ピピピピピ・・・ ピピピピピ・・・ ピ・・・


 「あぁ、もううるさい!」

 玲はバンッと、思いっ切り目覚まし時計の頭を殴りつけた。可哀そうな目覚まし時計は、彼女の乱暴な扱いによって、先ほどから妙な音がするようになってしまったではないか。そろそろお役御免かもしれない。

 「何だっつうのよ、今の夢! 頭にくる! 最近こんな夢ばっかりじゃないの! まったく、どうなってんのよっ!?」

 彼女はうつ伏せになって、枕に顔を押し付ける。

 「しかも今日は、体育祭の振り替えで休みだし・・・ はぁ・・・ なんで目覚まし、切っておかなかったんだろう・・・ 私の馬鹿・・・」

 そう言ってもう一度、頭から布団を引っ被る。するとその安楽な温かさが誘う睡魔に、いつの間にかウトウトし始め、彼女は再び夢の中へと迷い込んでゆくのだった。



 「これは・・・ 家の裏の井戸?」

 玲の目の前には、見覚えのある井戸が有った。昔、祖母が子供の頃は、ここの水で煮炊きをしていたという井戸だ。その後、上水道が整備されるに伴い使われなくなり、危険だからという理由から重いコンクリートの蓋で封印されたままになっているハズ。しかし、何故かその蓋がずり落ちていて、ポッカリと口が開いている。

 恐る恐る中を覗き込む玲。中からはひんやりとした空気が溢れ出ていて、五メートルほど下に水面が見えた。そこには差し込む明かりが満月のように反射し、その一部を虫食いにするかのように、上から覗く自分の顔が映り込んでいた。

 「アレ? 私って、あんなに美人さんだったかしら?」

 そこに映し出された自分の姿を見ながら、玲が惚れ惚れしていると、突然それが喋り出した。

 「玲。お願いが有ります」

 そこに映っていたのは自分ではなく、別の女性だったのだ。


 色の薄い褐色の瞳とは対照的に、濃い栗色の髪がなびいていた。スラリとした顔立ちが、東洋人には無い美しさを強調している。薄いベージュ色のキトーンを纏い、その胸元からはふくよかな乳房が透けて見えそうだ。右肩で布を纏めているのは瑠璃色の七宝をあしらった、金細工のブローチだろうか、脇の下から覗く白い肌がゴージャスでもありセクシーでもある。

 いったい玲は、この女性の何処を自分と間違えたのか? それは本人にしか判らぬ、摩訶不思議な誤解のなせる業だろうか? 二人に共通点があるとしたら、それは目とか鼻とか、パーツの数が合致している点くらいしかないだろうに。


 玲は腰を抜かしそうになるが、どうしてか身体が動かない。これが金縛りというやつか!?

 それでもその絶世の美女は言葉を続ける。

 「私はレーテー。記憶を司る女神。あなたが覗いているのは冥府の井戸です。あなたは自分の夢に干渉してはなりません」

 「あ、あなたは誰なの?」

 泡食った玲が問い質しても、その美女は厳かな雰囲気を幾分も損なうことなく、再びゆっくりと言った。

 「私はレーテー。忘却の湖の番人です。この井戸はその湖と通じているのです。そしてあなたは巫女。だからあなたは、自分の夢をただ傍観していれば良いのです。判りましたか?」

 「忘却の湖? い、いや、ちょっと判らないよ。だいたいあなた、誰だって?」

 レーテーのこめかみで、血管がプチンと切れた音がした。

 「レーテーだって言ってるでしょ! まったく物覚えの悪い娘ね!」

 「そんな言い方、無いんじゃないの?」玲が口を尖らせた。「だいたいコレだって私の夢の中なんでしょ? そこに勝手に出てきて干渉もくそも無いもんだわ。あなたこそ私の夢に干渉してるじゃないのよさ」

 逆に言い込められて、レーテーは口ごもる。

 「ま、まぁ、確かにあなたの言うことにも一理あるわね・・・ ごめんなさい。じゃぁ言い直すわ。あなたは夢の中の出来事に、ちょっかい出さないでもらえるかしら。そうしないとマズいことになるの」

 「マズいことって?」

 「色々よ」

 今度は玲のこめかみで血管が切れた。

 「何よそれ! 色々って何よ! 馬鹿にしてんでしょ!? そもそもなんで私が巫女なわけ? ウチはれっきとした浄土真宗なんですからね! 浄土真宗西本願寺! そんな訳の分からないものに勧誘しないで! ただでさえ最近、意味不明な夢に悩まされてるってぇのに、冗談じゃないわよ!」

 「うるさい娘ねぇ・・・」レーテーは渋い顔をしながら頭を掻いた。「じゃぁ、今夜の夢の中で詳しい話をするから、それまで待ってなさいよ。判った?」

 「ゆ、夢の中で?」

 「そう、夢の中。私があなたと逢えるのは、基本、あなたの夢の中だけなのよ。まっ、他にも手立てが無いわけじゃないんだけど・・・」

 「わ、判ったわよ。それじゃぁ、しょうがないわね」

 意外にアッサリ納得してしまうのは、やはり夢の中だからなのか?

 「ねぇねぇ。それより私、あなたのこと何て呼べばいいの? レーテーってすっごく言い難いんだけど」

 「好きに呼べばいいでしょ」レーテーは面倒臭いを顔に描いて溜息交じりだ。

 「判った。じゃぁレーちゃん? いやいや、それじゃ私の玲ちゃんと間違えるから・・・ レー姐さんでいい?」

 「あーはいはい、レー姐さんで結構。私、これでも一応、女神って扱いなんだけど・・・ まっ、いいか。んじゃ、今夜の夢で逢いましょ。いいわね、玲ちゃん・・・・?」

 レー姐さんの当て擦りにも気付かず、玲は機嫌よく返事をする。

 「はぁ~ぃ。じゃぁ今夜ね、レー姐さん。ばいば~ぃ!」


 そこでガバリと上体を起こした玲は、ベッドの上で呟いた。

 「何、今の夢???」

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