第二章:山崎 誠

 順調な回復を見せる葵は、もういつでも退院できそうな程に体力を取り戻し、この病院を去るのも時間の問題と言える段階まで来ていた。そんな彼女の最終的な検査結果を見た上で、主治医の山崎は退院許可を出すつもりだった。彼女の溌剌とした姿を見れば検査など必要無いと思えるのだが、珍しい症例ということで大学側が費用負担までして入院させていた患者である。やはり最後に正式な精密検査を施した上での退院判断という手順を踏まねば、学内の各部門から文句が出そうだ。勿論、退院後の継続的な追跡調査も必要だろう。


 病室に入って行くと、窓際のベッドで体を起こし、勉強にいそしむ葵が居た。ノートと参考書を広げ、しきりに何かを書き込んでいる。勉強熱心な彼女のお陰で、枕もとの本はどれも蛍光ペンのピンクやイエローに染まって華やかだ。

 「渡部さん、熱心ですね」

 声を掛けられた葵はノートから顔を上げ、病室に入ってきた山崎を見た。実は彼女は、母に頼んで中二・中三の教科書を持ってきて貰い、一人の時は寸暇を惜しんで遅れた学業のリカバリーに励んでいたのだった。

 「あっ、先生。おはようございます。はい、少しでも取り戻そうと思って」

 「そうですか。でもあまり無理しないようにね」

 すると背後のベッドを取り囲むカーテンが突然開いて、同室の女性が顔を覗かせた。

 「先生からも言ってやって下さいよ。葵ちゃんたら、勉強ばっかりしてるんですよ。たまには息抜きしなきゃダメだって。あたしは葵ちゃんが身体を壊さないか、そればっかりが心配で・・・」

 山崎はため息をつくような仕草で振り返る。

 「森田さんは渡部さんの勉強の邪魔はしないように。人よりも自分の身体を心配して下さい」

 ピシャリとたしなめられた女性は、歌舞伎揚げを口に咥えたまま目を丸くすると、「サササササ~・・・」とカーテンを閉めるのだった。それを見た葵はクスクスと笑い、山崎もつい笑った。

 「もう直ぐ退院ですからね。最終的な精密検査をしようと思ってるんです」

 それを聞いた女性が再び「シャッ!」とカーテンを開けた。

 「葵ちゃんが退院するですって!?」

 山崎がゆっくりと振り返ると、その女性と目が合った。女性は再び「シャッ!」とカーテンを閉じた。もう葵の可笑しさは止まらない。コロコロと笑いながら「はい」と応えるのだった。

 「明日の午後三時から行います。だから明日の昼食は軽めで済ませて下さいね。配膳の方には伝えておきますが」

 「はい、分かりました」

 用件を伝え終わった山崎が病室を出ようとすると、カーテンの開く「シャッ!」という音が背後で聞こえた。山崎はクスリと笑い、気付かない振りで歩き去るのだった。

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