振られた彼女と再会したのは、処刑台の上だった。

ミソネタ・ドザえもん

救われない世界

 夏、茹だるような暑さの外。そんな気候にも関わらず、石畳で舗装された広場にはたくさんの民衆が揃っていた。

 喧騒とする広場、民衆の興味を一心に浴びて檀上に立つ僕は、身に纏った装束の中に篭る熱気に、多量の汗を滴らせていた。


 今僕が身に纏う黒の装束は、悪しき毒とも言われる罪人の血が飛び散っても目立たないようにする計らいで着せられているものだが、この時期になるといつも今すぐにでもこの装束を脱いでしまいたい欲求に駆られる。


 助手達により、手を後ろで縛られた罪人が台にうつ伏せに倒された。

 まもなく始まる娯楽に……観衆達は、沸き上がる。


 反面、僕はこれから苦痛を味わう彼がせめて少しでも楽に旅立てるように、全神経を両の手に持つ首切り刀に集中させた。


「殺さないでくれ」


 最期が迫る罪人が命乞いを放った。命乞いが聞こえたのか、観衆達が沸いた。人を自分の身勝手で殺めておいてどの口が言うんだ、と。


 その言葉は、暗に僕にも言っているように聞こえて……少しだけ、気が動転した。


 震える手。

 命乞いをする罪人。

 歓喜を待ち怒号をあげる観衆。


 一思いに、僕は刃を罪人の首へ運んだ。


 沸き上がる観衆。

 それは行いをした僕に対して上がった歓声ではない。


 これは、咎人の死を喜ぶそんな声。

 死んで当然の人間が死んだことを喜ぶ、彼らにしたら真っ当な行い。


 ただ、僕には。

 人の死を喜ぶ観衆を目の当たりにした僕は。




 彼らが、悪魔の遣いにしか見えなかった。




 世襲制である死刑執行人を父から引き継いだ三年目の夏のことだった。


   *   *   *

 

 神に祈りを捧げる場所である教会にいる人は、かなり少なかった。

 年々無宗教である大衆が増えていると言うが、その現状をこうして毎日目の当たりにさせられると、とても悲しい気持ちになる。ただ困窮していく生活環境に、最早神へ祈りを捧げる暇すら大衆は見出せていないという事情は、同情も隠せなかった。


 この教会のブラゼル神父には、かつて大変お世話になった過去がある。いじめを受け学校にすら通えなくなった僕を、ブラゼル神父は受け入れ、家庭教師として勉学を与えてくれた。

 彼に教えてもらった学び、教訓を忘れた日は一度だってない。


 どれだけ辛い状況だろうと、願えば神はいつか必ず君を助けてくれる。


 ブラゼル神父は死の間際、最期に僕にそんな言葉を授けてくれた。だから僕は今日まで、こうして欠かさず教会に来て、神に祈りを捧げる時間を送っていた。

 神がいるのかは正直わからない。むしろ、人間に多大な苦難を与えていることから、そんな者いないのではと思う気持ちがないわけでもない。


 しかしこうして、日々同じ行動を繰り返すこと。

 それは多分、僕の将来への礎として、大きな意味となっているんだと正当化した。


 祈りを捧げ終えて、帰路に着いた。

 今日は本業での仕事の予定はなかったが、副業である医者の仕事は休みをもらっていた。一つの約束があったのだ。


 目的地へ向かう道中、至るところで浮浪者を目撃した。一つの浮浪者の周りにはハエが集っていた。別に物珍しい光景でもない。ただ、息の残る浮浪者達がいつ襲い掛かってくるかもわからない。だから僕は、彼らの一挙手一投足に細心の注意を払って道を歩いた。彼らが襲い掛かる理由。それは困窮している生活事情か、はたまた僕に対する私怨か、それは見当は付かない。

 

