麺類による世界征服

オレンジの金平糖

麺類による世界征服

 無機質な電子音が響いた。また一つ、島が沈んだのだ。

「司令官、そろそろチュニジア、アルジェリア辺りにも避難勧告を出しましょう。ここ数日で大きく数値が跳ね上がっています。増加率を少なく見積もってもあと二ヶ月ほどではないかと」

 大型モニターに表示されているのは、世界中に設置された災害観測A I“ウミダス”でのリアルタイムの測定値だ。カナダのノースウエスト準州とアルバーター州の境にある、国際UDON環境対策委員会の対策研究本部では、各観測地点から寄せられたデータをもとに、災害状況の把握とそれに伴う避難指示などを出していた。空中国家形成や他衛星への移住計画は難航しており、現時点では内陸に人口を移動させる応急処置が取られている。

「アフリカ担当チームに伝えておけ。彼は――例の日本人はどこにいる」

 司令官はどんぶりを片手に持ったまま、部下の調査員に追跡中の最重要国際指名手配犯の行方を尋ねた。表向きの容疑は殺人だが、ごく一部の人のみが知る本当の手配理由。それは彼がうどん化現象の引き金となった張本人であるからというものである。

「日本の本州が沈んで以降目撃情報が途絶えています。海の藻屑……いえ、うどんの藻屑となっていると思われます」

 

 

 世界中で食糧難だと騒いでいたら、海や川や湖がすべてうどんになった。――少なくとも世間一般の解釈はそれである。

 西暦2037年6月28日のことだった。地球にある液体状の水分の全てがうどんに変わってしまっていた。変化した瞬間を見た者はいない。その現象が自分の目の前でのみ起きていると思っていたうちは、食糧危機脱却の未来が見えたと歓喜する人も多かった。しかし、その考えが間違いであると、人々はすぐに思い知らされることになる。

 水不足の深刻化。それに加えてうどんによる陸地の破壊。

 うどん化から三年たった今でもそれは止まることを知らない。



「インドネシアから救助要請が!」

「すぐにオーストラリア支部にまわせ! 念のため中国政府にも連絡を入れておけ」

 司令官の男は慣れたように指示を出し、うどんをすすった。彼はうどんよりそば派だった。うどんを命とするほどのうどん派の知り合いと夜通しで論戦を展開するほどには、そばへ愛も強かった。うどんだらけな世界でうどんをすするなど屈辱に他ならない。それでもうどんの消費のために少しでも多く食べなくてはならない。早急にこの問題をどうにかしたかった。

「緊急時に悪いが出張に行く。副司令官に代理権限を与えるからしばらく頼む」

 そば派の司令官はそう言って返事も聞かずに飛び出すと、飛行場へ車を走らせた。うどんを食べ続けて千百五十二日目のことである。

 



 日本で唯一形が保たれている四国。その香川県にある土器川の河川敷に、白衣を着た男が一人。

「そろそろ来てもいい頃なんだけどなぁ。こうしてわざわざ、外に出てやってるっていうのにさ」

 男は面白くなさそうに呟くと土器川に箸を入れて口へ運ぶ。うどん化現象が起きる前であれば水を飲んでいると勘違いされただろう。彼はうどんを飲んでいる。彼にとってうどんは食事であり水であり命と同じくらい愛してやまないもの。

「今日ものどごしが最高だ! やっぱり讃岐うどんが一番——」

 男の独り言はそこで遮られた。

「いや、そばだ。断然にそばだ」

 声の主を見るなり男はにやりと笑った。

「ようやく来たかぁ。正直待ちくたびれたよ」

 このうどん狂いを探し、ここまで訪ねてきたのは、国際UDON環境対策委員会の対策研究本部総司令官その人である。

「誰のせいだと思っているんだ? 私の仕事はお前のせいで増えるばかりだったんだが」

 悪びれた素振りも見せず「最高だよね、これ」と土器川を指さす。その顔はとても誇らしげだった。

「なにが『最高』だ。うどんだらけにしやがって」

 司令官、いや、讃岐うどん至上主義者の好敵手である男はわざとらしく唾を吐き捨てた。

「僕もね、つくづく思っていたんだ。君がうどんまみれの生活を送ることはとても興奮するけどさ、あまりに一方的というのもつまらない」

「何が言いたい?」

「君はこのうどんがそばに変わるとしたらどうだ?」

「最高だ! それこそが『最高』というものだ!」

 そんなことが可能ならば既にそうしてしまっているだろうと想像し、彼は即答した。

 その答えに満足気に頷くと、男は手に持っていたうどん専用の箸をポケットにしまい、代わりにまだ一度も使われていない箸を取り出した。

「僕がそばを食べてやろう」

「うどんは頭をおかしくする食べ物だったか」

 うどんに破壊されていく世界を思えばそれはあながち間違いとも言い切れないが、それとはまた違った恐ろしさだ。この男がそばを食べるとは天変地異が起きる前触れか、と司令官が勘ぐってしまうのも無理はなかった。

「ただの暇つぶしだよ。一年後には元に戻すし。……面白そうでしょ?」

 どちらからともなく二人は悪い笑みを浮かべ握手をした。

「それなら今回は特別に提案に乗ってやろう」

「強気だねぇ。そばになったらたちまちうどんが恋しくなるっていうのに」

「私に限ってそれはないからね。むしろ一年後には、うどんに戻す気がお前から失われているだろうよ」


 この日の夕方、世界からうどんが消えた。代わりに現れたのはそばで、国際UDON環境対策委員会は国際SOBA環境対策委員会に名前を変えた。



 徳島県祖谷地方の隠れ家では、今日もうどん対そば論争が勃発している。

「なんで島根まで沈めたんだお前は! そばといえば出雲そばだろうが!」

「はぁ? わんこそばくらいしかしらないよ。第一、香川さえあればいいじゃないか」

 さも当然だとばかりに答えた男に、司令官、もといそば狂いの国際指名手配犯はこの世のものとは思えないという顔をした。

「日本三大そばすら知らないのか⁉︎ お前本当に人間か?」

「じゃあ聞くけど、君は日本三大うどんを知っているの?」

「戦う相手のことくらい知っている」

「おお! うどん愛に満ちてきたねぇ。もう少ししたら君をうどん信仰者と認めてあげるよ」

「これはそばのためだ! そんな頭のおかしい宗教はこっちから願い下げだ!」

 うどん派代表の煽りはそば命の男に面白いほどよく効く。相変わらず白衣を着てうどんをすするこの男はそれがわかっているから、もともと認める気もないうどん信仰者の名前を軽々しく出すのだ。うどん派の会員は常に募集中だが、この男に関しては話が別なのである。

「だいたい、今そばで溢れているのだって僕のおかげだろう? 君は僕とうどんを崇めた方がいいんじゃないの?」

「誰がお前を崇めるか!」

「やり方を教えたのは僕なんだから、神様と呼んでもいいと思うんだけどねー。——いや、やっぱりそんなことはどうでもいい。まずはうどん最高世界一と叫べ!」

 男は叫んだ。

「そば最高世界一!」

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麺類による世界征服 オレンジの金平糖 @orange-konpeito

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