第86話悪魔編その13

悪魔編その13

 時刻は深夜1時を過ぎていた。本来であればもう寝ていただろう。夜は強くないので、すぐに眠くなってしまう。

 しかし今日は違った。リビングには俺の他に、真っ白なコースを着た男、不安堂総司。そして銀髪の女、悪魔であるリリスがいた。

 俺たちは準備をしているのだ。これから行う、人間と悪魔の契約のために。


「ところで、幽霊っていってもどうなるんだ?」


 俺はふと疑問を抱いていた。霊媒師である果子義も幽霊を操っていたが、なにやら幽霊にも複数の種類があるようだった。


「地縛霊だとかおんりょーとか言ってたけど……そのうちのどれかにすればいいのか?」


 不安堂は腕を組み考え始めた。俺としてはリリスはリリスのままの姿でいてほしいが、そこまで贅沢は言っていられない。

 俺はチラリとリリスの様子を見る。リビングにぺたりと座り込んでいる。表情は変わらないが、汗や身体のふらつきが見える。相当無理をしているのだろう。あまり長くは待てない。


「付喪神。これが1番しっくりくるだろう」


「つくも、がみ? それって神様じゃないのか?」


「いいや、れっきとした幽霊の一種だ。少年の道具に付喪神として憑依させるのだ。そうすれば少年とリリスが離れることはない」


 なるほど……なら普段から持っている物がいいということか。


「しかし物、か。俺的には人の姿が良かったけどな……リリスはいいのか?」


 本人の許可なしには勝手に決めるわけにはいかない。


「アタシは……問題ない」


「そうか、それなら……」


 俺はバッグに入っていた壊れたヘッドホンを取り出した。


「これでいいか? 1番これが長く使っていた愛着のあるヘッドホンなんだ。壊れてるけど」


「あ、それあの時の……うん……いいよ、それ」


 そういえば最初に会った時、このヘッドホンをリリスに見せたっけ。


「私は外で待っている。事が済んだら声をかけてくれ」


 そう言って不安堂は外へと出てしまった。


「それで、契約ってどうするんだ?」


 肝心のやり方がわからない。どうすれば契約というのが成立するのか。


「待てよ。その前にもう1度確認しておくぞ。アンタはこれからアタシと契約する。契約が成立したらアンタは『リリスを付喪神としてこのヘッドホンに取り憑けたい』って口にするんだ。そしたらアタシが了承するからそれで……無事にうまくいけばアタシは付喪神となり、アンタの生気を吸わないで済むことになる」


 リリスはまだこの作戦について、よくは思っていないようだった。当たり前だ。成功するとは限らないし、あくまで可能性が高いというだけだ。


「心配するな。必ず成功するさ」


「一応言っておくが。もし失敗したらアタシのことをすぐあの男に殺させろ。付喪神になれたとしても、何かの拍子でもしも元に戻っても同じだ。これはアタシがアンタの生気を吸わなくて済むっていう条件で飲んだ話だからな。それが不可能と判断すればその時は……」


 殺せ、か。そんなことは嫌に決まっているが断言は出来なかった。それは俺も想像がつかない。


「それに付喪神になれたとして、契約が成立している時点でデメリットは必ず発生するし継続する。それでもいいのか?」


 契約時に発生する人間と悪魔のデメリット。


「そういえばその内容は聞いてなかったな。どんなデメリットなんだ?」


「アタシと契約することでアンタに課せられるデメリットは……『恋愛を封じる』ってものだ」


「はい?」


「そのまんまの意味だ。アンタはアタシと契約している限り、恋愛をすることが出来ない。物理的に出来ないわけじゃない。いわばやってはいけないというルールみたいなもんだ。もし破ればその時点で死だ。さらに厄介なのはアンタだけじゃなくて、その相手も死ぬということだ。その辺り気をつけた方がいいぞ」


