一章 幼馴染との再会(2)

 それから数日経過したが、あれ以上テオにかかわっていって、当たって砕ける気にもなれずにいた。

 九月も今日で終わり、明日から十月だ。入学から一ヶ月経過しようとしている日の放課後、セレナは屋外の階段の踊り場でぼんやりとペンダントを眺めていた。

 こんなものを持っていても、もう意味はないのだろうか。会いたいと思っていた相手からは避けられている。子供の頃にかけた願いは無駄になったのだろうか。

 テオの名前を刻んだペンダントを所持しているから、いつまでも未練が消えないのかもしれない。持ち歩くのはやめようか。いっそ捨ててしまったほうが――。

 そんなとき、急ぎ足で階段を駆け上がって来る生徒の腕が、ペンダントを持つセレナの背中にぶつかった。

「えっ……」

 踊り場の手すりの上にあった手をつい離してしまい、ペンダントは階段の下に落ちていった。

「あ、悪い……」

 謝罪の言葉を背中で聞きながら、セレナは急いで階段を駆け下りた。反射的な行動だったが、捨ててしまおうかと思ったからといって、いますぐ捨てようとしたわけではなかった。

 ――まだ待って。迷っているときに手放してしまったら後悔する……!

 ペンダントを回収しなければ。焦りとともに、そう強く思った。

 だが落とした地点には上級生らしき長身の男子生徒がいて、ペンダントを拾い上げていた。

「テオ……ドール? これは」

「それ、わたしのです。拾ってくれてありが……」

 セレナのほうを向いた金色の瞳と目が合った。

 長い銀髪を片側で一つにまとめ、身体の前に流している。テオが人形だとするなら彼はよくできた彫刻のような彫りの深い容貌で、均整の取れた体格を持ち合わせた、外見に恵まれた少年のようだった。

 拾ってくれたのなら返してくれるだろうと期待して、息を整えつつセレナは手を差し出した。だが返されたのはペンダントではなく、疑問の言葉だった。

「お前はテオドール・レヴィナスの知り合いか? 名前を彫った装飾品を持っているなら、恋人か」

「ち、違います!」

 慌てて否定した。あれだけ邪険にされているのを見ていたら、そんな勘違いなど起きないだろうに。

「わたしは一年のセレナ・エスランといいます。テオ……テオドールの幼馴染です。そのペンダントは、昔作ったもので」

「ふむ」

 彼はしばし考える素振りを見せてから、さもいいことを思いついたと言わんばかりに宣言した。

「ならば決闘だ。私と戦って勝てたら返してやるし、勝者の命令を一つだけ聞いてやろう」

「なんでそうなるんですか!?」

「あやつ本人に決闘を申し込んだら断られたからだ!」

「わたしだって断りますよ! あなた、確か……」

 入学式に壇上から挨拶をしていた、一年上の先輩。生徒会に所属する、家柄実力ともに申し分ない人物。

 ハインリヒ・レヴィナスという少年は、魔術学院の創始者の子孫であり、名門レヴィナスの一族の本家の令息だった。

「そう、学院長のお孫さんですよね」

「よりによってその言葉で私を定義するか!」

 強気に笑っていたかと思えば、眉をつり上げて怒りの形相になった。喜怒哀楽が激しい人のようだ。テオが無表情や口数の少なさも含めて人形のような印象なのに対して、ハインリヒは肌が日に焼けていて、言動も態度も生気に満ち溢れていた。

「ああ、いえ、とにかく文武両道で、魔術も剣技も優れているという噂は聞いています。そんなすごい方に、わたしのような並の一年が勝てるはずがないでしょう」

 この場を切り抜けられるならなんでもいいとばかりに、必死に愛想笑いを浮かべてセレナはそうまくし立てた。

 しかし――並。並だろうか。むしろ落ちこぼれな気がする。

 子供の頃のセレナは、将来魔術師になるのだと信じていた。長子なのだし、家を継ぐものだと思っていた。

 だけどここ数年で気づいてしまった。弟妹のほうが魔術の才能がある。周囲の人々もそう言っている。

 魔術師の家は長子相続ではなく、魔術の才能がもっとも優れている者が継ぐ。

 自分は駄目なのかもしれない。レヴィナス魔術学院に入学はできたが、立派な魔術師になどなれないのかもしれない。両親の期待を裏切るかもしれない。弟妹に軽蔑されるかもしれない。

 ――だったらわたしは、なんのために魔術師の家に生まれてきたの。

 そうした想いが何度も去来した。子供の頃に存在していた万能感も自信も、ここ数年ではどこかに行ってしまっていた。

 だからハインリヒ相手に勝てるはずがない。決闘なんて真っ平だと思っているのに、ハインリヒは強引に話を進めていった。

「女子生徒と剣で対決する気などないし、魔術で勝敗を決めずともいいだろう。勝負方法はそちらが決めてよいぞ」

「えっ……」

「チェスでもカードゲームでも、楽器演奏でもダンスでも、なにかを作って審査してもらうのでも、なんでもいいぞ。得意なものを選ぶといい」

 一瞬、それなら勝てるのだろうか、と思ってしまった。だがハインリヒは文武両道なだけでなく、貴族や魔術師の教養とされているものはなんでもそつなくこなしそうだ。

 そしてなんでもいいと言ったからには、どんな種目で勝負することになっても勝てる自信があるのだろう。

「……ちなみにハインリヒ先輩が勝ったら、わたしになにを命令するんですか?」

「そうだな。私のものになれ」

「はあ!?」

「なんと、喜ばぬのか」

 本気で驚かれてしまった。

 そういえばハインリヒは学院で女子に人気があって、毎日黄色い歓声を浴びていた。美形で異性に好意を持たれるのが当然な人間は、強引な口説き文句で女子は落ちるものだと思っているらしい。……成績優秀なはずなのに、微妙に残念な思考回路なのは気のせいだろうか。

