・第17話:「谷底で:2」

※熊吉からのお知らせ

本作は、お正月の三が日の間、日ごろの読者様のご愛顧への感謝を示すため、1日2話投稿とさせていただきます!


投稿時間は、これまで通りの0700時、そして1200時に追加投稿です!


本年も、熊吉をどうぞ、よろしくお願い申し上げます!


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 それは、谷底に積み上げられた、無数の遺体と同じく、傷だらけで、身に着けた衣服もズタボロで血潮にまみれた、みすぼらしい姿の人物だった。

 それでも、漆黒のローブだったらしきものを身にまとい、折れかけた魔法の杖を手にしていることから、それが魔術師であるということはわかる。


 彼は、エルフだった。

 50代に見える外見から、おそらくは数百年は生きているであろう、エルフ族の魔術師。


「見つけた……! 見つけた、ぞ! 」


 そのエルフの魔術師は、よろよろとした足取りで身動きの取れないエリックのところまで近づいてくると、動かないエリックのことを見おろして、その顔に歓喜の笑みを浮かべた。


 その目は血走り、戦争の間にくり返して来た無理がたたったのか、痩せこけて土気色の肌の中で、目だけが爛々(らんらん)と輝いている。


 エルフの魔術師は、しばらくの間、笑い続けていた。

 いったい、なにがそんなにおかしいのだろう。

 気でも触れてしまっているのではないかと、エリックはそう思わずにはいられなかった。


ひとしきり笑った後、エルフの魔術師は感極まったように天に向かって両手を広げ、叫んでいた。


「これぞ、天が未だ、我らをお見捨てになっておられぬことの証! 我に天が与えたもうた、最後の役目なり! 」


 いったい、この魔術師は、なにを言っているのか。

 エリックには少しも訳がわからず、今すぐにでもこの場から離れたい気分だったが、瀕死のエリックの身体は動かすことができず、どうすることもできなかった。


 やがて、エルフの魔術師は、エリックの周辺に魔法陣を描き始めた。

 折れかけた魔法の杖の先端で地面を掘り返し、その衰弱しきった体で、熱心に。

 できた魔法陣には、雨と、谷底へと投げ捨てられた魔物や亜人種たちから流れ出た血の入り混じった液体が溜まって染みこんでいく。


(なんだ……? なにを、するつもりだ……? )


 エリックは恐怖したが、しかし、今の彼にはもう、どうすることもできない。

 エリックにはどういうわけかまだ意識のようなものが残っていたが、もはや命を失って完全に消滅するのを待っているような状態で、おそらく、エルフの魔術師も、エリックはすでに死んだものと思っているだろう。


 そして、日が傾き始めるころになってようやく、エルフの魔術師は魔法陣を描き終わった。


 すでに、雨はやんでいる。

 だが、雨と血の入り混じった液体は、魔術師が描いた魔法陣を満たし、その禍々しい存在を完成させていた。


「ああ、魔王よ! 我ら、一千年、虐げられし、古き世界の眷属(けんぞく)の、希望よ! 」


 その身体に残された最後の命を燃やし尽くし、その力を振り絞るように、エルフの魔術師はそう天に向かって叫んだ。

 そして、その折れかけの魔法の杖を、赤く染まり始めた空に向かってかかげる。


 いったい、彼がなにをしようとしているのか。

 抵抗することも逃げることもできないエリックは、ただ、その様子を、恐怖心をいだきながら観察していることしかできなかった。


 魔術師は、魔王軍の魔術師たちが良く使う、人間には使われない古い言葉でなにかの呪文を詠唱すると、その懐(ふところ)から短剣を取り出し、口で鞘を取り払って刃をあらわにする。


 その短剣を、エリックに突き刺すのか。

 仲間の、魔王の復讐のために?


 エリックはそう思ったが、しかし、エルフの魔術師は、その刃を自身の手首へ、魔法の杖を天に向かってかかげたままの手へと向ける。

 そして、エルフの魔術師は、自身の手首を切り裂いた。


 エルフの弱り切った体から鮮血があふれだし、飛び散って、魔法陣を満たした血の中に混じり、ポタポタ、とエリックの身体にもかかる。


 エルフの魔術師は、自身の命を流しながら、その最後の力を振り絞るように、叫んだ。


「天よ! 我が命を捧げ申し上げる! 我が同胞の血を捧げ申し上げる! こたえたまえ、天よ、こたえたまえ!

 我らの無念、一千年の苦痛、恨みを、晴らしたまえ!

 我らの唯一の希望、おぞましき聖母から我らを解き放つ、約束されし英雄、救世主を、蘇らせたまえ!


 これなる、聖母に選ばれし、勇者の身を依り代としてッ!! 」


(なんだって!? )


 その言葉を聞いた瞬間、エリックは驚愕(きょうがく)していた。

 エルフの魔術師は、エリックたちがようやく倒した魔王・サウラを、この世界に復活させようとしていたのだ。


 それも、勇者・エリックの身体を、その依り代として。


 この場から、逃げなければ。

 エリックはそう思ったが、しかし、彼の身体は少しも動かない。


 エルフの魔術師の祈りと、その命を吸い取り、魔法陣が怪しく光り輝き始める。

 そして、強力な魔法の力が渦を巻き、形を得始める。


 それは、どす黒い光だった。


 谷底へと打ち捨てられた、無数の魔物、亜人種たちの血。

 その無念が、怨念が、恨みが、憎しみが。

 負の思念が入り混じり、溶けあって同化した、闇の力。


 その闇の力が、魔法陣の中で収束し、そして、一斉に、エリックの身体へと襲いかかり、まとわりつく。


 エルフの魔術師がその力を使い果たして倒れたが、すでに完成され、発動された魔法陣は、その動作を停止しない。


 エリックは、自身の中に、深く、強い闇が入り込んで来るのを感じ取っていた。

 もはや意識だけの存在となっていたエリックには、その感覚がとりわけ強く、鮮明に感じられる。


 恐ろしかった。

 これまでに経験してきたどんなことよりも恐ろしく、エリックは恐怖に叫び声をあげたかったが、その身体はやはり、動かない。


(嫌だ! ヤメロ! オレに、入って来るな! ……来るなァ! )


 エリックは心の中で叫んだが、それ以上はなすすべもなく、その、無数の魔物、亜人種たちから湧きだした闇の力が自身の中に入り込み、自分を浸食していくのを知覚しながら、徐々にその意識を失って行った。

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