アストラ ゼロ/ゼロ

hiraku

第一章 1話《星の力》

"神なんていない"


 それが僕の結論だ。

考えてもみて欲しい。もし神様なんて都合のいい人物がいるのなら、人々を襲う災害は起こらない。

悪人も生まれないし、世界はもっと幸せなはずだ。


 災いは神の与える試練。そう唱える人もいるだろう。

しかし、多くの災害で死んだ人々を差し置いてそんなことを言える人間はいるのだろうか。


 僕はこう考える。

もしそんな試練を与える者がいるとすれば、それは神ではなく"悪魔"だ。


 アルスは今日も神をかたどった石像を見ながらぼーっと考え事をする。

少しクリーム色っぽい白い髪と綺麗な青い瞳が特徴的な純朴そうな少年、といったところだろうか。

服は白いダボッとしたものを着ているが、どちらかといえばボロい布切れという方が近く、通りで騒いでいる人々の服装と比べてみてもみすぼらしいと言わざるを得ない。


 アルスが通りに目を向けると、様々な人々が活気よく騒いでいた。

中世ヨーロッパ風の街並みに立ち並ぶ屋台の中には、大きい骨付き肉を笑顔でむさぼる者もいれば、酒を浴びるように飲んでいる者もいる。

人々の身なりはアルスと比べればどれも綺麗に整っていると言えるだろう。

中にはアルスと歳の近い子供もおり、笑顔で親に見守られながら楽しそうにはしゃいでいる。


 そんな賑やかな通りを見つめるアルスの目には、光が灯っていなかった。


 アルスは幼い頃に父親が行方不明になり、唯一の家族となった母親も病気で寝たきりになった。

14歳になった今も、母親の薬代や生活費を稼ぐために働き詰めの毎日だ。

休む暇もなく労働し続ける日々を送れば、神の存在を咎める理由もわかるだろう。


「おいアルス!突っ立ってないでこれ運べ!」


「は、はいすみません!」


 屋台に立つ男性が怒号を飛ばす。

何しろ今日は一年に一度訪れる"特別な日"だ。

いつも以上に忙しく働かなければならない。


 それも皮肉か、神の存在が関係している。


 アルスは月と太陽をモチーフにしたような抽象的な造形をした神の石像を横目に木箱を運ぶ。


 太陽が天辺に来る今日この日は、神がこの世に降り立つ日なのだ。

どこかに存在すると言われる神の世界から降り立ち、人々に幸福を与える。


 と、いう建前で騒ぎたいだけの人々が騒ぐだけの日だ。

何も特別なことはない。

実際、記念日なんてそんなものだろう。

特別感を出すだけ出して結局何か本当に特別なことが起こるでもなく、イベントを楽しむ。


 くだらない、とアルスは思う。


 きっと何も考えずにお祭り騒ぎをしている富裕層の皆様の目には、アルスは映っていないだろう。

明らかに貧乏そうな少年が一生懸命働いているというのに、誰も救いの手を差し伸べようとはしない。

所謂見て見ぬふり、というやつだ。

優しそうな笑顔で子供を見つめる母親も、高価そうな酒をガブガブ飲んでいる中年男性も、心のどこかで言い訳をしているのだろう。

自分には関係ない、と。



***



「疲れた…」


 日も沈みすっかり辺りが静かになった頃、アルスは仕事を終えて木箱に座り込む。

いつも以上の力仕事をし続けたせいで身体の節々が痛み、明日は筋肉痛で起き上がることすら出来ないんじゃないかと苦笑する。


「そろそろ帰らなきゃ」


 一息吐き、アルスは病床に着く母親の待つ家へ向かおうと立ち上がる。

とぼとぼと裏路地に入り、月を見上げながら想いを馳せる。


 あの月は太陽の力を借りて輝いている。

月だけじゃない。人々は皆誰かの力を借りて生きている。

じゃあ、誰の力も借りずに生きる人間はどうなる?

