未来は母に連れられて遊園地を訪れていた。何故か突然、「遊園地に行くわよ」と母が言い出したからだ。それは保育園の遠足で行ったことの有る近場の遊園地ではなく、長い時間を掛け、いくつもの電車を乗り継いで辿り着いた遠い遊園地だった。

 未来が飛び上がって喜んだことは想像に難くないだろう。彼女はお気に入りのワンピースを箪笥から引っ張り出すと、さっさとそれに着替え、ワクワクしながら母のお出掛けの準備が整うのを待ったのだった。未来が小学校に上がる直前、六歳になろうかという頃の出来事だった。

 彼女に父親はいない。保育園の友達には皆、お父さんとお母さんがいるのに、彼女にはお母さんしかいない。その理由を尋ねても母は不機嫌に顔を背けるだけで、決して未来の求める答えを与えてくれることは無かった。次第に彼女は、その疑問の答えを追及することをやめ、「そういうお家も有るのだろう」と思うことで自分を慰める手段を手に入れたのだった。


 お化け屋敷に入ったり、メリーゴーラウンドに乗ったりして、未来は大はしゃぎしていた。遊園地に来るのは保育園の遠足以来だし、大好きな母と二人で来たことは無い。はしゃぐなと言う方が無理な相談だ。

 「ねぇねぇ、お母さん。見て見て!」

 「お母さん、こっちこっち! 今度はあれに乗ろう!」

 「お母さん。お腹空いたね」

 そして一しきり遊んだ後、二人でベンチに腰掛けると、母はそこから動かなくなった。未来には、何故母が座り込んでしまったのかは判らなかったが、そんなことは全く気にならなかった。だって、楽し気な気分が未来の心を満たしていたのだから。


 暫くそうしていると、彼女たちの前を、同じ年頃の母娘連れが楽し気に横切った。繋いだ手をブランブランさせながら歩く、その幸せそうな二人を見送りながら母がボソリと言う。

 「あんたさえいなければ、私はもっと幸せになれたのに・・・」

 「???」

 未来は母の言う意味が解からず、ポカンとした顔で見つめ返す。

 「父親が誰かも判らないあんたの為に、私は自分の人生を棒に振ったのよ。あんたが私を不幸にしてるのよ。判ってんの?」

 「お母さん?」

 賑やかな音楽が溢れる園内で、そこだけに打ち沈んだ空気が淀んでいるように見えたが、幼い未来はそんなことには気付かない。それを見かねたわけでもなかろうが、園内を歩き回るピエロが二人に近付いたかと思うと、彼女に赤い風船を手渡した。

 「ピエロさん、ありがとう!」

 元気よく手を振る未来に、ピエロは手を振り返しながら人ごみの向こうに消えていった。

 「赤ん坊の頃、あんたが泣き止まない時、私は何度もあんたを殺そうとした。このままあんたを壁に叩きつけてやろうと、何度も何度も思った・・・。でもそんな勇気は私には無かった。人殺しになる勇気なんて、私には無かった」

 「お母さん、何を言ってるの? 未来には判らないよ」

 「もう限界よ! これ以上、あんたの為だけに自分を犠牲にして生きてゆくなんて我慢できない! もういい加減にしてっ!」

 「お母さん・・・?」

 一旦は激高するかのような素振りを見せた母だったが、最後には囁くような声を漏らした。

 「もう勘弁して・・・」

 すると突然、母はニコリと微笑み、バッグから取り出した財布から抜き取った小銭を、未来に手渡したのだった。

 「このお金でソフトクリーム二つ買ってきて」母はもう一度微笑んだ。

 「うん、判った!」

 彼女は貰ったばかりの風船を母に託し、その小銭を持ってアイスクリームの屋台へと駆け出した。

 そして転ばないように注意しながら、二人分のソフトクリームを大事そうに持ち帰ると、そこに母の姿は無かった。母に手渡しておいたはずの、赤い風船も消えていた。

 どうして母がいないのか判らなかった。だけどそこに座っていれば、そのうち母が迎えに来てくれるのではないかと思った。だから未来は、再びそのベンチに座った。


 夕暮れが迫り閉園間近になると、これまでとは違うなんだか寂し気な音楽が園内に流れ始めた。楽しげに行き交う人々が疎らとなっても、未来はポツンと座り続けている。

 すると、遊園地の作業着を着て、箒と塵取りを持ったおじさんが声を掛けてきた。

 「お嬢ちゃん。さっきからずっと一人だけど、どうしたんだい?」

 「うんとね、未来、お母さんを待ってるの」

 おじさんは少しだけ押し黙ると、今度は悲しそうな顔で笑った。

 「そっか、未来ちゃんか。でも寒くなってきたから、こっちの温かいお部屋でお母さんを待とうね?」

 未来の手には、溶けてドロドロになってしまった、母の分のソフトクリームの残骸が握りしめられていた。

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