・第225話:「キメラ:5」
サウラの、(よせ、エリック! )という制止の声も、もう、意味をなさなかった。
エリックは意味不明なわめき声をあげながら、ヘルマンに向かって突っ込んでいく。
[楽しんで]から、食い殺す。
それがヘルマンの挑発の言葉であるのは明らかだったが、エリックは到底、その言葉に我慢することなどできなかった。
エミリアは、エリックにとってたった1人だけ残された肉親だ。
そして彼女は、エリックが聖母に反抗するために戦おうとしていることを、なにも知らなかった。
それは、彼女が敬虔な聖母の信仰者だったからだ。
エリックはどんなふうに彼女に説明したらよいかわからず、黙っていることしかできず、エミリアはデューク伯爵が殺され、この城館から連れ去られるその時まで、無邪気に聖母のことを信じ続けていた。
それなのに、聖母たちは、疑うことも知らずに聖母のことを信じ続けていたエミリアを連れ去った。
それも、聞くところによると、怪しげな術を使って、その精神を奪って連れ去ったのだという。
自分のことを心から信じている者でさえ利用し、用済みになれば使い捨てにする。
そんな、聖母やヘルマンたちの考え方は許せないことだったし、なにより、エミリアを傷つけようとするヘルマンが呼吸し、こうして言葉を話していることが、エリックには耐えられなかった。
ヘルマンを、殺す。
その一念が、エリックの全身を支配していた。
ヘルマンは、そうやって怒りに任せて突っ込んで来るエリックの姿を目にして、ほくそ笑んでいた。
エリックは、挑発だとわかっていたのに、ヘルマンの罠に乗ってしまったからだ。
「死ねェ! ヘルマン! 」
エリックは憎しみの声を叫びつつ、聖剣を振るう。
しかし、怒りに任せているの動きは単調なもので、ヘルマンはするりするりと身軽にその攻撃をかわしていく。
(エリック、落ち着け!
ヘルマンの作戦に乗るな! )
「勇者様、落ち着いてください! 」
怒りに支配されてヘルマンに向かって行くエリックに、サウラとリディアが必死に叫んでいる。
その声はエリックに聞こえているはずだったが、しかし、あまりにも強く燃え上がったエリックの憎しみの感情、復讐(ふくしゅう)の感情で満たされたその心には、届かない。
「いったい、どうしたら……」
リディアは辛そうに、自身の胸を押さえていた。
リディアだって、ヘルマンを憎む気持ちはエリックと少しも変わらなかった。
聖母に生み出され、[道具]として生かされて来たリディアにとって、ヘルマンは自分の自由を束縛し、やりたくもないことを強制させる存在でしかなかった。
その卑劣な性格もあり、リディアは常に、ヘルマンのことを嫌っていた。
だが、彼女はエリックと共に戦うことはできなかった。
エリックが怒りに任せて聖剣を振るっているために、近づくことができないのだ。
それも、おそらくはヘルマンの作戦に違いなかった。
エリックとリディアを同時に相手にするよりも、エリックだけを相手にする方が戦いやすいはずだった。
エリックは聖剣を振るい続け、手当たり次第に周囲のものを破壊していたが、しかし、ヘルマンにはなんのダメージも与えることができずにいた。
そのことがより一層、エリックを怒らせ、焦らせ、冷静さを取り戻すことを阻害する。
エリックにはもう見えていなかったが、リディアには、ヘルマンが勝ち誇ったようにほくそ笑んでいるのが見えていた。
一見、防戦一方でエリックに押されているように見えるのだが、それはすべてヘルマンの作戦であって、ヘルマンは、エリックが大きな隙を見せる瞬間を狙っているのだ。
そして、その瞬間は訪れた。
エリックが起きく振るった聖剣が深々と床に突き刺さり、一瞬、その動きが止まったのだ。
ヘルマンは、その一瞬を見逃さない。
「この攻撃はどうかな!? エリック! 」
ヘルマンは勝ち誇るようにそう叫ぶと、その身体から生えた蛇の頭を先端に持つ尻尾をエリックへと向けた。
(そんなもの、斬り飛ばしてやる! )
そして、エリックがそう思って床から聖剣を力任せに振り上げようとするのと、ヘルマンの尻尾の蛇の頭がその口を開くのは、同時だった。
その蛇の口から、勢い良く、気体が噴出してくる。
それは濃い緑色をした、気味の悪い気体だった。
「なっ、なにッ!? 」
そのヘルマンからの攻撃を予想していなかったエリックは、慌ててかわそうとするが、押しよせて来る気体をかわしきることなどできず、その中にエリックは包み込まれてしまった。
(エリック、吸い込むなッ! )
サウラがそう警告したが、もう、遅かった。
一瞬だけ、エリックは異臭を感じ取っていた。
だが、その感覚はすぐに消滅し、代わりに、激痛が襲って来る。
鼻を、口を、喉の奥を。
そして、肺を。
ヘルマンの尻尾から噴出された毒ガスを吸い込んでしまったエリックは、その身体の内側を、焼かれるような痛みを感じていた。
しまった。
そう思った直後だった。
エリックの身体の内側から熱いものが逆流してきて、エリックの口から、鼻から、噴出する。
それは、エリックの身体の中からあふれ出した、血だった。
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