十三

第28話

「スズネさん、起きてください」

 声が聞こえてすぐ目を開けた。気が付けば眠っていたらしい。目覚めた直後でありながら、頭が急に回りだす。居なかったはずの乗客達がせわしく降車の準備をしており、間もなく駅に辿り着く一つの証拠となっていた。

「降りますよ」

 モニターに映し出された現在位置は西部アメリカ、ロサンゼルスの北側だ。

 外の景色に変化はないが、十数時間も過ぎてしまっていたらしい。日本時間と時差修正済み現地時間のどちらで表示するかと問われ、現地時間を迷わず選ぶ。

 列車が速度を落としていく。結露の跡が残るボトルを開けて、ジュースを一口含む。そしてゆっくり息を吐き出すと、横で丸まるシズクの背中を、指先だけで軽く叩いた。

 尾だけを振って返事して、更に身体を奥へ捻じ込む。

 灰色の丸い背中に、光の波紋が浮かび上がる。不規則に蠢く光の網目は窓の外の頭上すぐ、凪いだ海面から差し込んでいた。

 トンネルを抜け駅のホームへ侵入する。速度は相当落ちていたが、敷かれたドアはかなりの速さで流れていく。ただし初めの内だけで、瞬く間に速度を殺し、少々強い衝撃の後に列車は完全に止まった。

 降車案内が表示される。多くの人々が立ち上がって、出口に向かって列を成す。

 セラフが立った。

 私も遅れて立ち上がる。列に並ぼうと思った矢先、シズクが来ていないと気が付く。見れば変わらぬ体勢のまま、座席の隅で灰色の毛玉の塊と化していた。

「行くよ、シズク。ほら立って」

 ようやく顔をこちらに向けた。

 耳を下向きに左右に寝せて、普段は丸みを帯びた目を一層丸く広げている。

 シズクが抗議の声をあげる。絶対ここを動かないぞ、と言っているかのようでもあった。

「そんな事、言わないで」

 列が前から動き出す。

 セラフが私の名を呼んだ。すぐ行くと、彼に言ってシズクの身体を無理に抱く。シズクは大きく泣き叫びながら、私にしがみ付いてきた。

 予想以上に力が強い。それでいて爪を立てるから、たまったものじゃない。だが衝動を理性で押しとどめると、抱っこしたまま列に加わる。

 そんな私を見てセラフは、呆れたようにして言った。

「なにか居るのは理解していますが、普通の人から見れば不思議なことをしてますよ」

 列に並ぶ人達は素知らぬ振りして出口に向かう。

 だが、私がシズクを抱えている事に、少なからず興味を持った者もいるらしい。特に子どもを中心として、ちらほらとコチラを気にしているのが理解できた。

 気にする彼ら彼女らを気にしないように、セラフと一緒に列車を降りる。

 ホームを包むトンネルはポップな色調に統一されて、未来的ながら、テーマパークにも近い。中央付近は高くまで続く吹き抜け構造となっており、階層毎に橋が架けられていた。

 上層に移動し入国審査を受ける。

 セラフと異なり、私はパスポートを持っていない。だが、私の中の端末が電子化された旅券を提示したようだ。咎められることもなく、行ってらっしゃいと、笑顔で見送ってくれた。

「早かったですね」

 コンベアに流れるトランクを見送る。続々と荷物が流れるも、目的の青のレザーの鞄は見当たらない。

 これ以上の会話も無く、シズクを優しく落ち着かせる。同時に降りた乗客達は少しずつ姿を消していく。やがて私達の二人を残して皆が去ると、探していたセラフのバッグが流れて来た。

 拾い上げるのを見届ける。そして一緒に、駅と一体化した商業施設へと移る。

 三面海に囲まれた、埠頭のように突き出た地形を使った施設だ。日本の場合と同じく、鉄道利用者でなくても遊びに来られるらしい。セラフのような荷物を持たない人も、多くの人が施設に入ってくる。

「今までありがとう。もう大丈夫」

 反動をつけてシズクを高い位置へと持ち上げる。そしてセラフに別れの言葉を投げつけると、彼が何か言い出す前に、私は彼に背を向けた。

「待って。住む場所はあるんですか? 服は持ってきているんですか?」

「これから決める」

 鞄を片手に持ったまま早足で追って来る。たちまちの内に追いつくと彼は言った。

「聞いてください。この国では全てモノを得る為にはカネが必要になってきます。服も、食べ物も、飲み物も。そしてもちろん住む場所もです。通常、カネを得るには労働が必要です。が、労働したからと、直ちに給与が支払われる訳でもありません。そもそも需要と供給の差によって、全ての人が労働できる訳でもない。食べ物も飲み物も、住む場所すらも無い状態で、ひと月もしくはそれ以上。生きて行けると言うのですか?」