 道中の商店街。

 石畳で舗装された道に、露店がいくつか散見された。


 今日は朝から、何も食べていなかった。昨晩の仕事の一件であまり朝は腹が空いていなかった。昼間近になり、ようやく腹の感覚も人並みに戻ってきたらしかった。


 何かを摘まんでから目的へ行こう。


 そう思い、手頃な露店を探しながら道を歩いた。

 まもなく見つけたのは、香ばしい匂いを辺りにまき散らす露店だった。匂いに誘われ、気付けば僕の足はその露店の前に止まっていた。

 その露店では、ラム肉の串焼きが売られていた。


「一つくれ」


 商売上手そうな露店を営む女に言った。

 

「嫌だね」


 さっきまで周囲に大声で購入を推し進めていた女が、僕の顔を見るや否や煩わしそうに言った。


「一切れくらいいいだろう」


「わかった。いいよ。じゃあ三十Gなら売ってやる」


 おおよそ、相場の十倍近い価格だった。


「そんな価値はないだろう。ただの肉だぞ」


「だったら買わなきゃいい。人切りのあんたに物を売ってやるって言ってるんだ。医者の仕事だって軌道に乗って儲けてるんだろ? 食いたきゃ払えよ」


 女の言いたいこと。

 それはすぐに理解した。と言うかさして珍しい光景でもない。


 人切り。


 人々が僕を……僕の家系を呼ぶときに使う蔑称だ。


 死刑執行人。

 その職業は、誰もが成りたがる仕事ではない。いいやむしろ、罪人とは言え人を殺すこんな仕事をやりたがる奴なんて、この世のどこにもいやしない。

 

 人を殺すな、とは、生きる上で人が学ぶ当然の教養だ。

 それを正当化されたこの仕事は、公務員というれっきとした真っ当な仕事。

 しかし周囲から、最も疎まれる悪名高き仕事。


「わかった。邪魔したな」


 この女のように僕を疎ましく思い、蔑む連中は少なくない。

 僕はその度、彼らに何か言い返してやろうと思うこともなく、内心に宿る怒りにも似た感情を押し殺して、彼らの前から立ち去るようにしていた。


 口論したって何も変わらない。

 むしろ、微かにいる良心さえも自分の前から遠ざけることになる。


 だから僕は、こうして彼らに後ろ指を指されながら敵前逃亡を図るのだ。


 賢明だと自分では思っている。


「はっ、首切り刀がなきゃただの腰抜けかっ」


 しかし周囲には、どうやら僕は弱腰の殺戮者にしか見えていないらしかった。


   *   *   *


 目的地に辿り着いたのは、胸糞悪い一件を経てすぐのことだった。待ち合わせの彼女は、どうやらまだここにはいないらしかった。


「おはよう、ヴァン」


 まもなく、群衆を縫って彼女は現れた。みすぼらしい恰好をした人が多い中、彼女は貴族らしい煌びやかな衣装でそこに現れた。

 彼女の名前は、セルビア。

 僕と同じ年の、貴族の少女。そして、僕の恋人である。


 僕の家系が世襲してきた職業、死刑執行人。

 この職業は公務員という立ち位置にありながら、その本業での収入はわずかなものだった。生計を立てるため、副業を余儀なくされるそんな立場であった。

 それにも関わらず僕が今、貴族の少女と付き合えているわけは、その副業で父が安定を築いたことが起因していた。


 父が始めた副業は、医者。


 皮肉なことに、死刑執行人としてたくさんの人をたくさんの惨たらしい死に方に処した僕達は、人体のメカニズムに精通していた。

 故に、自慢ではないが僕達一家の医学知識はそこいらの町医者よりも断然高いのだ。


 基本的に僕達が相手取るのは貴族。庶民はいくら腕が良いと言っても、死刑執行人の手で治療されるなんて、まっぴらごめんらしい。

 そんな副業での傍ら出会い、仲を深めていったのがセルビアだった。


 告白してきたのは、彼女から。

 理由は教えてくれなかった。ただ別に、そんなことはどうでも良かった。


 高飛車な女だが、彼女は心優しき人であった。ただ少し、家柄が影響しているのか、人使いは荒かった。今日の呼び出しだって、昨日の死刑執行の直前、檀上に昇る最中、彼女に声をかけられた。


