第145話怨霊編・真その12

 トンネルの中、たくさんの人が倒れていた。どの顔も見覚えがある。確実に1度は見ていた。それもそのはずだ。

 運転手、それから俺の彼女である天理。そして他の乗客。ここに倒れている人達は、さっきまでバスに乗っていた人達なのだから。

 しかし、倒れた人達の中央に立つ1人の男。茶色ジャケットを着ていて、真っ白なスカーフを首に付けていた。男はその鋭い視線を俺に向けた。


「お前がアレを止めたのか?」


 男は言った。アレ、とはなんだ?


(どう考えてもあのバスジャック犯のことだろ)


 ベロスの言う通りだ。男はあのバスジャック犯のことを言ったのだ。


「その口ぶりじゃ……なんか知ってそうだな」


「知らない……ってのは嘘になるな。まあ俺も本意じゃなかったしな。どうやって止めたのかはしらねぇがそこは感謝してやるよ」


 なぜそんな偉そうな態度なんだ。いや、そんなことはどうでもいい。男は、俺がバスジャック犯を止めたことを感謝した。それはつまり、バスジャック犯をあんな風にした人物は……


(待て。あいつはやばい)


 やばい? やばいとはなんだ? 何がやばいんだ?


「で? お前はなぜ倒れない?」


 倒れない? それはここにいる人たちのようにってことか?

 俺は天理に視線を向ける。よりにもよって男のすぐ後ろに倒れていた。


(いいか? こいつも怨霊に取り憑かれてる! それもさっきのやつとは比べものにならないぐらいの力だ)


 この男も怨霊に……? しかし妙だ。聞いた話によれば、普通は幽霊に取り憑かれてしまったらその人格も乗っ取られるという。俺みたいな例外を除いてだが。

 この男は今現在乗っ取られているのだろうか? とてもそんな風には見えないが……


「……なるほどな。つまりそういうことか」


 男は1人で勝手に納得したのか手をパンと叩く。


「お前も、


 同じ。この男と俺が。それはつまり……幽霊に取り憑かれても、平静を保つことができるということか?


「お前はすでに幽霊に取り憑かれているんだろ? だからお前には怨霊が取り憑かない。そういう事情か。まさかお前も特殊体質者とはな」


 やはりそうか。俺に幽霊が取り憑いていることを見抜いた。そして同じと言った。つまりこの男も怨霊に取り憑かれていて、平静を保つことのできる特殊体質者というわけだ。


「……ん? おい待て。あんた今なんて言った。俺には怨霊が取り憑かないだと?」


 男の発言に違和感を覚えた。俺には? つまり、それ以外の人間は?


「それじゃあまるで……ここに倒れている人たちは取り憑かれているみたいじゃないか!」


 そもそもなんで乗客達はここで倒れている? そしてその答えを知っているのは、中央に立つこの男だけだった。


「まるでじゃねぇよ。ここにいるやつらは全員怨霊に取り憑かれて倒れたんだよ」


 男はあっさりと答えた。ここにいる全員が怨霊に取り憑かれている。もちろん、その中には天理も含まれている。

 俺は男を睨んだ。この男が、それを実行したとしか思えないからだ。


「お前が……やったのか?」


「いや、俺はやってない……まぁこうなる原因を作った当事者ではあるけどな」


 男は全く悪びれていなかった。その事実に余計に腹がたつ。


「テメェ……なにもんだ! なんでこんなことをした! 元に戻せ!!」


(おい! 俺が言うのもなんだが落ち着け! お前じゃ歯が立たん!)


 俺はベロスの言葉を無視して、そして男の答えを待たずに走っていた。理由は簡単だ。

 男を殴るためにだ。俺は男の顔面を目掛けて思いっきり殴りつけた。そう、思っていた。

 しかし、俺の拳は男の手のひらに見事に受け止められていた。


「ったくよ。どうして俺に殴りかかる輩がこうも多いんだ」


 だるそうに頭を掻くと、男は俺の拳を離したと同時に俺の顔面に一瞬でパンチを入れてきた。


「がっ……!」


 突然の攻撃に俺は尻餅をついた。


「っ! 天理!」


 その俺のすぐそばには倒れ込んでいる天理の姿が。俺はすぐに駆け寄って天理を抱える。


「へぇ……なるほど。そいつがお前の大事なモノなんだとしたら急がねぇとまずいじゃねぇのか?」


 男は拳を手で払うとバスの方を見た。


「怨霊に取り憑かれるとどうなるか……もうわかるだろ? さっきのやつみたいに暴走するか、倒れるか。そして最終的にどうなるか。想像ぐらいつくだろ?」


 俺は天理を見る。苦しそうに息を吐いている。それは天理に限らず、他の人たちもそうだった。人によっては眠っているかのように静かな人もいれば、うめき声を上げている人もいた。


「死ぬんだよ」


 思考が凍る。死ぬ。このまま放置しておくと、死ぬ。この場にいる人は死ぬ。そして、天理も。


「嫌だ……」


 俺は天理の手を握っていた。


「嫌だ! 天理が死ぬなんて……! 絶対に嫌だ!」


 天理の手を力強く握る。彼女の温もりを感じる。絶対にこの温もりを失いたくない。絶対にだ。


「だったら俺の相手なんかしてる場合じゃねぇよな。ま、もっとも」


 男は俺を横目で見ながらトンネルの出口の方へと歩いていく。


「アレが、それを許すかどうかは別だがな」


 男の言葉と同時に、声がした。それを声と言って良いのか。もしかしたらもっと別の言い方のほうがいいかもしれない。

 叫び、雄叫び。そんなものがトンネルの入り口から聞こえてきたのだ。

 徐々にその姿が見えてくる。姿は先程のバスジャック犯だった。しかし明らかにそれとは違う感想が先に浮かんだ。

 真っ黒な塊。それが、バスジャック犯を覆っていたのだ。真っ黒な塊は形を留まらせておらず、歪な形をしていた。動くたびに形を変え、こちらに向かっていた。


(なんじゃありゃ……この街の怨霊ってのはここまでの……)


 怨霊。あの真っ黒な塊が怨霊だというのか。とてもじゃないが普通ではない。あんなものが、天理に取り憑いていると思うと……


(ダメだ。アレにはかなわねぇ! お前もさっさとここから逃げろ! 確かに俺という幽霊が取り憑いている限りお前は怨霊に取り憑かれることはない! だけど普通に殺されちまったら意味がねぇだろ!)


