・第235話:「新魔王・新勇者:1」

 2人の間にあるわだかまりが、完全に消えたわけではない。

 しかし、それを乗り越えることは、できる。


 その変化は、エリックにとって大きな進歩だったし、その場に居合わせたクラリッサもセリスも、嬉しそうに微笑んでいた。


 それは、小さな希望だった。

 状況は決してエリックたちにとって有利なものではなかったが、自分たちはこれから本当の仲間として戦っていくことができるのだという変化は、この絶望的な戦いの勝率を、確かに大きなものにしていた。


 だが、エリックたちは、不意に外の様子が騒がしくなったことに気がついた。

 負傷者たちの看護のために周囲では大勢の人々が働いていたから、元々たくさんの人々がいたのだが、負傷者を安静にして休ませるために気を使っていた人々が突然、そのことを忘れて、ざわざわと動揺している。


「変だな……。

 少し、様子を見て来る」


 また、なにかが起こったのか。

 だとすれば、反乱軍のリーダーであるエリックは、人々を導き、守るためになにか、判断を下さなければならないかもしれない。


 そう考えたエリックは、クラリッサと、まだ涙ぐんでいるリディアにそう言って、急いで建物の外へと向かった。


 すると、その場にいた人々はみな、ある一点を見つめていることに気がついた。

 エリックもつられて他の人々が見つめている一点、空へと視線を向け、そして、驚愕した。


「……んなッ!?


 あれは、聖母だ!? 」


 見上げた先には、聖母の姿があったからだ。


 それは、聖母そのものではなかった。

 以前、ヘルマンがクラリッサを人質に取り、磔(はりつけ)にしてエリックをおびき出そうとした時と同じように、強力な魔法を使って、聖母が空にその姿を映し出しているのだ。


 聖母だけが身につけることを許された聖なる衣装に、黄金の美しい女性の微笑をかたどった仮面。

 そして、数百年、千年が経過しても、衰えることのない肉体。


 半透明ではあったが、忘れようもない聖母の姿が、空にはっきりとわかる形で映し出されている。


「聖母?

 ……あれが、聖母」


 エリックの後に続いて外の様子を確かめるためについてきたセリスは、おそらくこれまで聖母の姿を見たことがなかったのか、空に映し出された聖母の姿を見上げて、そう呟きながら表情を険しくしていた。


 セリスのように聖母の姿を初めて目にする者も多くいたが、人間たちには、聖母の姿を元々知っている者も多かった。


 騎士の身分にある者は騎士に叙任(じょにん)される際に聖母と目通りをしているのが一般的だったし、兵士たちも、魔王軍と戦うために従軍する際、聖都で聖母に挨拶をしてから出征するのが普通だった。

 一般の人々も、聖都に巡礼のために旅をするのは、少なくとも一生に一度は行わなければならない義務とされており、聖都におもむいて聖母の姿を聖堂の礼拝堂で遠目にでも見ている者は多かった。


 聖母が、その姿をあらわした。

 本来、聖堂の奥深くに鎮座し、よほどのことでなければ外に姿を見せることのない聖母が、姿を魔法によって空に映し出しているだけとはいえ、その姿を見せている。


 その異様な状況に、人々の間で、動揺と戸惑いが、段々と大きくなっていく。


(人々よ、聞きなさい。


 今、この世界は、大いなる危機にさらされています)


 そして、人々が固唾を飲んで注視している中で、聖母は両手を左右に広げると、そう言って、語りかけ始めた。


(人間よ。

 我が子らよ。


 汝らは、長年にわたり、汝らを滅ぼして世界を我がものとしようとする魔王と、その魔王に従えられた魔物や、亜人種たちによって、危険にさらされてきました。

 先には、私(わたくし)の聖都にも魔王軍が迫るような場面もあったほどでした。


 しかしながら、その危機は、1度、確かに過ぎ去りました。


 それを、私(わたくし)は、汝らと共に深く喜び、そして、平和の訪れと、それが続くことを、強く願っておりました)


 なにを、たわごとを。

 エリックは内心でそう苦々しく思っていた。


 確かに、人間と、魔物と亜人種とは、長く戦争を続けてきた。

 しかしそれは、聖母が自分自身の支配を続けていくために仕組んだことなのだ。


 聖母は今も、その、自分のために作り出した仕組みを利用しようとしている。

 そのことが、エリックには許せなかった。


(しかし、その、私(わたくし)の願い、汝ら人間の願いは、儚くも、潰(つい)えることとなりました)


 エリックが拳を強く握りしめている間にも、聖母による語りかけは、続いている。


(魔王・サウラは、勇者・エリックによって、打ち倒されました。

 その、はずでした。


 しかしながら、悪しき魔王、狡猾なる大敵は、いまわしき黒魔術を用いて、魔王と刺し違えて果てた勇者の身体を乗っ取り、この世界に再びあらわれたのです)


 聖母は、エリックがサウラに乗っ取られたのではなく、融合したのだということを、知っているはずだった。

 だが、それを知っていながら、誤ったことを事実として言っている。


 その方が、聖母にとって有利だからだ。


(すでに、私(わたくし)はこの新たな脅威を滅ぼすために、討伐のために、我が剣たる教会騎士団を派遣しました。


 しかしながら、勇者を取り込んで強大となった魔王を前に、力及ばず、逆に大きな損害を受けることとなりました。


 人間たちよ。

 この世界は、再び、脅威にさらされているのです!


 勇敢なる者、勇者・エリックを取り込み、勇者の力を奪い、より強大となってあらわれた、[新魔王]によって、汝らは滅ぼされようとしているのです! )

「デタラメを、言うな! 」


 エリックは思わず、そう吐き捨てるように言っていた。

 聖母が悪であるのは明らかなのに、聖母は、エリックが悪であるかのように言っているのだ。


(しかし、汝ら、人間よ。

 我が子らよ。


 なんら、心配することはないのです。

なぜなら、私(わたくし)は、この危機を乗り越えるために、新たな勇者、[新勇者]を選んだのですから)


 なにが、新勇者だ。

 どうせまた、用済みになったら使い捨てにする、都合のいい駒に過ぎないのだろう。


 そう思って苦々しい気持ちになっていたエリックだったが、次の瞬間、聖母に代わって空に映し出された[新勇者]の姿を目にして、絶句していた。


(私(わたくし)が選んだ、新たな勇者。


 その名は、バーナード! )


 それは、エリックと共に旅をした、仲間。

 親友。


 騎士・バーナードだったのだ。

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