「君、そんな恰好で外を出歩いて大丈夫か」


 今市民は、困窮にあえいでいる。にも関わらず、こんな煌びやかな格好で外を歩くことは、自らが貴族であることを言い伝え、そして私怨を抱かせる動機には十分だと思えた。


「どういう意味?」


 しかし、彼女に心当たりはないらしかった。


「君のその格好、とても似合っている。ただこのご時世、そんな恰好で出歩いたら私怨を買いかねない」


「でもあたしは、この格好で出歩きたかった」


「君はそうかもしれない。でも、したくても出来ない人もいる」


「だったらすればいいじゃない」


「……パンを食べるのだって、苦労している人もいるんだ」




「パンが食べられないなら、ケーキを食べればいい」




 そう言い放つ彼女は、やはり貴族暮らしなのだろうと思わされた。

 それでも恋心を抱いた彼女に、邪な感情は生まれることはなかった。微笑み、これ以上の詰問は機嫌を損ねるだけだろうと取りやめた。

 それから彼女と、町を歩いた。


 なんとなく、ボディガードとして隣を歩いている気分だった。もしくは召使い。

 ただ、好いた彼女と一緒にいれる時間はつまらなくはなかった。


「ねえ、ヴァン?」


「何?」


「明後日、次の執行の日ね」


「そうだね」


 気が重くなった。咎人と言え、人の命を奪って良い理由はない。神ならまだしも、僕は人なのだから。


「処刑方法は何?」


 嬉々として、彼女は尋ねてきた。


「斬首だよ」


「最近は、八つ裂きの刑はしないわよね」


 八つ裂きの刑とは、罪人の手足と馬を結び付けて、四方向に引っ張る惨たらしい殺害方法だ。


「罪人とはいえ、苦痛を与えて殺すのは間違っているだろう」


「そうかしら?」


 疑問を彼女は抱いたが、多分異端なのは僕だった。死刑執行人として働く僕だから、断末魔の絶叫をあげる罪人を見てそう思うのだ。

 大衆や彼女にとって、死刑執行は所詮娯楽の一つだった。


「またあなたの斬首なのね」


「そうだ」


「最近のあなた、寸分違わず首を跳ねるから面白くないの」


 思い付いたように、セルビアは手を叩いた。


「いっそのこと、少し位置をずらしてみなさいよ」


「そんなこと出来るか」


「ふーん。つまらない人」


 そう言うセルビアに、何が面白く、何がつまらないのか。

 そう問い質したかったが、次の句は口から漏れだすことはなかった。


 セルビアに別れを切り出されたのは、明後日の処刑後、すぐのことだった。


 彼女の願いを守らず、綺麗に首を跳ねた僕のことが気に入らなかったらしい。


 つまらない人。


 そう言われたが、心労で文句の言葉も出なかった僕は、素直に彼女との別れに了承した。


 ただしばらくして、彼女は僕との関係が遊びだったのかと悟ると、少しだけ気分が落ちた。


   *   *   *

 

 セルビアと別れた後はなるべく彼女との思い出は振り返らないように努めていた。召使いのような扱いを受けながら、大概僕は彼女のことを心から好いていたらしい。

 

