・第6話:「魔王軍包囲殲滅戦:3」
人類軍の兵士たちに歩かされていた魔王軍の捕虜たちの間で、突然、騒ぎが起こった。
瓦礫(がれき)の中から小さな影が飛び出してきて、捕虜たちを連行していた兵士に襲いかかったのだ。
それは、エルフと呼ばれる、亜人種の一種の、その、子供であるようだった。
一般的に、エルフは長命な種族とされている。
その長命さゆえに成長は遅く、また、成人してからの老化もほとんどしない種族であったから、[子供]に見えたとしても、実際にはエリックよりも長生きをしているという可能性もある。
だが、それはやはり、子供にしか見えなかった。
まだ成長しきっていない小柄で、骨格の華奢(きゃしゃ)な身体つきは、そのエルフの性別が男なのか女なのかさえはっきりとはしない。
エルフの子供は、瓦礫(がれき)の中から飛び出すと、エルフ語でわめき散らしながら人間の兵士へと襲いかかった。
そして、襲いかかられた兵士は咄嗟(とっさ)のことで反撃することができず、ビクン、と大きく身体をのけぞらせながら震えると、双眸(そうぼう)を大きく見開きながら、力なく地面へと倒れこむ。
倒れた兵士の身体から、じわりと鮮血があふれ出る。
そして、エルフの子供の手には、細身だが刀身が分厚く、鎧の隙間から突き刺すのに適した形状の、血塗られた短剣が握られていた。
エルフの子供は、その動きを止めなかった。
エルフ語でわめき散らしながら、他の兵士へと襲いかかり、闇雲に短剣を振り回す。
だが、その技量は、未熟と言わざるを得なかった。
あるいは、その身体的な未発達のために非力過ぎ、奇襲して不意をつく以外には短剣でさえまともに扱えないのかもしれなかった。
捕虜たちを連行していた人間の兵士たちは、仲間の1人が倒されたことに激高し、容赦なくエルフの子供に反撃を加えた。
エルフの子供が振り回す短剣を盾で受け止め、そのまま対格差にモノを言わせて突き飛ばし、倒れたエルフの子供に剣を振り下ろす。
エルフの子供は地面の上を転がって攻撃をかわそうとしたが、避けきれず、振り下ろされた剣はその身体を深く切り裂いた。
致命傷ではない。
だが、重傷で、エルフの子供はそのまま傷口を手で押さえながらうずくまる。
それは、エリックの目の前で起こったことだった。
エリックの目の前に、重傷を負ったエルフの子供がいて、受けた傷の痛みと、敗北した屈辱、そして自身の避け得ない運命への恐怖とで、涙を浮かべているのが見えた。
エリックは、聖剣の柄(つか)に手をかけた。
だが、それを抜くことができなかった。
消し去ったはずの躊躇(ちゅうちょ)する心が、再び、エリックの心の中でにわかに膨(ふく)れあがったからだった。
エリックが躊躇(ためら)った一瞬の間に、捕虜となっていた魔王軍の兵士たちの中から、1人が飛び出してきて、まるで自身の身体を盾として、エルフの子供を守るように覆いかぶさった。
それは、片手を失い、ありあわせのモノで止血をしただけの、惨(みじ)めで憐(あわ)れな敗残兵だった。
エリックからはその後ろ姿しか見えなかったが、すでに固まり始めている血がべったりとついたその兵士の頭髪の隙間から、細長い耳が飛び出していることから、その兵士がエルフ族であることだけは判別できた。
その兵士と、エルフの子供が、どういった関係なのか。
親子なのか。兄弟なのか。
あるいは、単に、同族であるという理由だけで、かばおうとしているのか。
もしかすると、エルフの子供が自ら飛び出して来たのは、連行されている捕虜たちの中に知った顔を見つけて、助け出そうとしたからかもしれなかった。
そのまま隠れていれば、小さな体格のおかげで見つからずに済んだかもしれないのに、それでも、なにもせずにはいられなかったのかもしれなかった。
エリックの頭の中で、様々な想像が膨(ふく)らみ、葛藤(かっとう)が生まれる。
その葛藤(かっとう)は、エリックに聖剣を抜くことも、身じろぎすることさえ許さなかった。
だが、その時、エリックの横をすり抜けて、ヘルマン神父が前へと進み出た。
そして、ヘルマン神父はなにも言わず、なんの迷いも躊躇(ちゅうちょ)もなく、その手にいつの間にか握られていた剣を振るった。
ヒュン、と風を切る音が、2回響く。
1回目の斬撃で、エルフの兵士は背中から深く切りさかれ、そして、2回目の斬撃で、エルフの子供は絶命した。
かつて、2つの命だったものは力なく地面に横たわり、ビク、ビク、と痙攣(けいれん)しながら、赤い塗料で世界に新たな色彩を描いていく。
光を失った、ガラス玉のようになった瞳が、空虚に、黒煙に覆われた空を見上げている。
「勇者殿。いけません、いけませんぞ。油断なさっては」
鋭く剣を振るい、ついた血潮を振り払ってから剣を鞘(さや)に納めると、ヘルマン神父は未だに動き出すことができずにいたエリックのことを、[出来の悪い生徒]を見つめるような、優しさと呆れとの入り混じった表情で振り返った。
「我らは、聖母様の御威光の下、魔王を倒し、魔物、そして聖母様に従わぬ亜人種どもを駆逐せねばならぬのです。今さら、躊躇(ちゅうちょ)するなど、そんなことではいけませんぞ。……それとも、よもや、亜人種どもに同情してしまったわけではありますまいな? 」
その、説教めいたヘルマン神父の言葉を聞きながら、エリックは自身の両手をきつく握りしめていた。
だが、すぐにエリックの両手は弛緩(しかん)し、エリックは一度深呼吸すると、その表情から一切の動揺を打ち消し、ヘルマン神父のことを静かに見つめ返した。
「いいえ。……ヘルマン神父、ありがとうございました。おかげで、助かりました」
「どうかお気になさらず。勇者殿をお導きする、それこそが、私(わたくし)が聖母様に与えられた使命でありますから」
すると、ヘルマン神父は人の良さそうな笑みを見せ、エリックに朗らかに言った。
エリックは、内心で、寒々しいような心地になる。
だが、再び生まれた動揺を、今度は一切表に出すことなく、エリックは平然とした口調で、力強く、つき従う仲間たちに告げた。
「行こう」
そうして、エリックたちは、魔王と戦うために、再び進み始めた。
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