 カネなんて持って無い上、当ても無い。私が何も言えずにいると、セラフが言葉を続けた。

「少しの間で良ければ僕の所に来ませんか。誘ったのは僕ですし、一人で放り出すのは見捨てるようで、良心が痛みます」

「でも、それだと」

「正直、スズネさんが何と言っているのか。僕にはよく分かりません。あまり日本語は得意ではありませんからね。スズネさんは英語が分かっているようですが、この国の人間の大多数はアナタの言葉を解しません。だからこそ放っては置けないんです」

 これまでと変わらぬ真剣さで言った。

 確かにセラフの言う通り、そもそもこの国に来るきっかけは彼にあった。セラフが誘ってくれなければ、自分の国を出ようだなんて考えもつかなかったはずだ。

「なら、少しの間だけ」

「決心してくれたみたいですね。良かったです」

 少しだけ持ち上げた口角で、私の意図は伝わったらしい。一緒に来るよう手を振って、セラフは一足先に外に出る。

 表玄関には鉄道を模したオブジェを中心に、巨大なロータリーが待っていた。

 バスにタクシー、自家用車と、ごった返す光景に思わず目を見開く。地上を走る車なんて、一度だって見たことが無い。ゲーム内なら何度も操作してきたが、実物で見るのは初めてだった。

 車と人の渦の中、無秩序で混沌とする中にも、多量の規則があると端末が示す。

 例えばロータリーでは同じ向きに回転するとか、バスに乗りたい時にはここで待つとか、タクシーに乗る時には手を上げて乗せて欲しいと合図を送るとかだ。

 白、黒、赤、青色をした、タクシーともバスとも異なる自家用車は、一部だけ無人であるものの、大多数は人が手動で運転している。 窓全開で腕を置く者、サングラスを整える者、中にはひっきりなしにクラクションを鳴らす者もいた。

 喧騒の中、セラフは器用に縫って歩く。タクシーめがけて手を上げると、向こうも気づき近づいて来る。乗り込もうとした矢先、後ろから来た老人に手際よく乗って行かれた。

「仕方ありませんが次を待ちましょう。大丈夫です。すぐに来ますから」

 ついにシズクがぐずり始める。

 タクシー自体ははよく来るものの、半分以上が乗車中で、来ても次々抜かされていく。心なしか、ロータリーの回転も遅くなっているようで、中々チャンスが来ない。

 丁度目の前で降りた人に、譲ってもらい。やっとのことで乗り込んだ。

「やっと乗れましたね。でもツイてましたね。今日はいつもより早く乗れました」

 どこかの住所を手短に告げる。

 私達が乗ったタクシーは車の渦の中に飛び込む。運転席に人はいるが、ハンドルとペダルは全て自動で動く。レベル三の自動車だ。

「ここはいつも混むんです。あの交差点が見えますか。皆があそこに向かうので、この辺はどうしても混雑するんです」

 赤、青、黄色の三つの光が順に灯っては消える。青なら車が動き出し、赤なら止まる。明快で単純な、誰もがわかりやすいルールだ。青になって流れ出せば、渦も一緒に回りだす。

 渦を抜け、交差点を突破し幹線道路を走る。通る道はどの道も、太い道路ばかりだった。赤で止まって、青で進むを繰り返すこと数十分、やがて通りの横に停車した。

「もう少しだけ先ですが、ここから少し歩きましょう」

 降りてすぐに目についたのが早朝の割に多い人手と、瓦屋根の木組みの門だ。

 茶色と呼ぶより灰色で、車一台分程の狭い通りを囲っている。セラフが支払いを済ませるのを待って、彼と一緒に外に出た。

 暑くなりつつある朝の空気に、刺すような日光が東から照らす。聞きなれない言語の雑踏の中で、門を下から見上げれば、端末が自ら情報を表示させる。

 平和門。

 平和を願っては元より、平成と令和の時代に造られた為に名付けられたらしい。ここから先、数百メートル続く日本人街の入り口で、通りの象徴でもあった。

 街の中では露店が並び、競うように呼び込んでいる。衣服や装身具も含めて、ありとあらゆる物が並ぶも、大半は食材であり、更に半分近くが魚介類で占められていた。

「賑やかで良いでしょう。気になる物はありますか?」

 氷の中に横たわる黒や銀の魚に混ざり、茶色の値札が立てられている。二つの異なる記号が並び、それぞれ異なる数字が続く。一つは見慣れたドルの記号が。もう一方はキーボードでしか見る事の無い、Y字に二つの横線が付くマークがあった。

 調べてみれば、かつて日本円として使用されたマークらしい。

 店員と客との様子をしばらく離れて見ていたが、やり取りしているカネの種類はわからなかった。

「アジ、ですか」

 驚いたように言ったセラフに違うと告げる。代わりに値札を指さすと、あぁ、と漏らした。

「ここでは今でも日本円が使えるんですよ。マネーゲームの対象として為替市場に残った分を除いてしまえば、一般で流通しているのはここだけじゃないでしょうかね」

 品定めをしていた若い男が貝の詰まった袋を示す。店主はすぐに気が付くと、袋を手渡し何かを話す。それを聞いた若い男は袋を片手で受け取りながら、ポケットの内から折り畳み式のポーチのような物を出す。そして中から茶色く汚れた紙切れと、銀や茶色のコインを出した。