 そんな傷心の中、僕は国王もいる城に出向いていた。

 手には、死刑制度撤廃を求める嘆願書。


「コンサドーレ王。これを」


 この国でも数少ない職を与えられた僕は、ある種の特別待遇でこうして直接王とも面会を許されていた。

 渡した嘆願書。

 王は一先ず、それを受け取ってはくれた。


 しかし内心、これが受理されることはないだろうことは想像に難くなかった。何せ、この嘆願書を渡した回数は、既に一度や二度ではないのだから。


 だから、これは最早一種の国王との挨拶に近かった。


「しかと受け取った」


「ありがとうございます」


 いつもの会話。そして、本題はここから。


「国王、実はもう一つ願い申したいことがあります」


「ふむ。何かな?」


 王はとても心優しいお方だった。そんな彼に、憧れ、尊敬の念を抱いていた。

 そんな彼にこれから物申すことは、そんな気持ちを持った僕にして、罪悪感を抱くこと。しかし、背に腹は代えられない。生きるためなのだ。


「……この六か月、給料が支払われていません」


 意を決して、僕は言った。

 その理由はわかっていた。困窮なこの国の財政事情を鑑みれば、最早王に直接嘆願することすらおこがましい。

 死刑執行の給料は大した額ではない。


 しかし、身に振りかかる心労、私怨。それらを加味すれば無給はまるで割に合わない。


「どうか、給与の支払いはキチンとしていただけますよう、よろしくお願いします」


「貴様、王を愚弄するのか」


 騎士団長のアビスパ様に言われた。


「アビスパ、落ち着きなさい。ヴァン、君の言い分はわかっている。すまない。調整しよう」


 それは先月も聞いた言葉。

 本当に、支払いされる日が巡ってくるのか。


 一抹の不安は隠せないまま、僕は城を後にした。


 そのまま、家に帰るのは少しだけ躊躇われた。一緒に暮らす父と母に、良い返事をもらえなかったと言うことは、辛かった。

 大衆の食事場になるべく顔を隠すようにして立ち寄った。


 そこで上手いご飯を食べて、気を紛らわせようと思った。


「店主、やってるか」


 しばらくして、食事場にやってきたのはさっき城で出会った騎士団の連中だった。

 アビスパ様を先頭にして、彼らは食事場を使用し始めた。王直属の騎士団。よく教育されているのか、騒ぐのでも暴れるのでもなく、粛々と食事を楽しんでいた。


「おうい、店主! もっと酒を持ってこい!」


 唯一うるさいのは、アビスパ様だった。威厳あるさっきの態度から一変、酒の入った彼女は部下も手を付けられないくらいに喧しかった。


「ん?」


 そんなアビスパ様の視線が、僕に注がれた。


「お前、人切りか」


「……ええ、まあ」


「良くここには来るのか」


 まるでさっきのいざこざなど忘れているかのように、アビスパ様は言った。


「いえ、今日は……少し帰りたくない事情があって」


「なんだ、女に振られたか?」


「そういうわけでは」


「でも、この前一緒にいたセルビア様と最近あまり一緒にいないじゃないか」


「え、なんでそれを……」


「い、今はそれは良いだろう!」


 アビスパ様が怒ったように顔を真っ赤にして言った。


「とにかく、セルビア様と何かあったのか?」


「……振られただけです」


「なんだ、やっぱり振られたんじゃないか」


 アビスパ様はとても嬉しそうにしていた。他人の不幸が好きな人らしい……が、この国の大衆は大概、そんな人ばかりだった。