 正直そんなことか、と思った。ラブレターのこともあったが、俺の恋愛運はとことん悪い。おそらく、今後も俺のことを好きになる人間なんていないだろう。


「そんなことか。構わないけどさ……恋愛するなってどこからどこまでなんだ?」


「いいのかよ……さあな? 要は異性と付き合う? 恋人同士になった時点でアウトなんじゃないか? アタシも契約したことないからよく知らねーんだよな」


 その辺り曖昧だけど、きっと俺とは無縁だ。大したことない。


「お前に課せられるデメリットはなんなんだ?」


「アタシは……いや、大したことじゃないからいい。それより契約の仕方だけど……」


 リリスは何故だか言いづらそうにしている。


「なんだ? そんなやりにくいのか?」


「いや、そういうわけではないんだがな」


「じゃあなんだ?」


 リリスはそっぽを向いて答えた。



「はい?」


「だからキスだ! 何度も言わせんな! で、でもな! キスと言っても別に口と口でしなければいけないなんてルールはない。それぞれが同時に相手の体のどこかにキスすればいいんだ……! そうなると1番効率がいいのは口なんだけど……」


 もっと残酷なことをするのかと思っていたが、まさかキスとは。もし男の悪魔だったらと思うとゾッとする。


「……」


「なっなんか言えよ! ア、アタシは口は嫌だぞ!」


 嫌なのかよ。それはそれでショックだな。というか不安堂の奴、これがわかってて外に出たな。


「……ならお互いに手の甲にするってのはどうだ? それなら同時にやりやすくないか?」


 我ながら名案だと思う。まああえて提案しないで無理矢理口でするのも考えたが、あそこまで否定されるとさすがに凹む。それ以上に俺にそんな度胸はない。


「そ、そうだな……それにしよう。アンタなかなかやるじゃん」


 そう言ってリリスは俺の前に座った。どういうわけか何故か正座をしている。正直似合わない。しかし様になっており、美しくも綺麗な姿だった。

 そんな光景を目の当たりにしたせいか、こっちまで緊張してきた。これからただ手の甲にキスするだけなのに……


「なあ、アンタ」


 俺もつられて正座をした。


「そういや聞いてなかったな。アンタの名前。教えてくれないか?」


 そういえば結局俺はずっと『アンタ』としか呼ばれていなかった。


「俺は魁斗。怪奇谷魁斗だ。よろしくな」


「……?? それはどういう文字なんだ?」


「え? 文字?? えっと……怪奇谷は……なんて説明すりゃいいんだ?」


 名前の説明なんてしたことないから、どうやって説明すればいいのか困った。特に俺の場合、よくある名前ではない。特に苗字の怪奇谷の説明が困難だ。


「まあいいよ。次はちゃんと説明できるようにしておけよ」


 おっしゃる通りだ。今後のためにも名前の解説方法は考えておこう。


「……」


「……」


 俺たちはお互い正座したまま見つめあっている。ものすごく気恥ずかしい。こうして面と向かって見ると、リリスは美人の部類に入ると思う。


「ねえ」


 そんな時、リリスが言葉を発した。


「一応言っておく。その……ありがとう。アタシはアンタに偉そうなことを言ったのに、ここまでしてくれて……アタシは本当に消えるつもりだった。いや、それは今も変わらないか。失敗すればね。でもこうしてチャンスを与えてくれた。アタシはそれが素直に嬉しい」


 リリスは俺の手を掴んだ。


「だからもし、成功したら。この世界のことをもっと教えてくれ。アタシは知りたいんだ。この世界のことを」


 そう言ってリリスは自分の手を差し出してきた。


「当たり前だ。それからお前は俺に偉そうなことを言ったって言ったな。確かに最初はそう思ったさ。でも間違ってないよ、お前は。ほんとにその通りだった。俺は言い訳をして目を背けていたんだ」