「まあよい。負ければ困った状況に置かれるとあれば、やる気にもなるだろう」

「あ、あのですね……」

「私はあやつが気に食わん。テオドールの幼馴染を我が物にしたならば、あの少年はどんな顔をすることだろう」

 完全にとばっちりだ。

 ああ、でもそうか。気に食わないときたか。

 レヴィナス本家の子息なら、祖父である学院長が養子を取ったのならそれは気になるだろう。跡継ぎの座が揺らぐくらいなら、いまのうちに叩きのめしておきたくもなるだろう。

 だからテオに決闘を申し込んで断られて、セレナがテオの幼馴染だと知ると決闘の相手に指名した。レヴィナス家の事情に巻き込まれた形だ。そこまでは理解した。

「……いや、そうは言ってもですね。わたしは現在、テオとは友達ですらありませんよ。わたしがハインリヒ先輩のものになったところで、彼は痛くもかゆくもないと思いますが」

「幼馴染というのは結婚の約束をしているものだろう?」

「ロマンス小説お好きなんですか!?」

「うむ。最近幼馴染ものを立て続けに読んだな!」

「そうですか、とにかくそんな甘酸っぱい関係じゃありません!」

 確かに子供の頃は仲が良かったが。異性の中では一番親しかったが。友達として大切で、大好きだったが。

 たまにどきっとするようなことがあったとしても、それは恋に恋していたようなものだ。

 容姿が整っていて、物静かで同年代の男の子よりも落ち着いているように見えた子が、自分にだけ打ち解けた様子を見せてくれた。万能感に満ち溢れていた少女が特別感に浸るには十分な相手だった。

 それに――本当に恋していたというなら、再会してからつれなくされている現状が、さらに辛くなる。

「決闘を受けないのなら、これは返さぬが」

 ペンダントを見せつけるように掲げ、ハインリヒはそう言った。

 ぎり、とセレナは奥歯を噛み締める。

 別にそのペンダントは、テオにもらったものではない。子供の頃のセレナが作っただけのもので、魔術道具としての効用だってない。

 ただ、テオにあげたペンダントとお揃いで、あのとき一緒に願いをかけたものだというだけで――。

 でもこれがなくなったら、テオとのつながりがさらに薄れてしまう気がした。

「今日中に返事をくれぬのなら、どことも知れぬ場所に捨てて――」

「やります。受けましょう、決闘」

 売り言葉に買い言葉で、その場の勢いで――そう返事をしてしまっていた。

 ――セレナって見た目は清楚なのに、中身は猪突猛進。

 子供の頃、テオにそう評されたことを、ふと思い出した。



 翌日の昼休み。食堂の隅で昼食をとりながら、セレナは悩んでいた。

「――どうしよう、決闘なんて……」

 昨日の今日で既に後悔していた。自信も策もなにもない。それなのに今日の放課後には勝負方法を決めて来いと言われている。伝えに来なかったらその時点で不戦敗だとも。

 決闘を挑まれた噂は、既に学院に広まってしまっている。

 男子生徒から「決闘で負けたら先輩の愛人になるのか?」とか言われたときは、殴りたくなった。

 噂に尾ひれがつき、

「セレナがハインリヒ先輩に付き合ってもらいたいから決闘を申し込んだのよね」

「本来ならどうやっても釣り合わないからってそんな手を」

 と解釈している女子生徒もいて、ハインリヒに熱を上げている方々から睨まれている。

 教室で席が近くて話をするようになった級友や、寮で近くの部屋の寮生が、こぞって余所余所しくなったのがとても辛い。上級生に悪い意味で名前を憶えられたかと思うと泣けてくる。

「セレナも大変ね」

 昼食が載ったトレイを手にした級友のブランシュ・マーニュがセレナのテーブル近くを通りかかり、そう声をかけてきた。金茶の髪を結い上げた、優雅な所作の少女だ。

「そう思う? ブランシュはわたしの味方よね?」

「ええ。影ながら応援しているわ。では、私は先輩のお姉様と約束があるので」

 食堂で行き会っても、このつれない態度。

 魔術を学ぶためというよりも、魔術師同士の人脈を広げるために学院に入学したと公言しているブランシュは、時折友達甲斐がない態度を見せるのが玉に瑕だった。

 話の中でセレナの名を呼ばれたからか、周囲のテーブルについていた生徒がちらちらとセレナのほうを見た。小声でなにか言っているのが途切れがちに聞こえる。ほら、あいつ。身の程知らずだな。ハインリヒ先輩もどうしてあんな娘に。

 針のむしろに座っている気分だ。なぜこうなるのだろう。みんな人気と実力と権力がある者の味方か。

 ペンダントの一つくらい、諦めたらよかったのだろうか。ふと頭を過ぎった仮定に、セレナは慌てて首を振った。

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