誰からも手を差し伸べられず、孤独な日々を過ごす。

そんな辛いことが他にあるだろうか。


 アルスはまだ世界の広さも知らない14の少年だ。

頼りになる家族も友人もいない。


 暗く広い道の真ん中でポツリと立つアルスは、ふと世界にはもう自分しかいないのではないかと錯覚する。

上空に輝く星々に見下ろされ、いや、見下されているとすら思う。


「もう、本当に疲れたなぁ」


 無心で、そう呟く。

悲しみなんか、とうに過ぎている。

手が冷たい。今はただ、誰かと共に過ごしたい。

ずっと孤独に生きてきた少年は、人の温かさもまだ知らない。


「ねぇ、君がアルス君だよね?」


 突如、物陰から声がした。

見ると、アルスと同じ白い髪をした紅い瞳の少年が立っていた。

少年はアルスと同い年か少し下くらいだろうか、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

白いローブと白い半ズボン、そしてさらけ出された白い肌と全身が白で統一された恰好からどこか神聖な印象を漂わせる少年は、アルスの知り合いではない。


「えっと…君は誰?」


 当然の疑問をぶつける。

こちらの名前だけ一方的に知られている気味の悪さは想像以上にむず痒い。


「え、それ聞いちゃう聞いちゃう?」


 質問を投げかけると同時に少年は満面の笑みで顔を突き出してきた。

まるで待ってましたと言わんばかりの表情で、ニマニマと見てくる様子は正直うざい。


「ふふふ…驚くなかれ。僕はこの世界で一番えら〜い人!そう、君達の信仰する神様さ!」


 バッと両腕を広げた少年の声は静かな街に響き渡る。



なんと、神様が現れた!