 店主はそれを受け取って、笑いながら何かを言った。そして背中を叩いて見せると、男は酷くよろめきながら、大げさすぎる身振り手振りで面白そうに大きく笑う。

 そんな姿を見ていられなくて彼らから視線を逸らす。笑う二人の声は大きく、やたらと耳に張り付いていた。

 魚屋を後にし、雑踏の中に混ざり込む。セラフと一緒に歩いているのに、やたら人とぶつかってしまう。何事か、と顔をあげれば私は一人、気づかぬ間に人の流れに逆らっていた。

「こっちです」

 またぶつかって舌打ちを貰った所であった。セラフが私の手を引いて、流れの緩い脇道へと逃げる。

「家に行く前に服を用意しましょうか」

 更に細い道路に面した軒並みに、喫茶店や甘味所の幟が立つ。時間が時間であるためか、一部の店は閉まっている。少なからず服屋も並び、既に店を開いていた。

 最も近い店に入る。

 ドアに吊られたベルが鳴って、店員が奥から顔を覗かせる。英語らしき言葉で何か話すも、私の中の端末は上手く翻訳できなかった。

「えぇ。彼女に合う服を一式見繕ってください」

 店員は一度奥に戻って幾つか服を持ってきた。

 よく回る舌で次々服を広げるが、どれもこれも明るい色調ばかりで私の好みとは違う。もちろん気づく訳がなく、その上セラフの厚意を無下にも出来ず、最も落ち着きのある、やや大人びた着替えを一式止むなく選ぶ。

 一足先に店を出る。外の風に吹かれながら、軽くジャンプしシズクを少し持ち上げる。手放されると思ったのか、シズクは慌てて爪を出し、強く抱き着き、大きな声を出して鳴く。

 少し遅れて、セラフが袋を持ってきた。

「済みましたよ。腹は減っていませんか? 近くに美味い蕎麦屋があるんですが、寿司の方が好みだったりしますかね」

 喰いこむ爪を我慢して、半ば強引に背中を擦る。なんとか落ち着いてくれたが、シズクの目つきは最悪だった。

「そうですよね。疲れてますよね。先に家に行きましょうか」

 平和門の通りに戻る。人混みの中を縫って歩くセラフの背中を目の端で追いつつも、心は常にシズクにあった。

 ヒト、人、他人とすれ違う。誰もが影のようだった。男女に子ども、大人や老人。皆それぞれが違うのに、セラフの他は同じに見える。見ず知らずの誰かと肩がぶつかった時、手に持っていたゴーグルが奪われた。

「ちょっと」

 振り返って後を追う。さっきぶつかった人影が、裏通りへと駆け込むのが見える。シズクを片手で抱いたまま、片手で人を掻き分けていく。睨まれ、舌打ちをされながら通りの中に飛び込むと、そこで思わず足を止めた。

 打って変わって荒れた裏道で、雑で稚拙なグラフィティが目立つ。ビルとビルとの隙間にあって、陽の差す場所も全くない。全てが影に包まれる中、ボロを着た人々がドラム缶で火を焚いていた。

 こんな場所があっただなんて、今まで思いもしなかった。この時代、この地球上で、彼らは何をしているのだろう。

 古びたシャツとズボンで駆ける子どもを、痩せた犬が追い回す。通りへと踏み出した時、危ないと、セラフに腕を捕まれた。

「これ以上はいけません。危険ですから離れましょう」

 空調の室外機が唸る。ひび割れた壁から汚れた水が溢れ、緑濃色の藻が生える。

 しゃがみ込む男が顔をあげた。伸びきった髭をそのままに、薄汚れた目を向ける。よろめきながら立ち上がると、私達へと近づいてきた。

「何やってんですか! さぁ、早く行きますよ!」

 腕を引かれて通りに戻る。何事も無かったのかのように、人々は陽の差す通りを行き来している。彼らの流れに乗りながら、腕を引かれて歩いていく。

「いいですか。あのような場所には二度と近づいてはいけません。奴らは泥棒で犯罪者なんです。スリや窃盗、強盗、誘拐に殺人。カネのためなら何だってする。極めて危険な連中なんです。今回は偶然運が良かっただけです。でも二度目も無事とは保証されません。自分の身を守るのは自分であると、忘れないでください」

 通りを抜けて、人通りもまばらになった。喧騒も消え、代わりに車が増加する。店とアパートが立ち並び、これまで見て来た街並みに近い。

 数ブロック分歩く。パターン化されたような街並みの中でも、ひと回り背の高いビルへと入る。案内を、と近づいてきたビルの管理スタッフに、セラフは手を振り断る。エレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。

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