家でやれよ、というだけの行為だが何かが違う。
振り返った眼鏡の男の口元にはどす黒くべったりとしたものが覆われていて、眼鏡の男は目に涙を滲ませ輝夜を凄まじい殺気で見つめてから、逃げていった。
女性は放り捨てられ、首元にふたつ大きな穴を開けて出血をしていた。
はてさて、これは――。
とりあえず、手元にあった携帯で警察を呼ぶこととした。
……また第一発見者として暫く疑われる日々が過ごされるのだろうな、と輝夜は遠い眼差しをした。
*
真っ昼間だがカーテンをひいてる為に、室内はやや暗い。
逆光となる位置に机を置いて、椅子は太陽光を背に浴びている。
輝夜はあれから警察の取り調べを受け、何事もなくただの容疑者として一応は認められたので事務所兼自宅に帰り弁当を食べた。
まだ酸っぱくなっていなかったのでほっとした輝夜は、ぼんやりと思案していると呼び鈴が鳴る。
呼び鈴にいつものからかい癖のある変人だろうと思い決め、扉をゆっくりとした動作で開ければ確かにいつもの変人だった。
「先生、随分とご機嫌が宜しくなくて?」
「よくないものに会ったからね、君含め」
「まあ! よくないものって僕も?」
「日常で狐面してるやつは大体この世の物じゃないよ」
輝夜は扉の先にいた、狐面にプラチナブロンドの髪色をした背丈の高い男性は、狐面をずらしてにやにやとやらしく笑う口元を見せた。
冬だからという理由で着ているコートも何から何まで、怪しさの権化といったこの青年は名前すら変わり者だった。
本来名とはそういうものであるからそれは仕方ないとして、異常性が多くなる原因の一つであった。
それでいてさらりと輝夜の周りで起きそうな怪異を回避させるのが得意な男である。
どうせ来るだろうと思って買っておいたいなり寿司は正解だったようで、いなり寿司をくれてやると「コンビニのは甘すぎる」と言いながら好んで食べた。
「先生、僕ね、今日も大家さんと喧嘩してしまったの。ゴミの日が多すぎて面倒なの」
「ゴミの日には従うべきだから君が悪かろう」
「でも! でも、僕は頑張ったのよ、人間様に馴染むよう衣服や生活にだって気を遣った! 仕事だって何とか頑張って、清掃業を手に入れたもの!」
「清掃業って顔じゃあないんだよな、仕事中もそのお面つけてるのかぃ」
「はい! 仮面込みで働ける場所をお探ししましたので!」
「益々胡散臭いんだよな、君ってやつも」
今のところは何もしてないから見逃してるだけだよ、と輝夜の視線が訴えると市松はにやにやとしたまま最後のいなり寿司を口に放り込んだ。
勝手に淹れた茶を啜り、ふうと勝手に落ち着いてソファーに腰を深く沈めながら市松は片手を緩く振った。
「こんなに努力してる怪異様はいませんよ。先生のことも襲いませんし」
「自ら名乗ってるあたり、相当頭がいかれてる人種の部類であることは認める?」
「え、どうしてです?」
「普通の人間なら、自分はおかしな奴ですって正直者でさえ言わないさ」
「あらそうなの! 僕正直者だから、驚いちゃった! まあまあ、見過ごして貰うとして。先生、確かに宜しくないモノが背に見えますね」
この市松はある日から輝夜に懐き、事務所にやってきては巫山戯たり遊んだりしてくる。でもどれも最終的にはふりかかる災難を片付けてくれる為、むげに出来ないという存在だ。たとえ人外だとしても、身を守ってくれるうちは人外には人外をというわけで黙認している。どんな人外だかは分からぬし、見当もつかないが。
市松は輝夜の姿をまじまじと狐面越しに見つめると、ははあ、と唸りにやりとした。
じろじろと無遠慮な視線自体は気に入らないが、気にはならない。
「先生、宜しい。湯河原屋のいなり寿司で手を打ちましょう」
「君はいつも要求しないのに、今回は必要なのか。それほどに厄介かね?」
「ええ、何せ貴方は今、吸血鬼に取り憑かれている。いつも以上に命の危機です。とんだものに好かれやすい御方だ」
市松は手袋をした指をたてると、指を緩く振った。
その指を振る仕草にやたら昔めいた仕草をする男だと、輝夜は感じながら市松を見つめる。
「一週間様子を見なさい。周囲で誰がどのような目にあっても、貴方だけは助かる。だから一週間は大人しくしてなさい。勝負は一週間から先だ」
「毎回その変な予言で助かるのだから驚くよ、君には未来でも見えてるのか?」
「いいえ、同族の行動の予測を立てているのですよう。ぶち切れるならこいつなら何日間までだな、とかね。一週間後に様子をまた見に参ります。いいですか、湯河原屋のとびきり美味しいいなり寿司ですよ? あのワサビがはいったやつ」
「はいはい、用意しとくよ。今日もレースゲームしていくか?」
「はい! あのテレビゲームお好きなので!」
市松はテレビのレースゲームによく夢中になる。
輝夜の事務所にくるときは大体遊んでから帰る。
この異形と仲が良いのだから自分もたいてい、「異常」というやつでずれをまた再確認する輝夜だった。
