第21話

 席を立つ。光り輝く壇上に背を向けて部屋を出る。

 煩わしいほど盛大な拍手の音も、部屋を出れば聞こえやしない。

 エレベーターに乗り込み地下へと降りる。駅のホームで待っていた自動車を見つけると、二人で一緒に乗り込む。

 自動車は静かに走り出す。

 フロントと、両サイドのモニターは、あたかも地上を走っているかのように、黄昏時の街並みを映す。言峰さんの店を予約しました、そこで良いですよね。と尋ねる彼に、私は小さく頷くだけに留めた。

「さっきの質問の答えですけど。誰かの幸福の為と言え、原則誰かが死ぬのはおかしい。そう思います」

「それがもし、悪いことをして人を不幸にする人だったら?」

 明るい西日とそして海、高速で背後に流れる主塔を横目に目に掛かる髪を摘む。ただでさえ長い髪をより引っ張り伸ばすと、自分で自分の視界を覆い隠す。

「お伽噺の白雪姫って知っていますか」

 検索結果が表示される。白雪姫、英名スノーホワイト。物によっては七人の小人と続くらしい。あらすじを読む間もなくセラフが続ける。

「昔々、ある所にとてもとても可愛らしいお姫様が住んでいました。その美しさに嫉妬した悪い魔法使いは、世界一美しいとされるお姫様を殺害し、自分が世界一美しくなろうと考えます。訳あって小人達に殺害を防がれるも、お姫様に毒リンゴを食べさせる事に成功しました。永久の眠りについたと思われた時、颯爽と登場した王子様が姫から毒を吸いだし、姫の命を救います。

 ここから先は作品によって変わってきますが、悪い魔法使いは死を迎え、白雪姫は王子様と結婚し末永く幸せに暮らす。そんな話です」

 橋を越え、モニターにはまた街の様子が映し出される。向かう先には、環太鉄道のビルがそびえ立ち、ビルを覆う霞みの色も晴れつつあった。

「誰もが子どものころに聞かされる話の一つです。もちろん僕も。でも、子どもながらに気になっていた点がありました。魔法使いの事です。死んだ魔法使いは確かに悪人だったでしょう。でも、誰もその死を気にしない。白雪姫でさえもです。姫の死は皆が嘆き悲しんだのに、魔法使いの死は無視されている。それは変だと思いませんか」

 外の景色を模倣した自動車の映像は建物内に入る。間もなく駅に着くのだろう。前へ前へと掛かる圧力が証拠であった。

「どんな悪人だろうと死は避けるべきです。悪い事をしたのなら、尚更生きて罪を償わせるべきです。他の誰かの死を望むなんて人として許せません。誰かが死んだ上での幸福なんて、それは本当の幸福じゃない」

 車から降りて駅を歩く。今日も今日とて誰も居らず、一部のロボットが働くだけだ。

 少し前を行くセラフに目を向ける。

 背筋を伸ばして胸を張り、まっすぐ前に目を向けながら一歩一歩を大股で、それでいて速度を合わせてくれている。エレベーターは私達二人を乗せると扉を閉めた。

「ならもし、自分の死を望む人がいるとして、自分から死ぬ権利があると言われたら。それは許せる?」

「いったい、なんの話ですか」

 階層を示す数字が跳ね上がっていく。

 モニターを兼ね備えた外を映す窓ガラスから、半分沈んだ真紅の夕陽が赤の光で包み込む。それは私達の空間だけでなく、セラフも、そして私だって例にも漏れず、世界の全てを染めあげていた。

「この国には最終幸福追求権って権利が認められている。公にはなっていないけど。不幸のどん底に落ちた人が、不幸を終わらせるためセントラルによって集められる。そして不幸を解決するために、一日一人話をする。もし解決できればそれで良し。できなければ権利がその場で実行される」

「その権利は、まさか」

「生きるのをやめる権利」

 白い雲も、青い海も、何もかも全て、紅。それも椿の花のような赤で包まれ反射して、深紅の光を放つ。この中に何一つとして例外は無い。たとえどれ程暗い黒であろうと、無際限な深紅によって分け隔てなく包まれていた。

「生きるのをやめる? そんな権利が存在していいはずが無い。不幸だから死ねばいい? 命は、人の命はそんなに軽いものじゃない。軽んじられるべきじゃない!」

 エレベーターの扉が開く。赤の光は開く扉から溢れ出し、エレベーターホールへと差し込んでいく。それは立派な制服に身を包む、一人の男を照らしあげた。

「失礼。お迎えにと思ったのですが、お取り込み中でしたか」

 戸惑う言峰に、大丈夫です、とセラフが応じる。

 言峰の横を抜けながら帽子を取って押し付ける。前と同じテーブルに腰を落ち着けると、飲み物だけを頼む。直ちにアイスコーヒーと、紅茶の二つが置かれると、二人だけにして欲しいとセラフが言った。

