(2)満月の夜、奴は突然現れる
「願わくば──
「待て、待つんだ! 何か他に手は無いのか! そなたはいま何処にいるのだ!」
今から百年程前に交わされた二人の会話は、突然発せられた奇妙な閃光によって終結することとなる──。
○
『カウネとフルムーン 第一章』
○
宮城県登米市、
民宿「満月荘」にて、ザーッと真っ暗闇の中で地面を叩きつける無数の雨粒の音が響き渡る。けれども、不思議なことにジメッとした湿気を感じられないし、春真っ盛りであるのに田畑からカエルの大合唱が聞こえてこない。
驚いたことにカーテンを開けてみると雨音がするのに外は雨が降っていないのである。
この現象は──2014年1月から半年近く続いている。近隣の住居では雨音が聞こえない。僕が働いているこの民宿にだけ発生する不可解な現象だ。
『晴れ雨現象』と(僕が勝手に)名付けた。
ある夜のこと、自室の寝床から起き上がった僕は、デスクにノートを広げて晴れ雨現象について研究を始めた。雨音が気になりすぎて全く眠れる気がしなかったからだ。
僕の祖母がこの雨音について「今日も雨音がするねえ」と入れ歯を入れてない口でフガフガ言いながらカレンダーに傘模様を描いていたので、それを参考資料として自室に持ってきた。
デスクに置かれた小さな照明の明かりの中、カレンダーに描かれた傘模様をじっくりと見つめていると、どうやら一ヶ月弱の周期で晴れ雨現象が発生しているらしいことが分かった。
その周期が何を意味するのか少しばかり頭を悩ませたが、穴が空いた障子から見えたまんまるなお月様を見てふとあることを思った。
「そういえば雨音がした前の夜も満月だったな……もしかして晴れ雨現象は満月の夜にしか発生しないのか?」
「……せぇーかいだよ」
急に首筋に生暖かい風が撫でるように吹いてきて、ゾワゾワと鳥肌が立った。急にデスクの照明が「パツン!」と音を立てて消えた。
「えっ、何!?」
何処から風が吹いてきたのか分からなくて辺りを見回したが真っ暗闇に目が慣れるまで何も見えなかった。
「……今、声がしたような」
「とーりゃんせー、とーりゃんせー」
女の子の──声がする。
自室には廊下を隔てる障子戸があって、向こう側の風景が見えないのだが、薄らと光り輝く人型の何かが障子越しにトタタタと駆けて行くのが見えた。
小学校低学年、いや……幼稚園児の背丈くらいの大きさだった。確か今晩、子連れの宿泊客なんていなかったはずなのに……。
「こーこはどーこの細道じゃー」
バシャバシャバシャ。水溜りを踏みしめる音。今度は外から聞こえた。
「天神さーまの細道じゃー」
天井からも!
「いんやあ、ここは星川家の民宿だあ!」
床からドッと地の底から響くような声がして僕はすくみ上がった。
「ヒイッ!」
「ふふふふふふふふ、ふふふふふふふふ」
僕は情けない声を上げて逃げ出そうとしたが、自室の外や廊下、四方八方に女の子の笑い声と駆けていく足音が、ドダダダダダダ!
押し入れに隠れようと慌てて襖に手を掛けた瞬間、裏側から何者かに激しく叩かれて、驚いた僕は後ろから倒れて尻餅をついた。
「あわわわわわわわ!」
逃げ道はもう寝床しかない!
そう思った僕は軽やかな身のこなしでするりと布団の中へ入っていった。
近年、ホラー映画では布団に潜るのも危険行為といわれている。安全地帯のように見えて布団の中から霊的何かがこんにちは、なんてこともあるからだ。だか案ずることはない。僕が編み出した秘技を見せてやろうではないか。
「ミノムシ!」
毛布の端を掴み勢い良くロールした。
「あうっ!」
ゴロゴロ転がっているうちに壁に激突。周りが見えないから仕方がない。
毛布で身体を隙間なく包むことで霊的何かを侵入させる隙を与えないビビりの僕が編み出したとっておきの秘技である。これでもう安心だ。
しばらくして気付いたのだが……音で驚かせるだけでどうやら奴は部屋に侵入してこないようだった。毛布に包まれ、外界を遮断した僕はもはや無敵。ふはは、残念だったな、霊的何か! 僕はミノムシ状態のまま朝を迎えさせてもらおうではないか。
そうして僕は瞼を閉じた。
○
……おや?
瞼の裏、真っ暗闇の中で何かが見えてきた。小さな白い点がだんだんと大きく……いや、こっちに近づいている!
それは──市松人形みたいなオカッパ頭の和服姿の女の子だった。髪を振り乱しながらこちらに迫ってくる。
『大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉。大吉、大吉、星川大吉』
「ひいやああああああああああっ!!」
○
「ハッ!」
僕は慌てて身体を起こした。辺りをキョロキョロ見渡し、ここが民宿「満月荘」の自室であると理解するまで少しばかり時間がかかった。
「ハァ……ハァ……」
部屋はまだ暗いが閉められた障子戸から仄かに青紫色の光が漏れていて、朝日が昇りつつある時間帯に目が覚めたようだった。
「なんだあ、夢かあ……」
ホッとして再び横になろうと頭を倒した瞬間、僕は顔を強張らせた。僕の頭上にこちらを見下す和服姿の女の子がいたからだ。身体が薄いガーゼのように透けていて、ニッと口角を吊り上げた。
「ゆめじゃない〜〜〜〜!!」
「ひいやああああああああああっ!!」
僕はそのまま完全に朝になるまで気を失ってしまった。
○
情けない姿ばかり見せて申し訳ないが……これが満月の夜にのみ姿を現す座敷童子の女の子・
時々思うんだ、素敵な名前だなって。
──また、君に会いたいよ。
まん丸なお月様が浮かぶ夜、人が喜ぶ雨の音が今日も民宿「満月荘」に響き渡る──。
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