十五

第32話

 ハワイ沖、太平洋上赤道直下に目的の都市型軌道エレベーターはあった。

 地底、海上、空中、宇宙から成る四つの巨大都市空間に、その他多数の小島によって構成されている。百をも超えるエレベーターで接続されており、都市全体で軌道エレベーターの役割を担っている。

 ブラウザを開いたままに、食事をとる。温めた缶詰にパンと、簡単だったが悪くない。むしろ空腹だったからか、美味しいとすらも感じる。私は全てを食べきると、オレンジジュースで流し込む。

 私が乗っている列車は、間もなく海上層に着くはずだ。スターリンク衛星群に接続される宇宙層へと向かうには、乗り換えが必要となる場合がある。直通で一番早い便を調べていた時、正面の座席モニターが変わった。

 宵闇の中、多量の人工物が輝き放ち、光のピラミッドを作り上げる。空中には吊られた小さな島々が浮かび、それらを結ぶケーブルが航空機の為に光を使い合図を送っている。何千をも超す走行中のエレベーターが光り輝き、天より降り注ぐ流星群のように、また、全てを迎え撃つべく飛び上がる龍のようにも見えた。

 予定通り、海上層へと入っていく。私達を乗せた列車は速度を落とし、環太鉄道駅に滑り込む。車内アナウンスが間もなく停車を告げると、殆どの人が席を立つ準備を始めた。

「これ、どうぞ」

 列車が止まった時だった。先ほどの女の子が手を差し出す。開かれた小さな手には、青色の包みに入った飴があった。

「ありがとう」

 私なりに最大級の笑顔で、女の子に礼を言う。おそらく伝わっては無いが、恥ずかしそうに笑みを漏らす。母親の大きな手に抱き着くと、手を引かれながら降りて行った。

 鉄道駅のホームは、ガラスの床が敷き詰められて、更に下で数えきれない歯車が噛み合いながら回っている。黄金色の歯車が綺麗に噛み合う様子は、いつまでも見て居られそうで、子どもはもちろん、大人たちも足元ばかりを眺めていた。

 シズクを呼んで上層へと移動する。入国審査は一瞬で、誰よりも早くロビーに着く。

 日本とも、またアメリカとも違う。見たことないほど多くの人種が思い思いの言語で、談笑している。端末の翻訳で全ての言語が理解できるが、生身では相当な苦労が強いられるだろう。

 不意に大きくて低い、重く響くような音がフロア中に木霊する。見ればロビー中央の、黄金色の振り子時計が、丁度十時を指していた。

「行くよ、シズク」

 腰が引けているシズクに呼びかけ、建物内を移動する。ちょうど間もなく宇宙層への直通便が出るはずだ。立体地図を駆使しながら、エレベーターの搭乗口へと向かう。

 改めて手荷物検査を済ませる。当然、何も起こらない。席の予約もこれまで通り、端末が事前に済ませていてくれた。フロアを跨ぐ巨大な乗り場へと向かうと、既に扉は開けられて、乗客たちを待っていた。

 エレベーターと呼ぶよりは、大昔のロケットにも似た形状だった。唯一の違いはエレベーター本体を貫くケーブルで、遠目に見ても数メートルの太さがある。

 タラップを越えて搭乗し、席に腰かけベルトを締める。

 安心させようとシズクを呼び寄せ抱き上げるも、そんな心配無用です、とでも言わんばかりの表情だった。

 エレベーターとホームの扉が閉じていく。シートベルト着用サインが点灯し、アナウンスが離着陸時は席に座れと言っている。制服を着たスタッフが一つ一つ手際よく、荷物入れと、席のベルトを確認していく。全てのチェックが済んだ後、ついにエンジンが始動した。

 最初はリニアで加速するらしい。その後はエレベーター側の車輪で昇る。カタパルトにも似た強い衝撃が来るだろうと構えていたが、予想に反して穏やかな離陸だった。

 建物を飛び出し、初期加速を終える。速度も安定してきた頃、ベルトのランプが消える。他の乗客は、本を読んだりラップトップを睨みつけたり、思い思いにくつろいでいた。

 現在でこそ磁力によって離陸しているが、開発時には安価な気球を利用していたらしい。静寂性には理があったものの、本来影響無いはずの天候の影響を強く受けるため廃止された。次にロケットエンジンを搭載したが、こちらもすぐに廃れたようだ。環境問題や、メンテナンス性等の細々とした理由によって、現在のリニアが用いられるようになったそうだ。