「さっきの話の続きですが」

 言峰の姿を見送ってから話しだす。

「死んでもいい権利なんておかしすぎます。存在が許されるはずがありません。倫理的にありえない。たかが不幸で人生を諦めるなんて、絶対にいけないことです」

「でも不幸は、その人自身にしかわからない。なにが一番辛いかなんて、死ぬほどのことじゃないなんて、他人が理解できることじゃない」

「それでも一時的な苦しみのはずだ。それさえ過ぎれば、いつかは必ず解放される」

「解放されないこともある。例えば幸福のすれ違いとか、不治の病。他人の幸福を望みながらも嫉妬してたり、不幸の連鎖とか。誰だって不幸になりたいとは思わない。でも不幸は誰にだってやって来る。だから不幸を終わらせるために死を選ぶ」

「しかしそれは本人の希望じゃないはずだ。コンピューターが勝手に不幸と判断してやっているだけの、れっきとした殺人だ」

「違う」

 タヌキ、キジ、サルそしてネズミにカラス。五つの仮面が脳裏に浮かぶ。皆が皆、それぞれの不幸に苦しんで、幸福を求め足掻いてきた。己が己、些細なように見えることでも、一生懸命に真剣に、悩んで耐えて生きていたのを今の私は知っている。

「自分達が自分達で死を求めた。不幸のどん底に落ち切って、もう望みがないと自分自身で判断をして死を選ぶ。セントラルが、センがやるのは幸福になる手助け。最終幸福追求権は最後の最後の手段として用意された、不幸から逃れるための逃げ道でしかない」

「でも、生きていれば。人は必ず報われる」

「それはいつ?」

 一音一音明瞭に、聞こえるようにして言った。セラフは結露した飲み物に目を落としたまま、やや間を置いて口を開いた。

「わかりません。でも」

「余計な希望こそ苦しみになる。アナタの言葉は口だけの、無責任な生の押し付けだって気づいた方がいい。幸福に順番待ちがあるみたいな、そんな考え方はいけないと思う」

「でも。だけど人は、人間らしく生きる権利があるはずだ。自由に生きるだけの権利が!」

「ならアナタこそ、その権利に反していると思わない? 自由に生きる権利があるなら、自由に死を望む権利があってもいいはず。違う?」

「君はいったいどっちの立場なんだ! どうして僕にこんな話をしたんだ。間違っていると思ったからじゃないのか? そんな権利を否定して欲しいと思ったからじゃないのか? 死に至る権利を認めたいのか、それとも認めたくないのか。言ってみろ!」

 窓から見える海の向こうでは、太陽の光が波間の中に最後の日差しを投げかけ消える。雲と、そして海と空は、深紅から赤紫へ。気づかぬ内に変化して、不気味な程に美しい。

「わからない」

 私は言った。

「今は。死を望む権利は必要だと思う。でも、死を望んではいけない場面があるのも理解している」

「なら、さっきまでの君の言葉は」

「センの受け売り」

 セラフは椅子にもたれ込む。アイスコーヒーを手に取って口へ運ぶと、一気に半分も飲み干す。そして大きく息を吐き出すと、小さな音を立ててグラスを置く。

「スズネさんの考えではないと知って安心しました。それにしても、その権利について詳しいんですね。皆そうなのですか?」

「みんなじゃない」

「では選ばれた一部の。それも当事者だけだと、そういう事ですね。そしてスズネさんは選ばれた内の一人だと」

 自分の口で肯定する気になれず、頷くだけに留める。両肘を両手で抱え込むと、私の身体に固く密着させた。

「これで納得できました。いいですか。絶対にダメです。自分から死を望んではいけません。それは倫理に反する悪いことです。スズネさんは機械によって洗脳されているんです。コンピューターを信用してはなりません」

 メッセージが通知される。今度はセラフからでは無い、そしてセンからでも無い。以前は鬱陶しいほどだったのに、このところ連絡の無かった人物。

 母親だ。

 大した内容ではないだろうと、思いながらも中身を開く。予測した通りのもので、通話でも良いから今から話せないか、との事だった。

「大丈夫です? もしかしてコンピューターが何か」

「違う。大丈夫、お母さんからだから」

 無視してメッセージを閉じる。今はセラフと話している。そうでなくても話すつもりなんてない。なんだかんだと理由をつけて、自分の元に帰るように言ってくるのは目に見えている。うざったらしい説教なんかに付き合う時間は一切ない。

「もし良ければ、僕の国に来ませんか。本当の幸福を伝えられるかもしれません。人が人らしく生きるのがどういう事か、直接目で見て感じてみてはいかがでしょう」

 紺の空に星が浮かぶ。ひとつ、またひとつと輝く星を引き裂くように、空に連なる衛星群が境界線を描いている。

 穏やかに揺れる海は空の色を引き継いで、水平線さえ打ち消して、空と一体になっていた。

「少しだけ待って欲しい。ちょっと考える時間を」

「わかりました。ですが僕は明日の朝早く、日の出と共に帰国することになっています。本当はもっと早く話すつもりだったんですけどね。それまでに返事を頂ければ、向こうで案内しますよ」

 私は席から立ち上がる。察したらしい言峰が帽子を持って近づいて来た。

「お帰りですか」

 帽子を受け取り目深にかぶる。聞き分けの無い跳ねた髪は帽子の外まで飛び出して、目と鼻の先まで垂れている。前髪と一緒に掻き分けると、一人エレベーターに乗り込んだ。

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