「逃げる? はは……出来ることなら俺だってそうしてぇよ」


 そりゃそうだ。俺だって自分の命が1番大切だ。だけど、ここで逃げたら天理はどうなる? 助かる保証は? 仮に逃げたとして、どうやって天理を助ける?


「逃げたところで結果は変わんねーんだよ。だったら俺はせめてあんなやつをぶっ潰す! そしてそのあと助ける方法を考える!」


(ば、バカかテメェは!? お前のそんな腕であのバケモンを倒せると思ってんのか!?)


 無理だろうな。俺にあいつを倒すことなんて出来ない。でも、逃げれるわけないじゃないか。

 だったら、俺は最期の時まで。天理と一緒にいたい。


「ーーーー!!」


 真っ黒な塊は声にならない叫びを上げる。そしてそれと同時に、俺に向かって一直線に突撃してきた。


「へへ……おいベロス! お前、人間の楽しみってやつ味わえたか?」


 俺はなんとなくそんなことを聞いていた。


(はっ……? テメェふざけんな! 俺はまだ満足しちゃいねぇ! だからこんなとこで死ぬんじゃねぇぞ!!)


 ああ、そうか。まだ満足してないか。だったらもう少し満足させてあげたかったもんだ。

 だけど、無理だ。俺にはどうすることもできない。俺には特別な力なんか何もなくて、天理を救うことはできない。

 だったらせめて、最期まで一緒にいてあげよう。


(テメェ……ふざーー)


 ベロスは何か叫ぼうとした。しかしその声は、別の声に遮られたのだ。


「ばい・ばい・よう・ばい・ばい」


 トンネル内に響く声。不思議な呪文のような言葉を発した人物が、トンネルの入り口付近にいた。

 それと同時に、どういうわけか真っ黒な塊は動きを止めた。そして周囲を気にしだした。なんだ? 何を見ている?


「お?」


 さっきの男は随分と離れた位置にいた。もうトンネルの出口付近だ。その男が現場の変化に気づいたのか、こちらに興味を示した。


「な、なんだよ……」


 真っ黒な塊は自分の周りを気にしていた。まるで、見えない何かが邪魔をしているかのように動きを止めていた。

 そして次の瞬間。先程呪文のような言葉を発した人物が、真っ黒な塊に急接近して何かをバスジャック犯に取り付けた。

 よく見ると、バスジャック犯の体に何やらお札が貼りついていた。

 真っ黒な塊は動きを止め、バスジャック犯の中に戻っていった。それと同時にバスジャック犯は倒れた。


「大丈夫か、少年」


 気づけば近くに1人の男性が立っていた。歳は40代ぐらいだろうか? 少し髭が生えており、何故か袴を着ていた。そして最初に浮かんだイメージは、とても優しそうな目をしている男性だったということだ。

 男性は俺に手を差し伸べてきたので俺はその手を取る。


「だ、大丈夫です……えっと……」


 俺は正直、状況が飲み込めていなかった。突然現れた男性。そして突然動きを止めた怨霊。しかしその中でも1つだけ理解できたことがあった。

 それは、この男性が怨霊を止めたということだ。


「これは……ひどい」


 男性は倒れ込んだ人たちを見て言った。


「この人達を助けたい。君も協力してくれないか?」


 この人ならみんなを助けることが出来るかもしれない。俺はそう思った。


「は、ハハ! ここでお前が出てくるか! まぁいい。俺はお前には用はねぇからな。せいぜい無様にもがくんだな。そんなことしても無駄だろうがな」


 俺が振り返ると男はすでに姿を消していた。


「……彼が、これを?」


 男性はさっきの男を知っているのだろうか?


「いや。怨霊を取り憑けたのは自分じゃないって言ってました。でもこの状況を作り出したのは自分だと……」


 俺の言葉を聞いて男性は目を丸くした。


「君は……そこまで事情を知っているのか。そうか……アレが怨霊であることもすでに把握済みだったとは……」


 やはりこの人は幽霊に関する専門家なのだろうか? 風香さんのような除霊師、なのだろうか? もしかしたらこの人が風香さんの師匠か?


「改めて問いたい。この人達を助けたい。協力してくれないか?」


 もちろん協力するに決まってる。当然だ。だけど、1つだけ確認したいことがあった。それを確かめずにはいられなかった。


「もちろん、協力します。だけどその前に1つだけ聞かせてください……あなたは何者ですか? もしかして除霊師ってやつですか?」


 男性は再び目を丸くした。俺がそこまで知っていることに驚いているのだろうか。


「ああ、私は除霊師じゃないよ」


 そうか、除霊師じゃないのか…………?? ではなんだというんだ?


「私は、霊媒師という者だよ」


 男性は懐から身分証のようなものを取り出して見せてきた。それを見た俺は、驚きが隠せなかったのだった。それは彼が霊媒師という存在だからではない。もっと別の理由。

 その理由はーー

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