 端末が集めた資料を流す程度で済ませると、全て閉じて窓の外に目を向ける。

 大きくて広大な光り輝く街並みが、瞬く間に小さくなる。私よりも大きかった建物は、気づけば小指よりも小さく、さらに小さく遠ざかっていく。円形の巨大な人工島の端には、歯車のように埠頭が並び、貨物船が停泊している。大量のコンテナの大半は、加工済みの宇宙資源のはずだ。推測を裏付けるかのように、貨物を積んだエレベーターとすれ違った。

 空中層のある上空一万メートルは予想したより近かった。

 エレベーターは一度停車し乗客を乗せ換える。深夜だからか、乗り降りする客は少なく、片手で数える程しかいない。五分もせずに扉を閉ざすと、更に上へと動き出す。

 地球の影に包まれて、地表は闇に沈み込む。空中層の街の光を除いてしまえば、見える光は空の星々ばかりで、それらも無慈悲な夜の女王に威圧されて消えかけている。

 揺られ続けて何時間も経過した。

 とっくに周囲の探索を済ませたシズクは、すぐ足元で丸くなって眠っている。季節の割には少し冷えるが、高度の割りには暖かい。

 低重力注意のランプが点いた。頭から離れる帽子を手に持って、寝ているシズクを抱き上げる。シズクはまだまだ眠たいらしく、両前足で顔を隠すとそれっきり大人しくなった。

 目指す先には宇宙層と、東西に無数の人工衛星が続く。地上から見るスターリンク衛星は星のようにも見えていたのに、宇宙から見れば遥かに巨大で、ラジエーターパネルを含めればサッカースタジアム以上の大きさはありそうだ。

 私の乗ったエレベーターが固定される。

 完全に停止したのを確認してからベルトを外す。席から立ち上がるだけなのに、無重力で身体が力む。思うように動かずに手すりから離れられない。他の人たちは降りたのに、私一人が動けないでいると、スタッフが慣れた様子で助けてくれた。

「スズネさんですね。お待ちしておりました」

 微弱ながらも重力があるホームにて、近づいてくる人影があった。パンツ姿のスーツの女性で、低重力でも髪が乱れぬよう綺麗にまとめ上げている。三メートル近くも身長があり、とても綺麗な人だった。

「アナタがいらっしゃることは承知しておりました。長旅でお疲れでしょうが、規定に従い、クライアントの要望を優先させて頂きます」

 私の返事を待たずして、その人は一緒に来るように言った。目覚めたシズクが身体を捩ると、私の手から離れて降りる。目の端でシズクを気にしながら跳ねるように着いて行く。厚手のカーペットが敷かれた先では、リムジンシャトルが止まっていた。

 促され、向かい合わせのシートに座る。もちろんシズクも一緒だ。対面に女の人が腰掛けると、扉が自動で閉まった。

「ベルトはした方がいいですよ」

 そう言って四点式のシートベルトを着ける。私も彼女に倣うも、ため息が漏れるほど捻じれ上がった。

 女の人はわざわざ自分のベルトを外して、私のベルトを手早く直す。バンドを引いて外れぬ事を確認してから、自分のベルトをまた着ける。少しだけ視線を動かしたと思ったら、シャトルがゆっくり動き出した。

「可愛らしい猫ちゃんですね」

 シズクが頭を回して女の人に目を向ける。何もせず、窓の外に顔を向けると、返事の代わりに尾を振った。

「見えるの?」

「えぇ。私も着けていますから」

 彼女は耳の後ろを指で示す。

「端末は本来軍事品ですよ。普及したのは日本だけのようですが」

 腕から溢れたシズクの尻尾が、別の生物みたいに動く。抱えたままシズクの頭を軽く撫でると目を細め、私の腕に頭を置いた。

「どうして私を?」

「知っているのか、ですね」

 黙って頷く。

「実は我々も先ほど知ったばかりなのです。間もなくスズネさんが訪れるので、エスコートしてあげて欲しいと」

 数ある衛星の一つに近づく。相対速度をゼロにして、ジャイロを駆使して姿勢を合わせる。シャトルは細かく位置を調整しながら、衛星のエアロックに固定された。

「スターリンクデータセンターです。世界で最も安全で重要な場所の一つになります。何をなさるのか分かりませんが、きっと大切な事なのでしょう。さぁ、行ってください。この先でアナタを待ってる人がいる」

 彼女に一言礼を告げて、私とそして一匹は一緒になってシャトルを降りる。離れるシャトルを見送ると、閉じた扉を軽く蹴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る