僕の憧れの人【ヒーロー編】

 アンパンマンは食事をしないそうです。


 ばいきんまんをやっつけてゲストキャラを助け出し、ゲストキャラはみんなに食べ物を振る舞うのがお決まりの展開です。アンパンマンでも王道のエピローグでしょう。

 ですが、そんな時、肝心のアンパンマンがみんなの輪に入ることはありません。一歩引いた位置にいて、ニコニコと笑っているだけなのです。


 人間も動物も食べ物も一緒くたになった世界観にごまかされてしまいがちですが、あの世界においてもアンパンマンは特殊な位置にいるのではないでしょうか。

 もしかしたら食べ物を食べられないのかもしれません。それにしても、秩序を守らせるだけ守らせて、実利(食べ物)を貪るのは周囲ばかりとはあんまりな話です。


 アンパンマンの仲間といえば、カレーパンマンとしょくぱんまんがまず浮かびます。ですが、アンパンマンはこの2人とも根本的なところで相容れないのではないでしょうか。

 カレーパンマンは顔に貯蔵したカレーを口から出し、調理して炊き出しとします。しょくぱんまんは食パンを焼いてトラックで配給しています。

 アンパンマンのように、自らの顔を差し出し、それが原因で死にかけるようなことはありません。飢えた者のために命を張っているのはアンパンマンだけです。


 アンパンマンマーチに「愛と勇気だけが友達さ」という一節があります。

 小学2~4年生の男子は、必ずといっていいほどこう口にするでしょう。

「アンパンマンには愛と勇気しか友達がいねーんだぜ。だせーよな」


 この曲を聴いた当初、私はこの歌詞を、愛=しょくぱんまん、勇気=カレーパンマンと解釈し、2人の親友との結束を示すものと考えていました。ですが、それは間違いでしょう。むしろ、小学生男子のつぶやきのほうが真実に近いのです。

 アンパンマンには心の寄りどころになる親友や理解者はなく、彼が寄って立つものは愛と勇気だけなのです。

 愛とは見返りを求めない自己犠牲、究極のヒロイズムを指します。


 また、アンパンマンは毎回ピンチに陥り、顔を交換することで危機を克服します。これは死と再生を暗喩しているのです。

 手軽とも思える復活劇ですが、アンパンマンマーチはこう歌っています。

「たとえ胸の傷が痛んでも」

 アンパンマンは戦いの中で傷つき苦しんでいるのです。


 自己犠牲と復活。これはキリストがモデルとなっているといわれます。

 あるいは、ブッダの前世とされる尸毘王しびおうのエピソードが浮かぶ人も多いでしょう。尸毘王は鷹に追われる鳩を見て、鳩と鷹の両方を救うため、自らの肉を鷹に食べさせました。

 優れた物語には神話の要素が宿るといいますが、現在も信仰を集める両者の本質を孕んだアンパンマンはその典型といえるのでしょう。


 アンパンマンが時代を超えて幼児に愛されるのはなぜなのでしょうか。丸で形作られたデザインが安心感を与えるからといわれています。

 ですが、それだけでしょうか。

 理解者はなく、報われることもなく、それでもみんなの夢(≒生きる幸せ)を守り続ける優しさ。心に傷を負いながらも、それでも死を恐れず、それどころか乗り越える強さ。

 そうしたヒロイズムを体現するアンパンマンに、幼い心は憧れと共感を抱くのではないでしょうか。

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