双頭の少女

大谷寺 光

プロローグ

二人の少女

 緑豊かな公園ではあった。だが、まだ若葉の色も薄っぺらで、鬱蒼うっそうとか蓊鬱おううつといった表現には程遠く、木々が醸す清涼な空気も希薄な時期だ。むしろ、立ち去りそびれた冬の欠片がそこここに紛れていて、時折悪戯のように触手を伸ばしては道行く人を驚かせている。中央に大きなスペースを設けて植えられた芝生もまだ土色で、憩いの場としての本領を発揮するには、もう少し本格的な春の到来を待つ必要が有りそうだ。

 陽太は枯れた ──同時に、来るべきうららかな陽気に向けた準備が、着々と進んでいるような── 芝生を斜めに突っ切り、表通りへと向かって歩いていた。この公園を横断するのが、隣接する図書館へ到達する最も効率的な近道だからだ。まだ丸二年の猶予が有るとは言え、そろそろ高校受験に向けた動きが活発化しつつある中学二年。そう考えれば春休みのひと時すら、苦手な教科克服に費やすのも苦にはならない。陽太は角の擦り切れたノートを抱え、足早にそこを通り過ぎようとしていた。


 その時、陽太の足元の枯れ芝が奏でる、細やかな踏み音を寸断するように、鋭い金属音が鳴り響いた。


 キキキッ。


 その音に釣られて振り返ってみれば、丁度、自転車に乗った女の子が公園内に乗り入れたところだ。彼女は芝生の手前でブレーキを掛けて右に折れ、今度は公園の外周を形成するようにしつらえた歩道を、ビュンと加速しながら走り過ぎて行った。


 (時々、図書館で見かける子かな?)


 しんと静まり返った図書閲覧室で見かける度に、確か隣のクラスの子だったよなぁと思いつつも、話し掛けたことは一度も無い。だって何を話したらいいのか判らないし、「静かにして下さい」とかキツイ目で言われそうだからだ。サラリと伸びた髪をなびかせながら遠ざかる彼女の背中を見送りながら、陽太はこんな風に思うのだった。


 (別に話をしたいわけでもないし)


 気を取り直して再び歩き始めた陽太。先程までよりも、若干、急ぎ足になっていることに本人は気付かない。

 きっとあの子も図書館に行くのだろう。だったら今日は話し掛けることが出来るかな? ひょっとしたら向こうから話し掛けてくれるかな? ついさっきまで、まるで興味無い素振りを装っていたことも忘れ、陽太は自分勝手な期待に胸を膨らませるのだった。

 すると突然、先ほどと似たような金属音が、再び陽太の耳に突き刺さる。しかし今度は長い。

 「キィィィーーーーッ!」そして「バンッ!」

 一瞬、何の音だろうとと思った陽太だが、深くは考えずにまた歩き出す。今の彼にとっては、一刻も早く図書館に行くことが最も重要な案件なのだから。そして彼が公園を抜けようとした時、表通りに人だかりを認めたのだった。


 (交通事故だ・・・)


 だが気の弱い陽太は、血を見るのが大嫌いだった。注射の針が自分の肉体に突き刺さる瞬間ですら、十四歳になる今まで一度も見たことが無い。ましてや交通事故で血を流している人など見ようものなら、その場で卒倒する自信が有る。陽太は無理に視線を前方に ──市立図書館の入口へと続く階段方向に── 固定し、事故現場が目に入らないように足早に通り過ぎるのだった。

 しかし・・・ 人には怖いもの見たさという、如何ともし難い本能が有る。その厄介な好奇心は、時に悪魔の囁きの如く人に憑りつくのだ。


 ─ 見てみろよ、陽太。

 ─ 嫌だ! 見たくなんかない!。

 ─ なんてこと無いさ。見てみれば、なぁ~んだって思うだけさ。

 ─ だって、見たって気持ちのいいものじゃないだろ?

 ─ まぁね。でも友達に自慢できるぜ。俺は事故現場を見たって。

 ─ そんな自慢、したくなんかないよ。

 ─ いいのかい、見なくて。見ないと後悔するかもよ。


 遂に抗い切れなくなった陽太は足を止め、恐る恐る首を回した。そして視界に入った事故現場の人だかりの足元を透かして、あの女の子が垣間見えたのだった。思わず陽太は駆け寄った。そして大人たちの隙間から中を覗き込む。


 ひしゃげた自転車の横に横たわる女の子。更に彼女の横には、衝突した車を運転していたと思しきOL風の女の人が跪き、どうしたらよいのか判らず半狂乱のように取り乱していた。よく見れば、路肩に停まったパールピンクの乗用車のフロントガラスには、砲丸でも投げ付けたかのような丸いひびが入いっていて、そこだけが無様に陥没している。そこに女の子の頭部がめり込んだことは明白だ。

 女の子は頭から血を流して動かない。気を失っているのか、それとも・・・。彼女の頭部から流れ出た血液が徐々にその輪を広げるのを見た陽太は、いずれそれがこの世界の全てを覆い尽くしてしまうのではないかという、身の毛もよだつような不穏イメージに駆られ、つい身体に力が入るの抑えられないのだった。

 しかし、さっきの悪魔の言った通りだとも思った。血を見るのが怖いと思い込んでいたのに、実際に目の当たりにしてみれば大したことないじゃないか。友達に自慢するつもりなどさらさら無いが、見ることを頑なに拒絶していた自分が滑稽に思えるのであった。何故ならば、そのショッキングな光景よりも、もっと得体の知れないものが陽太には見えていたからだ。


 事故現場の周りを取り囲むように、距離を取って輪を作る野次馬たち。口々に勝手なことを言い合っているばかりで、どうして彼らは反応しないのだろう? みんなには見えていないとでも言うのだろうか? まさか、僕にしか見えないのだろうか?

 血を流す女の子と泣き崩れる女性ドライバー。そして倒れた女の子の頭の横に、もう一人の女の子。その少女はじっと立ったまま俯き、黙って彼女を見下ろしていた。泣くでもなく、喚くでもなく、励ますでもなく。ただ、じわじわと広がりつつある血の海に、自分の足を浸しながら。その俯く少女の顔は、倒れている女の子とそっくりだったのだ。

 陽太は自分が幻覚を見ているのだと思った。


 遠くの方から救急車のサイレンが近付いてくるのが聞こえた。

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