《四度目の夢》②

 夢の中の四人は前進し、再び校舎の中へと入っていく。

 岩見が先頭で次が中原、自分は三番目で最後尾は吉岡だ。

 息が詰まる。

 自分の鼓動を感じる。

 どこに〈モヤゾンビ〉が潜んでいるか分からないのだから、緊張するのは当然だが、よくない傾向だ。

 努めて夢の中の自分の感情を拾い上げないように、心の中のボリュームを絞るイメージで集中した。

 向かって右手。一階北側の廊下の並びには、調理実習室や被服室、技術実習室がある。

 左手の部室棟側の角部屋は、畳のある部屋で、確か茶道部と書道部の共用になっていると聞いた気がする。

 真っすぐ進めば職員室と外来者用の玄関。

 さらにその先には、白峰や磯辺が逃げ込む予定の放送室も。

 ここからでも多少はその付近を見通せるが、差し当たり見える範囲に人影はなかった。


 岩見がまず一番近い角部屋のドアに手を掛けた。

 すぐに顔をこちらに向けて首を横に振る。

 どうやら鍵がかかっているらしい。人がいて中から鍵をかけている可能性もあるが、まさかノックして確認するわけにもいかないだろう。

 先行する岩見と中原から大分間隔を空けて後を追い、トの字になっている廊下の曲がり角まで歩いて行き、実習室棟の廊下を覗く。

 長い廊下はその突き当たりまで、人の姿も、〈モヤゾンビ〉の姿もない。

 薄暗く、何の物音もしない廊下の情景からは、安全だという印象よりも、何かが起きる前触れのような不穏な空気が漂っていた。

 その廊下の真ん中に箱型のスピーカーが落ちて転がっているのが見える。

 それが据え付けられていたと思われる天井付近の壁からは、千切れたコードが垂れ下がっていた。それだけが、ここで起きたパニックの名残りのようだった。

 視線は長い時間、壊れたスピーカーの上に留まっていた。

 始めは〈モヤゾンビ〉が近くにいることを警戒し、気配を窺っているのかと思った。

 だが、やや不自然に思えるほど長い静止に対し、もしかするとこの視線自体が、自分に対する何らかのメッセージではないかという気がしてくる。

 夢に見ているこの光景が紛れもなく未来のものであり、視線を送っているのが未来の自分であるのなら、それは十分あり得ることに思えた。

 視線が左に動き、部室棟側と職員室側の分岐路に立つ中原の姿を捉える。

 中原は両腕を使って大きな輪を作っていた。

 事前の打ち合わせを知らない自分には、何の合図だか分からなかったが、夢の中の自分にとってはそれで十分だったのだろう。

 中原に向かって頷く。後ろにいる吉岡を一瞥し、調理実習室の中へと入っていく。


 調理実習室のドアは始めから開け放たれていた。

 腰を屈めて頭を部屋の中に入れる。

 見たところ誰もいないが、夢の中の自分は構わずその無人の教室へと踏み込んでいく。

 テーブルの下を一つ一つ覗いて確認しているようだ。

 探す方も探される方も、お互いに息を潜めているのだから、直接目で見て確認していくしかない。そういうことなのだろう。

 入って二列目までは空振りだったが、一番奥の三列目のテーブルの後ろに、女子生徒が二人、肩を寄せ合って座っているのを見つけた。

 後ろから吉岡の手が伸びてきて、その手にあるノートを広げ、二人に見せる。

 ノートには大きく「音を出さずにゆっくり外まで移動」と書かれてあった。

 二人はそれをジッと見つめた後、しっかりと頷くと、腰を上げ、そろりそろりと後ろの出口へ向かっていった。

 二人の後ろ姿が教室の外に消えるのを見届けると、続いて教師用のテーブルの後ろに回り、そこにも誰も隠れていないことを確認する。


 順調だ。

 ここまで計画は、かなり順調に進んでいるように見えた。

 作戦には冗長性を持たせて細部は臨機応変に決めることにしていたが、何らかの方法で〈モヤゾンビ〉を一定の区画に集めて閉じ込める、という大筋の計画は現実の世界で話し合われていた内容に沿っているように思われた。

 いくつかの案の中には、防火扉を使い実習室側の廊下を丸ごと檻にするという方法もあった。

 そして、おそらく二階ではその方法でかなりの数の〈モヤゾンビ〉を閉じ込めることに成功したのではないだろうか。

 今のところ、外でも校舎内でもあいつらの姿を見ずに済んでいるのは、その作戦の成果に違いない。

 閉じ込めた〈モヤゾンビ〉の数や詳細な手法を知りたかったので、叶うことなら、夢がもっと手前の場面から始まってくれていると助かったのだが……。


 調理実習室を出て左手に向かうと、被服室に入ってすぐの辺りに、今度は男子生徒が一人で座り込んでいるのが見えた。

 眼鏡を掛けたその顔には見覚えがある。名前は知らないが同じ学年の誰かだ。

 そいつと目が合った。

 吉岡の方を振り返り、ノートの文字を指で差す。

 そいつは強張った表情のまま首をゆっくりと横に振ると、人差し指を教室の奥に向けた。


 速まる動悸。

 角度的に見えない位置だが直接見るまでもない。

 その指が、その場所にアレが居ると言っているのだと分かった。

 果てしなく速まる動悸。

 それに、久しく忘れていた腹の底を穿つような冷たく鈍い痛みが襲ってきた。


 どうする……。

 どうするべきなのか。


 突然の窮地に動揺し、客観化することを忘れ、夢の中の自分と感情がシンクロする。

 〈モヤゾンビ〉との距離がどれほど近いのか、この位置からでは分からないが、身動ぎ一つ危ぶまれるほどの、差し迫った状況にあることは直感で分かった。

 いつの間にか、自分たちはデッドラインを踏み越えてしまっていたのだ。

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