嗚呼、土曜日

呂瓶尊(ろびんそん)

あの日の昼飯

その時私は鼻たれの小学生。5年生ぐらいだったろうか? もう30年以上前にさかのぼる。

当時の小学生は土曜日も午前中だけ授業があり、4時間目が終わると同時にボロボロのランドセルを担いで一目散に学校から脱出。

リコーダーを刀代わりにチャンバラで友達と遊びながら帰宅していた。


当時の私は築ウン十年の社宅住まい。バランス釜の風呂、捻って水を出す蛇口、青い正方形のタイルが敷き詰められた和式トイレ、窓に取り付けられた縦長長方形のやたら音がうるさいウィンドエアコン、弟と遊びまわって毛羽立った畳、母が嫁入り道具に持ってきた大昔の2ドア冷蔵庫、今ではほとんど見かけないガスオーブン、レトロな装飾が施された引違戸がガラスの水屋・・・

お世辞にも綺麗でおしゃれな住宅とは言えない鉄筋コンクリートのアパートに住んでいた。

私が高校生になるころには大改装が行われ、全てが当時最新のものに置き換わったが、私が幼いころはまだそんな設備の家に住んでいた。

今であれば絶対に住みたくないと思っているだろうが、当時の私にはそれが当たり前で特に何とも思っていなかった。


そんな自宅は鉄の扉で、開けるたびに軋む。ブランデーグラスの柄を取って横に倒したようないかにもと言う形のステンレスのドアノブをつかみかちゃりと回しドアを引いて開ける。ぎぃっ・・・と言う音と共に開いた扉は、家の中に入ると勢いよく大きな音を立てて閉まる。ランドセルを挟んだりすることもたまにあったものだ。

当時は社宅住まいという事で家の前の駐車場広場には同じ社宅に住んでいる社員の奥様方がスーパーのビニール袋を手に下げたままおしゃべりに花を咲かせていたり子供たちが幾人も遊んでいたりした。


そんな環境であったせいか私が帰宅する時間帯は鍵をかけずに待っていてくれたため、大体は鍵がかかっているか確認せずにドアを開けて帰宅したものだが、たまにうっかり母がドアチェーンをかけたままでいたりするとガンッという鈍い音と共にドアが開かずに引っかかったりすることもあったものだ。


そんな時はドア横のインターホンをゲーム機のボタンを連打するが如く連射し、ドア越しに「はいはい、うるさいわねぇ」と家の奥から母が出てきてドアを開けてくれるまでインターホンを連打して待ったりしたこともあった。このインターホンも今の様なおしゃれなものではなく、薄黄色と言うかベージュと言うか・・・そんな色合いでプラスチックのプレートに白い長方形の横長なボタンが埋め込まれたものであり、ボタンの周囲はゴムの様な黒い縁取りがされていた。


ただ、なんとなくではあるがあの時ドアチェーンがカシュッと言う音と共に解除され、ドアが開けられて中に入った時の何とも言えない安心感はうっすらと覚えている。


そして帰宅するとさっそく昼食なのだが、いつもは学校が終わって帰宅すると母が昼食の準備をしながら待っており、台所から良い香りが漂ってくるのだが、たまに何の香りもしないかお米が炊ける香りしかしないことがあった。


「あぁ、今日の昼ごはんはあれやな」


すぐにピンとくる。ドアが閉まる音と背に受けると同時に母の「おかえり」と言う声が聞こえてくる。


「今日のご飯はおにぎりとカップ麺やで」


やはり、である。私が子供のころから大好きな組み合わせで40代半ばになろうかと言う今も大好きな組み合わせである。

その日の食卓は母が手作りしてくれた俵型に握った梅干し入りのおにぎり、もちろん味付けのりを巻いてある。そして、カップ麺の「赤いきつね」である。

我が家は大阪であることも影響してか、昔から食卓に麺類が並ぶときには必ずと言っていいほど味付けのりを巻いたおにぎりが合わせて食卓に上っていた。

関西人、特に大阪に住んでいた子供であれば少なからずこの組み合わせは経験しているのではないだろうか?かくいう私も大阪人で、典型的な昼食だったというわけだ。


ランドセルを放り出し、父と母と弟と私の4人が安っぽいビニール製のテーブルセンターが敷かれた食卓に座って土曜日の昼食が始まる。週末のお昼ご飯は必ずと言っていいほど麺類とおにぎり、後は昨夜の残り物のおかずが食卓に並んでいた。

そして必ずと言っていいほど赤いきつねにお湯を注ぐ順番も決まっていた。

パネルが薄緑色の古ぼけたコンロの上で勢いよく湯気を吐き出す真鍮製で黄金色こがねいろのヤカン、湧きあがったそれからまずは必ず父のカップにお湯が注がれ、次は私、そして弟・・・最後に母の分であるのだが、我が家にあった物は容量が大きくなかったのでいつも弟の分を注ぎ終わったらお湯がなくなっていた。


そんな時に母は必ず「先に食べてなさい」と父と私たちを促し、自分は薬缶を火にかけたらおにぎりをちまちまかじりながらお湯が沸くのを待っていた。

当時は母を待たずに先に麺をすすり始める父に反発も覚えたものだが、今となっては私と弟に先に食べさせておきたいという母の気持ちに思いを馳せている。まぁ、母のお湯が沸くのを待ちきれずに私も弟もうずうずした挙句に先に食事に飛びついてしまっていたわけだが・・・


時間通りに待ち、カップの蓋をはがす。蓋のはがれるしゅるりと言う音が響き、薄白い湯気と共にほのかにだしの香りが立ちあがり鼻腔をくすぐる・・・


赤いきつねを一口すすりおにぎりをほおばって甘辛い揚げを一口かじり、つゆで流し込む。おにぎりに入っている梅干しは祖母が漬けて田舎から送ってくれたもので、シソの香りと塩分がよく聞いた昔ながらの田舎梅干しだが、幼いころから食べていたのでむしろこの酸っぱさが赤いきつねのだしと良くマッチしていた。

今思えば炭水化物オンリーに等しい食事だが、当時はとにかく腹を満たして遊びに行くことしか考えていなかった。

麺をすすりおにぎりをほおばり揚げをかじってつゆで流し込む。これを一連の動作として何度も繰り返してひたすら腹を満たしていく。

弟と最後のおにぎりをじゃんけんで奪い合い、食事が終わったら即座に外に遊びに行く。そして日暮れまで遊んでカラスの鳴き声を背に帰宅する・・・

これが幼い私の土曜日の平凡だが楽しかった日常だった。


そして今、40代半ばに差し掛かる今も赤いきつねとおにぎりは大好きな組み合わせだ。

だが、梅干しを付けてくれた祖母は大往生を遂げ、結婚をし家庭を持ち両親の元を離れた私にもはやあの時の味を再現するすべはない。

いくら自分でおにぎりや赤いきつねを作ってもあの時の味はどうしても再現できない。


だからこそ、私は今最愛の息子におにぎりと赤いきつねを作っている。


私の思い出と私の味を息子につなぎ、そしてまたその先へ紡がれる。

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嗚呼、土曜日 呂瓶尊(ろびんそん) @MCkamar

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