「と、違うからな。あたしは別に、君の不幸が嬉しくて笑っていたわけじゃない」


「じゃあ、何故?」


「……今はそれは、いいじゃないか」


「そうですね」


 僕は、その通りだと思って運ばれていた安酒を煽った。


「給与の未払い、両親になんと報告したものかと思いましてね」


「……なるほどな」


 アビスパ様は、神妙な顔もちをした。


「最近、副業の調子は悪いのか?」


「最近は、貧民層の世話を……。彼らからは金は取れない」


 貴族の他に、ウチは貧民層の病気を診ることも多い。しかし彼らからは、いつだって金を受け取った試しはなかった。


「そうか。大変だな、君も」


「アビスパ様に比べたら。戦地で命がけで戦うだなんて、僕には出来ない」


「そんな大層なことをしているように言わないでくれ」


「謙遜しないでください」


「謙遜なんてしていない」


 アビスパ様は、一瞬仄暗い顔を見せて、続けた。




「あたしのしていることだって、君と同じただの人殺しだ」




 しばらく、沈黙が流れた。


「国家が変われば、あたしは多分、国家反逆の罪で殺されるんだろうな」


「……そんなことは」


「いいや。そうなるよ。そしてもしそんな未来が巡ってきたら……。




 あたしは、君に殺されるんだ」




 ゾクリと、背筋が凍った。

 そんな僕を他所にアビスパ様は微笑んでいた。


「なるだけ、一思いに殺してくれ」


「……うん、とは言えないです」


 アハハ、とアビスパ様は笑った。




「酷い男だな、君は」


 

 

 僕は、何も言えなかった。 


   *   *   *


 酒臭い食事場で、そろそろお暇したい気分に駆られていた。


「まて、かえるな、ひときり」


 しかし、どうしても僕に絡み続ける人がいた。

 アビスパ様はさすが騎士団長とでも言うべきか、鍛えた肉体で僕を掴んで離さなかった。


 無理やりにでも剥がせば帰れるかもしれない。

 しかしそんなことをした時には何かの罪に問われやしないだろうか。


 そんな調子が故、帰るわけにもいかず、僕はアビスパ様の話を聞き続けた。

 アビスパ様のする話は、彼女の身の上話が多かった。最近、田舎の母にいつ結婚するんだ、だの、いつ血生臭い戦地から足を洗うんだ、だの、そんな話ばかりで辛い、とのことだった。

 泣き上戸のアビスパ様に気圧され、苦笑することが出来ずにいた。だけど処刑するあの時の緊張感に比べたら、こんなの辛くもなんともなかった。


 結局、食事場が騎士団のおかげで一切の酒が無くなり、店じまいだと言った頃、ようやく僕も帰れる時が巡ってきた。


「まてー、ひときりまてー」


 しかし、アビスパ様は未だ僕を離してくれる気配はなかった。


「人切り、悪いが団長を頼むよ」


「手は出すなよ、痛い目見るぞ」


 騎士団の人達は、どうやら僕とアビスパ様を置いて帰る気らしかった。そのまま、談笑しながら僕を置いて帰っていった。


「……あの、アビスパ様」


「アビスパ」


「え?」


「様は付けるな、様は。あたしは君と対等な存在になりたい」


 少し、頬が紅くなった。


「あ、アビスパ……」


「なんだ」


「帰ろう」


「いや」


「……え」


「運んで」


「え?」


「ウチまで、運んで」


 酒が入っているのに。

 

