ふくれあがる

きょうじゅ

128

 有名な小説の有名な出だしがある。知っているだろうか。こういうものだ。


『ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた』


 そう、フランツ・カフカの『変身』。ぼくはそれを思い出していた。この毒虫なる単語、原文で用いられている単語を分析すると必ずしも「虫」であるとは明言されていないらしい。直訳すると「有害な生き物」という意味の単語なのだそうだ。


 で、僕は今ザムザと近い状況にある。気がかりな夢は別に見なかったが、セミダブルベッド(セミダブルベッドに一人で寝るのって気持ちいいんだよ。知ってた?)の上で目覚めると、身体のサイズが大きくなっていた。といっても、人間以外の何かになったわけではない。ただ大きいだけだ。セミダブルベッドが一つ埋まるくらいのサイズになっている。


 鏡を見てみた。全体的に、膨れ上がっている。言いたくはないが、既に外見的にはぼくはもう人間以外の何かだ。気持ちが悪い。自分自身の顔なんだけど。具体的にどうなっているのかは、伏せる。しかし、まあ、悪夢を見ているような気分だ、とだけは言っておこう。


 体重計に乗ってみた。体重計にしたのは、身長計はこの場にないからだ。というか、体重計以外ない。血圧計すらない。いまの自分の血圧を測定して、それでどうなるというものでもないだろうけど。


 で、体重計に乗ってみた結果として、僕の体重は百と二十八キログラムになっていた。昨日までは六十四キログラムだったはずだから、きっちり倍になっている計算だ。太った、とかそういう次元の増え方ではない。


 救急車を呼んでみようかと、一瞬だけ考えた。もしかしたら、自分のこれは、未知の奇病か何かかもしれない。あるいはもしかしたら人類にとって既知の奇病であるという可能性もまったく考えられないではないが、希望的観測に縋るのはやめておこう。


 インターネットで検索してみた。体重が急激に倍増するような奇病がないか、と一応考えてみたので。で、もちろんそんなものは検索には引っかからなかった。ちなみに、googleにそれらしい単語を打ち込んで雑なリサーチをしたわけではない。ちゃんと医学論文のリサーチをしたのだ。僕は医師の資格も持っているし、そのくらいのことはできる。いくつかのデータベースを利用し、色々とあたってはみたが、今のぼくの状態に関係のありそうな研究、あるいは症例などは一つも見当たらなかった。


 僕はスマートフォンを操作した。指も膨れ上がってしまっているので、操作がかなり大変なのだが、かろうじて電話をかけるくらいのことはできる。で、電話した。自分の上司に。


「ぢょうがん」

「な、なんだ? ケビンか? ケビンなのか? 少なくともケビンのフォンナンバーの筈だが、一体どうしたんだ、何だその声は」

「ばい、げびんでず。なにが、まっだぐぞうでいがいの、みぢのどらぶるが、わだじにおごりまじだ。ごれば、ゆいごんでず。……あの小惑星にば、もうちがづがないぼうがいい」

「ちょっとまて、どういうことだ、待て、早まるな! 今すぐに、レスキューをそちらに――」


 自分の上司、つまりNASAの長官との間の通話を、こちら側から遮断する。ぼくは休暇中で、ここは自宅ではないから、簡単にこちらの居所は突き止められないはずだ。さて、ぼくは自分の愛銃(デザインが気に入っているから愛銃と言っているだけで、射撃訓練の的以外のものに向かって撃ったことは一度もありはしなかったのだが)をこめかみに押し当て、引き金を引いた。視界が暗転する。


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