人間のグルメ

 人間の感じる美味しさは四つに分類できるとされています。

「生理的な美味しさ」「中毒の美味しさ」「習慣の美味しさ」「情報の美味しさ」です。


「生理的な美味しさ」は本能に根付いた感覚であり、自分自身に足りない栄養素を補おうとする機能ともいえます。とはいえ、的確に今足りないのはこの栄養だと直感するには人間には野生が足りないのでしょう。大まかにしか感じることができません。

 例えば、「お腹が減るとご飯が美味しい」「喉が渇くと水が美味い」などが代表的な感覚でしょうか。ほかにも、野菜嫌いの人が野菜を食べるようになり、しばらくして病気が発覚したという話も聞きます。


「中毒の美味しさ」は人間が生活する上において、最も危険な美味しさかもしれません。

 代表的なのはカプサイシンでしょう。辛いものは刺激物であり、多量に摂ると内臓を傷つけるものです。だというのに、カプサイシンは中毒になりやすく、一度中毒になると過剰に辛さを求めるようになってしまいます。

 他にも、「砂糖」「脂」などにも中毒性があります。「ラーメン二郎」は脂に対する中毒をラーメンの味と結びつけることで、何度でも食べたくなるという強烈な需要を生み出しています。


「習慣の美味しさ」。慣れ親しんでるものが一番美味い。

「おふくろの味」だとか「ソウルフード」だとかいう言葉でお馴染みかもしれません。

 海外生活が長くなると、日本にある味わいが不足し、日本食が恋しくなるなんていいますね。これは「習慣の美味しさ」に起因します。

 逆に食べ慣れないものはまずく感じます。エスニックと呼ばれる料理が人を選ぶのは、この辺りの感覚が原因でしょう。


 そして、「情報の美味しさ」。情報はそれだけで美味しさを持っています。

 実感しやすいのは「賞味期限」「消費期限」かもしれません。消費期限が過ぎていると告げられた食べ物は、それだけでまずく感じてしまうのではないでしょうか。

 また、たびたび問題に挙がる食品偽装などは、人間が情報だけで美味しさを左右されることの証左といえるかもしれません。


「情報の美味しさ」は悪者として槍玉に上げられることが多いかもしれません。悪用されやすいのは確かですしね。

 ネットミームとして有名な「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。を食ってるんだ!」なんて台詞が象徴的です。


 この台詞は久部緑郎、河合単による漫画作品「ラーメン発見伝」に登場するもので、主人公のライバルとなるラーメンハゲこと芹沢達也が発言しました。芹沢は人気ラーメン店の店主ですが、自分が傑作と信じる「淡口らあめん」が売れず、妥協の産物である「濃口らあめん」がヒットしたことにジレンマを抱えている人物でもあります。そして、上記の台詞は「淡口らあめん」を貶め、「濃口らあめん」を持て囃すラーメンマニアに対する影口として発せられました。

 この二つのラーメンはともに鮎の煮干しを使用していますが、脂の濃い「濃口らあめん」は鮎の香りなどほぼ感じられないものにもかかわらず、情報に躍らせる人々は「鮎の香りが素晴らしい」と絶賛します。こんな状況に対して、「情報を食ってる」と揶揄したのです。


 確かに、ニセ情報に踊らされるのは滑稽であり、食通ぶって中身のない人間は愚かであるかもしれません。

 ただ情報を美味しく感じるというのはそうネガティブに捉えるべきではないと思うのです。


 人間は情報を重視して進化してきました。それは集団によるコミュニケーションによって生き延びてきた生物だということを示しています。

 互いに情報を共有し、食べられるものを選別してきたからこそ、情報が美味しいと感じるのでしょう。


 今回のテーマからして、このエッセイを読んでいる方は人間が多いかと思います。人間の感じる美味しさにどのような要素があるのか、グルメを楽しむうえでの一助になりましたら幸いです。

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