 有無を言わせぬアビスパの迫力に、僕は仕方なく彼女の願いを叶えることにした。


 千鳥足の彼女を肩から抱えて、道を歩き出した。


「……ふふ」


 道中、突然アビスパは微笑んだ。


「どうしたんですか」


「君の体、鍛えられているなと思って」


「……首を切るのだって、楽じゃない」


 首切り刀を振りかざして、一太刀で首を掻き切るのに、筋肉が不要なはずがなかった。


「……死刑執行人の初代、君の先祖は……元々は騎士団の所属だったな」


「はい。前妻との旅行中遭難し、前妻を失い、自らも深手を負った時に助けられた人が、処刑人の娘だったそうです」


 そして、処刑人の人と先祖は結ばれ、今日僕が誕生していた。


「君は、恨んでいないのか?」


「え?」


「先祖を。処刑人だなんて職、辛いだけだろう」


「……えぇ、そうですね」


 僕は曖昧に頷いて、続けた。


「でも、恨んではいないです」


「どうして?」


「彼らが巡らないと、僕は結局この地に足を踏み出すことすら叶わなかった」


「……そうか」


 アビスパが息を呑むのが、わかった。

 しかし中々、彼女は次の句を発しなかった。まもなく、彼女が教えてくれた彼女の家に、僕達は辿り着く。



「あたしも、良かった」




 彼女の家の玄関先で、彼女は言った。


「え?」


「君がこの世に生まれてくれて。あたしと出会ってくれて……良かった」


「……そ、それはどういう」


「好きってこと」


 扉が開き、アビスパに部屋に押し込まれた。

 反抗する気にはならなかった。そんなことを出来るほど、僕は冷静ではなかった。


「……好きなの、君のこと」


「どうして」


「あなたはあたしの両親を殺した連中の首を、跳ねてくれた。一思いに、ね」


 そのまま、僕は床に押し倒された。

 馬乗りになったアビスパに、唇を奪われた。甘い香りが、彼女からはした。いつも罪人からする血生臭い匂いとは、まるで違った。




「好きよ」



 唇を離したアビスパが、また言った。




「……怖くないの?」




 僕は、言った。


「何が?」


「僕は、何人もの人を殺した。怖くないの?」


 皆が僕を差別する。

 皆が僕を忌避する。


 それは僕が、処刑人だから。

 それは僕が、人殺しだから。

 それは僕が、人ならざる者だから。


 異形の者を見て、人は恐怖か好奇心か。とにかく碌な感情は抱かない。


「怖くない」


 アビスパに、鼻をつつかれた。血が巡る彼女の指は、温かかった。


「誇れる仕事ではない」


「他国から見れば、あたしだってそう」


「……でも」




「君は、気付くべきだ」




 アビスパは、続けた。





「君がした行いで、救われた人がいたことも」




 ……ただ。


 ただ、忌み嫌われるだけの仕事だと思っていた。


 罪人とはいえたくさんの人を殺めて、それで生計を立てて。そんな奴が周囲から見て、畏怖の存在にならないはずがない。異端な恐怖の対象なだけだと思っていた。


 でも、僕のしたことで救われた人がいた。


 僕を認めてくれる人がいた。

 それだけで、十分だった。


 それだけで、そう……。




 僕も、救われたんだ。


   *   *   *


 民衆革命が巻き起こり、我が国から王政が撤廃されたのは、騎士団を辞めたアビスパと僕が結ばれて五年が経った頃だった。

 

 アビスパに救われた。

 それは間違いない。でも僕は、未だ熱心にも死刑撤廃を提唱し続けている。


 世襲制で繰り返されるこの仕事。

 いずれ、その仕事はアビスパと僕の息子へ。

 そして、その子孫へ。


 辛い思いを強い続けることになる。


 恨みを買う仕事。

 やっぱりそんな仕事、子供達に味わわせるのは嫌だった。


 しかしそんなタイミングで勃発した革命は、実にタイミングの悪い事この上なかった。

 僕の願いが成就されることはなく、僕は再びたくさんの人を殺めることになった。


 王権の象徴だったコンサドーレ王と、王妃を手にかけた。


 その時は久しぶりに……手の震えが止まらなかった。


「王達が圧政を強いて、たくさんの人を死に追いやったことは事実じゃない」


 アビスパはかつての立場も忘れて、そう言っていた。タイミングが良かったのか、彼女はお咎めなしで今日も僕と息子と、三人で共に生きている。

 それにしたって割り切りの良い発言に、僕は苦笑せざるを得なかった。


「でも、信仰した人の命を奪う。それは楽なことじゃないだろう」


 極東の鎖国している国で、宗教の弾圧があったと聞いた。それでも隠れて信仰する連中が後を絶たず、国は踏み絵というその宗教の君主の絵を用意し、それを踏みつけるよう信者に脅迫したらしい。