*
市松が帰ってから一週間以内に、確かに事件は起きた。
輝夜は例の依頼人に報酬を貰いながら、写真を引き渡し互いにお茶をしているところであった。店内にいるとはいえ、時間帯は夜。迂闊であった。
自分が対面している席の奥に、あの日目撃した吸血鬼が座ったのだ。
吸血鬼は自分と目が合えば、にちゃあと笑いかけ、「次はお前だ」と指で示した。
このままではいかんな、と輝夜は直感的に予測したが、確かに市松は何もするなと言っていた。何があろうと何もするな、それは身を守る行為ですらするなという意味である。
ひとまず一緒に依頼主と店を出て別れて帰った次の日、依頼主はニュースの被害者となり現れた。
吸血鬼に噛まれれば同族になるという噂は嘘なんだなあと考えながら、死亡者として名を連ねた依頼人に手を合わせ冥福を祈った。
きっちり一週間が経った日。
市松が現れ、湯河原屋という近所の廻らない寿司屋のいなり寿司を強請った。
身の危険をうっすらと感じながら、輝夜は市松に約束のいなり寿司を献上すると大いに喜ぶ市松。
狐面をずらし、あんぐりと食べる市松は決して目元を見せてくれなかった。
「宜しい、約束は守りましょう。もし、襲われそうになったら、こう仰い。『最後の人が自分でいいのか』と」
「最後の人?」
「吸血鬼は吸血鬼で闘っているんですよ。自分との狂気とね」
湯河原屋のいなり寿司はそれなりの値段はする。
それでもたったそれだけのアドバイスで帰って行った市松を見ると、詐欺に出くわした気分となる。
意味が分からない上に、本当に効くのか分からないアドバイスだ。
――新たな依頼人と待ち合わせをし、帰ろうとした夜だった。
明らかに靴音がする。
かつかつと歩こうとすればブーツの音が鳴るのだがそれは此方の足音だから問題ないとし、問題はもう一つ此方に近づく早足の足音が鳴るのだ。
此方が立ち止まっても足音は途絶える行為はない。
かつかつかつかつかつかつかつかつ。
早足に足音は鳴り響き、流石の輝夜も焦って逃げようとすれば、足音は互いに走る足音となる。
足音がしかも相手の方が早い!
輝夜は一人人にぶつかって「すまない」と謝罪を告げたが、その後逃げたら背後でそのぶつかった主が襲われてる声がした。
その日はそれで事なきを得、次の日やはりニュースとなり現れるぶつかった存在。
再び輝夜は手を合わせてから、いよいよまずいと考え込む。
これは吸血鬼と二人になる場面を作らねば、被害が増え続ける一方だ。
輝夜は事務所の鍵を開けておき、わざわざ陣地を入りやすい場所とした。
十字架もにんにくも用意はしない。銀の弾だけはいつもお守りとしてキーホルダーで持ち歩いている。
ある日、事務所の扉がきぃと鳴った。赤い満月の日だった。
風が扉からふわっと寒気が入り込んだので、輝夜は目を眇め、辺りを窺うが人気が無い。
誰も来る気配がないのに、間違いなく殺気だけはあった。
やがていつの間にか背後に眼鏡の男は立っていて、輝夜は悲鳴をあげかけたが、市松の言葉を思い出し震える声で忠告しようとした。
しっかりと声を出そうとしながらも、声は震えどもる。
「さ、最後の人が、私でいいの、ですか」
自分でも情けない声だったと思う。それでも吸血鬼には充分だった様子で、吸血鬼は一気に殺気を消して悲しげに笑った。
初めて吸血鬼をまっすぐと見たが、確かに美形でやたらと美しい。
吸血鬼は手をひらりと振るとその日以来二度と会わなかった。
いつも通りレースゲームをしにきた市松に、あの言葉は何だったのかと問いかければ、面倒そうな仕草で市松は唸った。
「恋愛が失敗したんですよ、あの吸血鬼は。人里には降りてはならないのが、現状理性ある物の怪の常識。その中で降りてきたということは叶えたい思いが他者にあるということ。つまり、恋路。恋路が失敗したんでしょう思い人を殺したのねきっと、と予測するならあとはたった一つだけ」
市松は白い手袋に纏われた指先で、クッキーを食べてから紅茶を飲むとレースゲームで二位の成果をあげた。
「あとはたった一つ。最後に愛するのは恋人だったはずだと思い出させてやればいいんですよ。特別を他に作る気なのかと。人間と恋を誓ったなら恐らく、殺したくはなく。殺したいと思う特別は恋人か思い人のはずだ」
「君も何か想いがあって、人里降りてきた類いかぃ?」
「いいえ。僕は……欲しい物があって降りてきました。いつか分かるかもしれませんが、もし分かる日がくれば」
市松はレースゲームの再チャレンジを選択しながら、輝夜に向かって笑いかけた。
「その時はあんたが死ぬときだ」
ご機嫌に市松がレースゲームで次は一位となり、楽しそうに輝夜へ一緒に遊ぼうと呼びかける。輝夜は仕事があるといって丁重に断るのだった。
この自称物の怪の気紛れもいつまで続くのか、最大の謎である。
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