▶︎たたかう

にげる



 アルスは無言で目を丸くする。

少しして三点リーダーの三つ目が表示されようとした時、ようやく口を開く。


「ソ、ソウナンデスネー」


 正直、誰がどう見てもただの少年だ。

纏っている衣服が高価そうなこと以外はこれといった特徴もない。

こんな少年が神なのだとしたら、あのお祭り騒ぎも一瞬で静まり返ってしまう。

きっと富裕層のちょっとイカれた子供なのだろう。


 アルスは神と名乗る少年の顔を一瞥すると、静かにその場を立ち去ろうとした。


「いや待って待って待って!絶対信じてないよね!?」


 芸人も目を丸くするような鋭いツッコミ。流石神様だ。

歩きだそうとしたアルスに立ちはだかるように飛び込む少年に、アルスは不機嫌そうな表情をする。


「なんですか、神様」


 こんなおままごとに時間を割いている余裕はない。

ムッとした顔で睨むが、一応神様の設定を守る律儀さはあった。


「まあまあ、少し話を聞いていってよ」


 アルスとは裏腹に飄々ひょうひょうとしている少年は、アルスの表情を見てもう一度微笑む。


「突然だけど、君は魔法がこの世にあると言ったら信じるかい?」


「は?」


 あまりにも突拍子のない質問。

神様と宣言した次には"魔法"。なんて非現実的な単語なのだろうか。

もう本当に構っていられない。


 アルスは呆れた表情で首を振り、返答もせずに少年の横を早足ですり抜けた。


 魔法なんてあるのなら、尚更願ってでも神様に使っていて欲しいもんだ。

母親の病気を治して下さい、と。


 少年の笑みを浮かべた表情がアルスには嫌味にしか見えなかった。

足早にその場を離れようとした去り際、アルスの耳に少年の小さく呟いた声が微かに聞こえてくる。

言葉を認識したと同時にアルスはピタリと足を止め、唇を噛んで勢いよく振り返る。


「出来るわけないだろ!!!」


 はっきりと、大声で叫んだ。

喉の奥が引っかかり、少し声が掠れる。


「僕が、僕がどんな思いで今まで頑張ってきたかも知らずに…!」


 複雑に込み上げる感情が、アルスの声を強く震わせる。


『…君にも使えるのに』


 少年が呟いた言葉は、アルスのこれまでの苦労が全て無意味だったと言うようなものだった。

魔法が使えるなら、父親を見つけられたかもしれない。寝たきりになった母親の病気を治せたかもしれない。

魔法が使えたのなら、今日あの街で少年達と共に楽しく騒いでいたかもしれない。

神様なんているのなら、もっといい人生が選べたはずだった。

身体が震え、握り締めた拳がジンジンと痛む。

ここで叫んでも、何も変わらないのに。

悪ふざけで話しかけてきたであろう少年に怒りをぶつけても無意味なことは、自分が一番わかっていた。


「...知ってるよ」


 少年は振り返り、真剣な表情で真っ直ぐにアルスの目を見ながら応える。


「…え」


「僕はね、君に渡したいものがあっただけなんだ」


「渡したい、もの…?」


 そんなの、どうでもいい。

魔法も、神様も、どうだっていい。

見捨てられたちっぽけな人生がこれから変わるはずが無い。

何を貰っても元気な両親は帰ってこない。

でも、不思議と何故か、何故かこの少年の言葉には芯の通った不思議な力を感じた。

何かを変えてくれるような力強さを、この現状を打開してくれる期待感を、この少年の言葉が、そして紅く輝く瞳が真っ直ぐに訴えかけてきていた。


「はいこれ。君にピッタリな代物さ」


 感情の行き場を失い呆然としているアルスを一瞥すると、少年はにっこりと笑いながら何かを放り投げる。


「これは…」


 思わず受け取ったそれは腕輪のような形状をしており、丁寧な装飾が施されていた。

金属で出来ているようだが見た目よりは軽く、不思議な素材で出来ている。


「それは僕の力を込めた腕輪だよ。それを持っていれば君にも魔法が使えるようになる」


「魔法…本当に…」


 突如現れた見ず知らずの少年が渡してきた謎の腕輪。

そして神を名乗り、魔法などとにわかには信じがたい言葉を並べ連ねてきた。

普通、鼻で笑ってその場を去るだろう。

しかしアルスを見る少年の笑みが、立ち振る舞いが、どうにも真実を述べているようにしか感じられなかった。


 アルスが呆然と腕輪を見つめる中、少年が言葉を続ける。


「まあ正確に言うと、この世界には”魔法のような力”が存在するんだ。

その力は”星精術せいせいじゅつ”と呼ばれていて、厳密に言うと星のエネルギーを取り出して様々な現象を起こす技術のこと。

そして星精術を使うには星の力を込めた道具、今君も持っている星道具エトワールが必要で、その星道具は一部の選ばれた才ある人間にしか扱えない」


「せいせい…えと…?」


 唐突に知らない単語を当たり前のように語る少年についていけず、アルスはわたわたと言葉を繰り返す。


「…まあ、そうだよね〜!急に言われたってわからないのは当たり前さ。ひとまずは実戦練習しないとね」


「実戦?」


 少年がにこりと笑うと同時、少年の背後にある裏路地から人影が飛び出してきた。


「見ぃつけたあ!!!!!」


 謎の影はこちらに向かって叫び声を上げると、凄まじい勢いで突っ込んで来る。


「えっ!ちょ…!ひ、人!何か来て…!!!」


 向かってくる様子はどう見ても友好的なものではない。

生命の危機を感じる程の殺気が向かってくる影から溢れ出ている。

明らかに、殺しにかかって来ている。

アルスは指を指して少年に教えるが、振り向くよりも影がこちらに辿り着く方が速いだろう。


 よく見るとフード付きのマントを羽織っている男のようだ。

ギラりと瞳が光り、口が裂けそうな程の笑みを浮かべていることがわかったのは、死を感じた際のスローモーション的なものの影響だろう。


 当然対応出来るはずもなく、男が突っ込んで来ることを止めることは出来なかった。

