(7)夢見る座敷童子
【キノコのお化け】
僕が幼少期の頃の話。両親と僕と弟が一緒に外へ買い物に出かけた時のこと、あるCDショップの店内で弟が熱心に見つめているものがあった。洋楽の宣伝用ミュージックビデオを流しているブラウン管テレビだ。
JPOPもだけど、ディレクターの意向に沿った曲調に合わない不気味で奇妙なミュージックビデオが作成される時ってあると思う。僕がかつて見たものもきっとその
ポップな音楽とともにテレビ画面にはスーツ姿の一人の成人男性が映っていて薄暗い森の中を彷徨っていた。
歩き疲れて息を上げているのか男は額を腕で拭ったり、膝に手を当てて休む仕草をしている。
途方もなく歩き続けた男はやがて大きな切り株が無数にある広場に辿り着く。奇妙なことにその切り株一つ一つにおもちゃの家が乗せられているのである。
男は不思議に思って小さな窓から覗き込む。不思議なことにおもちゃの家の中で腕や足が生えた小さなキノコがもそもそと動き回って人間さながら生活をしていたのである。
そう──ここはキノコの妖精の村。
メルヘンチックな光景を夢中になって眺めているとキノコの妖精の一人が男に気付いて悲鳴を上げる。
「ぎいやあああああああ!!」
この時、ミュージックビデオの音楽が一瞬止まって金切声のような悲鳴がテレビから上がったので僕と弟は驚いて肝を冷やした。
「えっ? えっ!?」
僕と弟は突然のことに酷く困惑した。テレビ画面には慌てふためいて後退りする男の姿があり、再び音楽が流れるのと同時に広場の奥に見える木々がざわざわと揺らめいた。
そこから現れたのはキノコのお化け。背丈が男と同じくらい。身体が何故か半透明に透けていてキノコの柄に無表情の人の顔と手足が付いているのである。
キノコのお化けはゆさゆさと気味悪い動きで駆け寄ってくるので男は森の中へと逃げ出した。
広場から離れるにつれキノコのお化けが次第に一体二体と増えていく。死に物狂いで逃げ続ける男は次第に体力に限界がきてキノコのお化けに追いつかれてしまった。
キノコのお化けのひょろ長い手が男の肌を撫でるたび苦悶の表情を浮かべる。撫でられたところからニョキニョキとキノコが生えてくるのだ。
男は無数のキノコのお化けに取り囲まれて姿が隠れてしまう。ミュージックビデオの終盤、地面に人型に生えたキノコの群生が映って終わる。
ああ……今思い出しても恐ろしい……。男は何か悪いことをしてあの森の中を彷徨っていたのだろうか。何も説明が無く、理不尽にキノコのお化けに襲われた男が可哀想に思えてくる。
意味不明な映像を見てトラウマになってしまった僕と弟はキノコ恐怖症になってしまったのであった。
○
「ぜんっぜん私に似てないじゃん!」
「いたただだだ! えっ、触れる!?」
佳雨音が僕の背に飛びついてペシペシと頭を何度も叩いてくる。周りが真っ暗だ。唐突に場面が変わって申し訳ないがここは僕の夢の中なのである。
自室で眠りについたと思うのだが、佳雨音が僕の夢の中に侵入してきた。よくよく思い返してみると初めて佳雨音と遭遇したときも僕の夢の中に入り込んできたことがあった。こんなことが出来るなんて奇妙な奴だ……。
僕から少し離れたところにキノコのお化けがいて、ゆさゆさと幼少期に見た通りの動きでこちらをジッと見つめている。怖い。超怖い。
佳雨音がひょいと僕の背から降りた。
「これがビビりになった原因なんだ。ふーん」
「僕の夢の中に入ってきて何がしたいんだ、佳雨音!」
「私にビビらないようにしてあげようと思ってね。だけどあれ!」
キノコのお化けを指差した。
「どこも私に似てないでしょうが!」
「ほら、半透明なところがさ……」
「……」
「ほら髪型がキノコっぽいところが」
「……これでどう?」
佳雨音が指を「パチン」と弾くと市松人形みたいなオカッパ頭がサラリと伸びて現代っ子風の髪型になった。その辺の小学校に通っていそう。
「あら、可愛い」と僕は自然と声に出してしまった。
佳雨音は顔を赤くして「べー」と舌を出した。
○
「ひいやああっ! は、はあっ! はあ!」
「殴って! 蹴って! 倒してよ!」
僕は今何をしているのかというと夢の中でキノコのお化けから死に物狂いで逃げている。自分の中のトラウマに打ち勝てという佳雨音のささやかな願いなのだろうが無理なものは無理である。
少しくらいは立ち向かってやろうと挑みかかったがすぐに逃げ出した。人間そう簡単にトラウマを克服することなんて出来ないのだ。
「悪夢だ! 眠れないのよりキツいぞ、佳雨音!」
「はあ……ほんっとにビビリの大吉ね」
○
「ハウアっ!」
僕は自室の寝床から慌てて飛び起きた。汗びっしょりである。
「嫌な夢見たな……ほんと」
深い息を吐いて再び頭を倒すと、枕元に佳雨音が立っていた。
「どう、私のことまだ嫌い?」
僕は嫌な目にあったにも関わらず自然と笑みを溢してしまった。額から伝って流れる汗が目に沁みる。
「いや、どうやら君はキノコのお化けじゃなかったみたいだな」
○
この日を境に僕は自分の中にあった佳雨音に対する境界を取っ払った。民宿「満月荘」にしとしとと降り注ぐ優しい雨音が心地良く、僅かながら眠りに入れるようになった気がする。
祖父母は佳雨音をまるで新しく出来た孫娘のように接するのでどこか微笑ましい気持ちにさせる。
そして満月の夜、佳雨音が現れる日に決まってこう言うようになった。
「おかえり、佳雨音」
「ただいま、ビビリの大吉」
ビビリは余計だが新しい家族として僕は佳雨音の出現を心待ちするようになっていた。以前と比べると心穏やかでなんだか佳雨音と一緒にいる時間が楽しくなっていた。
時折、自室で寝ていると佳雨音が部屋に入ってきて僕の隣で眠ることがある。少しばかり照れ臭いが彼女の寝言を聞くと寂しい思いにさせられる。
「お父さん……お母さん……」
そう言って目を瞑ったまま涙を流すのだ。佳雨音の両親がどんな人なのかは分からない。一人でいるということは何かしらの事情があるのかもしれない。
佳雨音に悲しい思いをしないでもらいたい。そう思うようになり、何か元気づけられないだろうかと色々考えては見たものの妙案が頭に浮かんでこなかった。
それからしばらく経ったある夜のこと。
『週明けの天気をお伝えします。北陸や東北ではこの先大雨が降る恐れが──』
その日はちょうど満月だった。満月の夜に晴れ雨現象ではなく本当に雨が降るのは久々の事だった。佳雨音はいつまで経っても現れる気配が無い。
祖父母が寂しそうに呟いた。
「佳雨音ちゃん出てこないねえ」
「んだなあ」
僕は窓辺から満月の見えない曇り空を見上げた。
人が喜ぶ雨の音──佳雨音。
今日は雨音がするのに全然嬉しくない。僕が今まで生きていた中でこんな感情を抱く日がくるなんて──夢にも思わなかったさ。
○
『雨』
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