・第304話:「怒り」

 気を失ったエミリアを抱きとめたエリックは、何度も、何度も、彼女の名前を呼んだ。


 エミリアは、生きている。

 それは、エリックの身体に直接伝わってくる体温、その身体の重みから、直接エリックに伝わってきてはいる。


 しかしエリックは、エミリアの声を聞いて、彼女の無事を、彼女自身の口から知りたかった。


「ちょっと、エリック!

 あんまり、乱暴にしたらダメだよ! 」


 そんなエリックのことを、クラリッサがたしなめる。


「外からあやつっていた術を魔法で解除はしたけど、それ以外にもなにか魔法とかがかけられているかもしれないし、なにか隠れたしかけや、ダメージとかもあるかもしれない。


 心配なのはよくわかるけど、まずは、あたしに見せてみてよ」

「あ、ああ……。


 頼む、クラリッサ」


 言われてエリックは、自分がまた平静さを欠いていたことに気づかされた。


 それからエリックは、クラリッサの指示を受けながら、エミリアをそっと仰向けに寝かせ、エミリアの治療のことをクラリッサにたくした。


 エミリアのことは気がかりだったが、しかし、エリックは反乱軍のリーダーだった。

 聖母を倒すという自らの決意を果たすだけではなく、エリックには、この巨大化した反乱軍という存在をまとめ、導いていくという役割がある。


「セリス、戦況はどうなっている? 」

「大丈夫、片づいたよ。

 だから、私もクラリッサさんも、こっちに来られたんだし」


 まずは状況を確認しようと、ヘルマンのことを監視していたセリスの方を振り返ってエリックがたずねると、セリスはエリックを安心させるような笑みを浮かべてうなずいてみせた。


「聖女たちは全員、討ち取った。

 今は、アヌルスさんや、レナータ先生が、魔術師たちを指揮して聖堂を守っている魔法防壁を破る方法を探している」


 リディアがエミリアを追うようにエリックに言ってくれたし、他の仲間たちや、精鋭たちもいるから大丈夫だろうとは思っていたが、聖女たちはどうやら全員、倒すことができたようだった。


「……犠牲は? 」

「……。


たくさん、出たわ」


 だが、エリックのためらいがちな質問に、セリスは率直に答えつつも、一瞬だけ表情を曇らせる。

 それだけでエリックは、聖女たちを倒すために払った犠牲が、大きいものだったということを知った。


 それは、必要な犠牲だ。

 命を落としたり、傷を負ったりした者たちも、そうなることを覚悟したうえで戦っていたのだということを、エリックはよく知っている。


 だが、なぜ、こんな戦いをしなければならないのか。

 それはすべて、聖母たちのせいだった。


 すでに全体を見れば、反乱軍の優位は疑いない。

 かつて聖母支配下にあった人類社会の大半はすでに反乱軍に加わっていたし、聖母の文字通り最後の砦であった聖都も、聖堂を除いてすべて反乱軍によって制圧された。

 聖堂を守る魔法防壁も、やがてアヌルスやレナータたち魔術師が解除してしまうだろう。


 聖母の負けは、ほとんど確定的だ。


 しかし聖母は、抵抗をやめない。

 非力な信徒たちを武装させて戦わせ、自身が失敗作として、長年、ガラス瓶に閉じ込めて放置して来た聖女たちを動員して、刺し違えて来いと命じる。


 それだけではなく、エリックを苦しめるために、妹のエミリアを洗脳して、襲わせてくる。


 無駄なあがき。

 悪あがき。


 聖母がやっていることはもはや、そんな、意味のない抵抗としか思えなかった。


 それが何のためかと言えば、聖母が、[神に代わる存在]として、この世界にあり続けるため。

 聖母が自身の地位を守ろうとしているだけなのだ。


 他の誰のためでもなく、ただ、聖母のためだけに。

 聖母の都合によって、多くの人々が傷つき、死んでいく。


 エミリアを救うことができたという安堵を覚えていたエリックだったが、徐々に、その感情は怒りへと変わって行った。


 そしてその怒りの矛先は、手近なところにいる聖母の手先。

 かつてエリックに対する裏切りの主犯となり、エリックの父親であるデューク伯爵を罠にはめて殺し、エミリアを連れ去った、ヘルマンへと向けられた。


「ひっ、ヒィィィっ!? 」


 エリックによって両手、両足を切断され、もはやなんの抵抗もできなくなったヘルマンは、エリックから向けられた怒りの視線を目にして、恐怖におびえた悲鳴をあげた。


 そんな状態になっても、ヘルマンはまだ、生きている。

 聖母がこの世界を支配し始めた時からの腹心であるヘルマンは、聖母と同様、不老不死の存在であり、キメラの姿に変異する力さえ持つ、怪物だ。

 その生命力も尋常なものではなく、普通の人間ならとっくに死んでいてもおかしくはないような傷を負っても、生き延びている。


 しかしそれは、この際、エリックにとっては好都合だった。

 ヘルマンが簡単には死なないということは、その分じっくりと、復讐(ふくしゅう)を果たすことができるということだからだ。


「ヘルマン。

 なかなか、いい格好になったじゃないか? 」


 エリックは冷酷な笑みを浮かべると、聖剣を手に、1歩、ヘルマンへと、ゆっくりと見せつけるように近づいた。

 そのエリックの姿を見たヘルマンは、悲鳴をあげ、ジタバタと、なくなった手足を使ってもがき、エリックから1ミリでも遠くへ逃れようとする。


 そんなヘルマンの哀れで惨めな姿に、エリックはその笑みを深めていた。


「そんなに怖がるなよ、ヘルマン?


 これからオレが、もっと、お前にふさわしい姿にしてやるからさ」


 そのエリックの姿に、ヘルマンは、必死に懇願する。


「や、やめろっ、やめてくれ、エリック!


 い、いえっ、新魔王様!


 どうか、どうかっ、命だけはぁっ! 」


 その哀れな叫び声は、虚しく響き渡るだけだった。

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