 リリスの手を掴む。そうして手の甲を自分の口元に近づける。


「なあ、俺は……変われたかな?」


 手の甲に唇が触れる寸前、俺は質問していた。どうしても聞いておきたかった。それに対してリリスは。


「変わるも何も、アンタはアタシを助けようと思った時点で変わってるさ。全く、ほんとに諦めが悪かったんだな」


 最後に、満面の笑みを浮かべて答えた。俺はその笑顔を見たときリリスを悪魔ではなく、天使なのではないかと思った。


 そして無事、契約は成立した。あの後俺は言われた通りに『リリスを付喪神としてこのヘッドホンに取り憑けたい』と言い、それをリリスは了承した。

 その瞬間リリスは光に包まれ、丁度俺たちの間に置いていたヘッドホンの中へと入っていった。

 成功した。成功したのだ。


「は、はは」


 体に残る違和感はない。何か吸われているような感覚もない。成功したのだ。悪魔リリスは無事に付喪神として生まれ変わったのだ。


「ん、んん……」


 そんな喜んでいる中、ヘッドホンから声がした。


「よう! どうだ調子は?」


 ヘッドホンから声がするなんて違和感しかないが、もうそれ以上に不可思議な現象は経験した。慣れた、わけではないがある程度ならもう驚かない。

 そう思っていた。



 その言葉を聞いた瞬間。俺の中で時間は止まった。



「なるほど。記憶喪失とはな」


 俺は外で待機していた不安堂に事情を説明した。あの後ヘッドホンに取り憑いたリリスの話を聞いてみても、何も覚えていないようだった。

 しかし断片的な記憶はあるようで、徐々に俺のことを思い出していた。ただ、自身が悪魔であることなどの記憶は一切失っていた。


「おそらくだが、悪魔から別の存在に切り替わったことで悪魔としての記憶や機能を失ったのだろう。これも前例がないから確証は持てないがそれが1番確実だろう」


「そんな……」


 記憶がない。あいつは俺のことを覚えているようだったが、それ以外のことはほとんど忘れているようだった。そう。


「何。むしろ好都合ではないか」


 不安堂は落ち込む俺とは逆に、喜んでいるように見えた。


「悪魔としての記憶を失っているのだろう? ならばこれから常に付喪神として扱えば良いのだ。そうすれば少年もリリスも安全だろう」


 確かにリリスが悪魔であるということが知られれば、他のエクソシストや翔列のように悪魔を狙っている人物に襲われる可能性がある。


「いいか? あの付喪神がリリスであることを知っている人間は私と少年だけだ。誰にも話してはならんぞ。それからリリス本人にもだ」


「あいつにも、嘘をつき続けろと?」


「そうだ。しかしそれは奴が望んだことだ。もしリリスが記憶を取り戻せば再び悪魔として覚醒する可能性も高い。そうでもなければ付喪神になった時点で記憶を失うはずがない」


 記憶が消えたのは悪魔でなくなるために起こったことだと言うのか。しかしそれなら納得はいく。

 そして逆を言えば、記憶を取り戻せば再び悪魔に戻ってしまうかもしれない。

 そうなれば、リリスは何を求めるか。


「そう、かよ」


 思い出せるわけにはいかない。悪魔に戻ればあいつは必ず自分を殺してくれと言うはずだ。そうさせないためにも。


「リリスの前で今回の出来事は禁句だ。それから悪魔に関することもだ。それに名前もまずいだろう。リリスという名前が悪魔の名前だからな」


 何もかもが上手くいくわけではない。そんなことはとっくの昔に味わっていた。だからだろうか。


「ああ、そうだな。俺、約束守らないとな」


 今を楽しむために、先のことを考えよう、と思ったのは。


「少年とリリスの関係性は今後も気になるが、私も暇ではないのでな。この辺りでお別れだ」


 不安堂は俺の横を通り過ぎていく。


「なあ……結果はどうあれ協力してくれてありがとう。あんたがいなかったらあいつを助けれなかった」


「私は私がやりたいことをしただけだ。その考えは少年……いや、怪奇谷魁斗。君と同じだ」


 同じ、か。それは素直に喜べないかもな。


「ところで怪奇谷魁斗よ。君はこれからどうするつもりだ?」


 彼のいうこれからとはリリスのことだろうか。それとも俺の人生についてだろうか。


「俺はあいつを見て思ったんだ。人は……こんな風に笑えるんだって。俺はもう1度あの笑顔が見たい」


「人、か」


「ああそうだ。俺は今回わかったんだ。俺のやりたいことが。そのためには」


 俺は自分の両手を広げて見る。俺の身体に宿る特殊能力、ゴーストドレイン。せっかく手に入れた力だ。利用しないわけにはいかないだろう。


「ならまずは幽霊の種類から調べるのだな。だが気をつけろよ。この街にはが彷徨ってる。それでもやるのか?」


 不安堂は最後に俺を見て忠告をした。


「何言ってるんだ」


 決まってる。俺の決意は固い。この力を使って人を救う。それが俺のやりたいことだ。


「俺がやりたいからやるだけだ」


 こうして4月の上旬に起きた事件は幕を閉じた。この後俺は幽霊を吸収する力を使い、幽霊がらみの事件を解決していった。

 そして、俺は不死身の幽霊に取り憑かれた少女と出会うのだったーー

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