 踏めなければ死刑。

 そうして、尊い命がまた失われた。


 人は時に、崇める人のためなら、自分の命を捨てることすら厭わない。


「でも、殺すことがあなたの仕事だった」


「うん」


「そしてあなたは、たくさんの人のため。私情も挟まず、その仕事をやり遂げて見せた」


「……うん」




「よく、頑張ったね」




 胸の奥で、熱くなる感情があった。

 全員が全員、こうして僕のした行いを褒めることはない。むしろ大多数は、僕を蔑む。だけど一人でも。たった一人でも。


 こうして僕を認めてくれるのなら、少しは僕も救われる。


「しばらくこうして、たくさんの人の命を奪い続けることになる」


「頑張って。と言うのは、少しだけ身勝手かな」


「ううん。いつもありがとう」


 そうお礼を言って、再び翌日。

 圧政を強いた王権制度。それに関わった人は、実に多い。


 その人達一人一人、それなりに裕福な生活をしていたために、顔見知りが少ないわけではなかった。

 アビスパの同僚だって手にかけた。


 私情を挟むことは、一度だってなかった。


 それが僕の仕事だったから。そしてそれが、罪人達の最期の仕事だから。


 僕が人々に嫌われるように。罪人もまた人々からしたら死んで当然の人なのだ。

 だから、僕が僕の仕事を拒否出来ないように彼らもまた、自分達が裁かれるその時を拒むことは出来ないのだ。




 だから僕は罪人の処刑を止めることは出来ないし、彼らだってそれらを受け入れるしかないのだ。


 死刑制度がある以上、それは覆しようがないのだ。王だって、それは例外ではなかった。


 だから、今日の罪人だってそれは変わらない。




 でも僕は今日、初めてこの仕事に私情を挟もうとしていた。

 

 夏、茹だるような暑さの外。そんな気候にも関わらず、石畳で舗装された広場にはたくさんの民衆が揃っていた。

 喧騒とする広場、民衆の興味を一心に浴びて檀上に立つ僕は、身に纏った装束の中に篭る熱気に、多量の汗を滴らせていた。


 今僕が身に纏う黒の装束は、悪しき毒とも言われる罪人の血が飛び散っても目立たないようにする計らいで着せられているものだが、この時期になるといつも今すぐにでもこの装束を脱いでしまいたい欲求に駆られる。


 助手達により、手を後ろで縛られた罪人が台にうつ伏せに倒された。

 まもなく始まる娯楽に……観衆達は、沸き上がる。




 今日処刑される罪人は、セルビアだった。


 貴族として豪華な生活をしていた彼女は、国民に圧政を強いた者の一人だった。


 僕は彼女の処刑に、生まれて初めて私情を挟もうとしていた。


「……ヴァン?」


 彼女の震える声は、生まれて初めて聞いた。


「ヴァン? あたしよ? わかるよね? セルビア。あなたの恋人だったセルビアよ」


「……ああ、わかるよ」


「お願い。お願いよ。殺さないで。殺さないで……」


 彼女に抱いた私情。


 それは最早、彼女が救われることがないことがわかっていた故の私情。


 この激化する観衆達を静められないことがわかっていた故の私情。


「ヴァン? ヴァン? お願い。お願いよ……」




「それは、ムリだ」




 最早後には引けない状況。

 彼女を殺すしかない状況。

 彼女を殺すことで、誰かが救われる状況。


 だから僕は私情を挟んだ。


 一時は愛した彼女。

 せめて一思いに、楽にしてやろう。


 そう、思った。




「……嫌」


「え」


「嫌。……嫌っ! いやあああああ!」


 広場の観衆の雑音をかき消すセルビアの奇声に。


 観衆も。

 僕も。


 思わず、一歩たじろいだ。




「殺さないで! いや……いやああああ! 殺さないでええええ!」




 ……気持ちが落ち着き出した頃、思った。


 ああ。

 他の罪人もセルビアのように振る舞えば良かったんだ。


 無様に。

 獣のような雄叫びを上げればよかったんだ。


 ……そうすれば国民だって、この制度が娯楽として楽しまれることに疑問を抱いた。

 そうすれば僕だって、こんな仕事に邁進する必要だってなくなったかもしれなかった。


 でも、もう……。




 全ては後の祭りなのだ。






 僕は、首切り刀を振り下ろした。

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