目を逸らし、死の覚悟も出来ぬまま成り行きに任せる。


「そ、実戦練習」


 危機的状況に陥っているというのに、悠々と少年は言葉を発した。


 が、それも当然だった。

少年の周りに広がるのは、広大な宇宙。

たった今まで二人で話していた場所の姿はまるでなく、遥か上空から眼下まで星が輝く美しい景色が広がっていた。


「は」


 そこには襲ってきた男もおらず、少年とアルス、だた二人がその場に立つのみだった。

作画を間違えたアニメのように一瞬で切り替わった景色に、アルスは戸惑うどころか思考を停止する。

人間は死を感じる程の局面に立つと怖いくらいに冷静になると言うが、更にそこから宇宙に行くと脳が考えることを止めるらしい。


「あっははははははは!!!!!」


 ひーこらひーこらと楽しそうに少年が笑う。

しかしそれでもアルスは脳が状況を飲み込めていないためにツッコミすら入れられない。


 足元に目を向ける。

足を付けたところから波紋が広がっており、神秘的な景色が見られた。

息も出来る。

どうやら完全に宇宙に放り出された訳ではなく、地面(?)には透明な床のようなものがあり空気も存在するらしい。


「ごめ、ごめ…いやほんと…あっははははは!!!」


 少年は腹を抱えて笑い続ける。

前屈みになり、こちらに背中が見えるほどの爆笑だ。


「…え?」


 よく見ると、いやよく見ずとも、彼の背中にあるものに目が釘付けになる。

少年の背中に生えるものはそう、"翼"そのものだ。

しかし翼といっても鳥のような羽根で出来たものではなく、薄く光る謎の物体で出来ている。

暗い宇宙と対比して光り輝くそれは、彼がただの少年ではないことをはっきりと示していた。


 少年はひとしきり笑うと唖然として口が閉じないままのアルスに歩み寄り、ポンと肩に手を置く。


「驚いたかい?…ってそりゃまあ驚いてるよね。

ここは僕の住む世界の一つさ。今は一旦時間を止めて君の意識だけをここに連れてきた」


「意識を…?」


 もう、何がなんだかわからない。


 状況の理解をやめたアルスは大きく息を吐いて肩の力を抜く。


 翼が生えようと時間を止めようともう好きにしてくれ。


「まあとにかく、今本体の君は走ってきた男に殺されそうになってる状況だ。

僕はまあ…大丈夫だけど君は違う。

つまりすぐに何とかしないと時間を動かしたら死んじゃうってワケ」


「ワケって…じゃあもうどうしようもじゃないですか」


 男はもう目の前に迫ってきている。

今更それを教えて貰ったところで死ぬ未来しかないだろう。


 少年は項垂れるアルスに人差し指を向け、チッチッチッと振ってみせる。


「そこでさっき渡した星道具の出番さ。

あれの力を引き出して何か星精術を使ってごらん。

星の流れを攻撃に変換するイメージでやればいい」


「そんなの言われたって…」


「じゃ、頑張ってね」


 アルスが何かケチをつけようとする前に少年はニコリと笑い、パチンと指を弾いた。

途端に景色が宇宙から元いた道に変わり、目の前には凄まじい勢いで男が迫ってきていた。


「は」


 まてまてまてまて。

もう全部急すぎる…!

どうすれば…確か腕輪に力を込めれば良いとか言ってたっけ。

もうなんだかわかんないけど、やるしかない!


 コンマ五秒程の思考ののちにアルスはグッと目を瞑り、腕輪に思い切り力を込めた。


「えいっ!」


 その瞬間、薄暗い世界が光に包まれた。

同時に凄まじい爆風が巻き起こり、襲ってきた男はおろかアルスまでもが風に煽られ吹き飛ばされる。


「うわあああああ!!!」


 アルスは後方5m程吹き飛んだ後、いつの間にか現れていた少年に受け止められて着地した。

吹き飛ばされて尚吹き荒れる風は凄まじい風圧で周囲の空間を震わせる。

少しして光と風が収まったかつての道には、クレーターのように大きな窪みが残っていた。


 アルスを受け止めた少年は道の窪みを一瞥すると、目を丸くして口を開く。


「いや~…思った以上に凄かったね。

才能あるとは思ってたけどここまでとは思わなかったよ」


 アルスは恐る恐る目を開けた後、視線を素早く腕輪と地面の窪みに行き来させる。


 これを自分が…?


 少年は壊れた人形のように首を振り続けるアルスの様子を見て少し笑うと、一息吐いてから口を開いた。


「そうだよ、これは紛れもなく君がやったんだ。

本当に魔法、使えたでしょ?」


 ニコリと優しい笑みを向ける少年に、アルスは目を泳がせ、やがて向き直る。


「…本当に、本当に神様なんですか」


 今までの人生、ずっと苦しみ続けた。

絵本を開くと、頼りになる父親と温かい夕食を作って待っている母親がいた。

顔を上げると父はおらず、母は目の前で倒れた。

母は原因不明の病気らしく、治療法は14になった今でも見つかっていない。

効果があるのかわからない薬代のために毎日働きに出て、右も左もわからないままに重労働を強いられた。

帰っても温かい夕食はなく、空っぽの食材をかき集めた味のしない料理を食べて育った。

そんな生活をする中で、一つの結論を出した。


"神なんていない"と。


 幼い子供一人救ってくれない神を、僕は神と呼ばない。

そう決めて生きてきた。


 でも、今目の前にいるのは誰だ?

天使か、悪魔か、それとも───


「そう、僕は神を呼ぶ今日、神界から舞い降り君を救いに来た───神様さ」


 なんだ、いるじゃんか。

ずっと、本当はずっと求めていた。

子供がサンタクロースを信じるように、本当は神様がいると信じてたんだ。


 ボロボロと溢れる14年分の涙が、アルスの頬を伝って零れ落ちる。

その日、わんわんとくアルスの声が静かな世界に響き渡った。


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