あなたにすみれを贈れたら

京ゆうき

あなたにすみれを贈れたら

「あいつホモなんだって」

 きれいな顔の所謂イケメンに突然そんな噂がたった。女子たちはそれまでちやほやしていたのに彼を遠巻きに見るようになり、男子たちは少しよそよそしく接するようになった。あれだけ人の輪の中心にいた人が、同性愛者だという噂一つでこんなにも扱いが変わってしまう。それがとても怖かった。

「仁藤、残念だよね」

「なにが?」

「せっかくのイケメンなのにホモとかなくない?」

「さあね。どうでもいいわ」

 こういう話題にはのらないのが正しいと思う。否定はなんとなくできないし、肯定して私もレズだと言いがかりをつけられるのが嫌だから。

「未琴はぶれないね。我関せずな感じ」

 この話題を早く終わらせたくてなにも言葉を返さなかった。

「未琴は美人だから。仁藤と付き合うのって結局は未琴だよね、って話してたんだけどさ。ホモとかキモすぎ」

「別にキモくはないじゃない」

 正しい行動を頭では理解できていても、問題は私が短気だということだ。ここ最近ずっとこの話題。仁藤がホモ。そればかり。それだけ仁藤が人の注目を集める人物だということなのだけれど。

「仁藤の肩持つの? 自分もレズだ、とか言わないでよ? やめてね」

 莉々は笑っていた。酷く下品な笑い。私は全然笑えなかった。レズなわけないでしょう、と静かに否定するのが精一杯だった。

「怒らないでよ。ごめん、変なこと言って」

「別に怒ってないわ」

 怖かった。なにが怖かったのかわからないけれど恐怖を感じ、なにかを隠して笑った。そんな自分が恥ずかしかった。自分のことがわからない。自衛のために笑うなんて情けない。

「お詫びにおごるよ。未琴が好きなクレープ屋行こう!」

 莉々が私の肩を叩き、自分のバッグを持った。私は話題が変わったことにほっとしてバッグを持ち、莉々と一緒にクレープ屋に行った。そのクレープ屋は学校から駅に行くまでの道にある。

「いちごチョコ一つ」

 単語を繋ぎあわせた言葉でクレープを注文し、視線を横にずらしてクレープをつくっている女性を見た。切れ長の目に高い鼻、薄い唇。とてもきれいな横顔。彼女は私がクレープを買いに来ると必ずいる。そして私のクレープをつくってくれる。クレープをつくり終えると私に渡すためにこちらを見てきた。目が合う。光で少し蒼がかっている目に吸い込まれた。

「いちごチョコです」

 このきれいな笑顔が私だけに向けられればいいのに。無意識にそんなことを考えてしまい、自分が嫌になる。

 クレープを受け取り、横にずれて道路を見ながら莉々とクレープを食べた。仁藤が歩いているのが目に入った。仁藤は彼に劣らない見たことのないイケメンを連れて歩いていた。


 舞台を観に行く途中、なぜか虹色の物を身につけた人が大勢歩いていた。それは舞台を観終わった後も同様で少し気になり、人の流れにのっていった。公園にお祭りのように店が出ていて、それはどうも同性愛に関するもののようだった。それに気付いた私は驚いて、来てはいけないところに来てしまったような気がし、急いでその場から離れようと踵を返した。

「あ、やっぱり未琴だ」

「仁藤……!」

 仁藤に声をかけられた。隣にはクレープを食べているときに見た男性。やっぱり彼氏なのだろうか。私は急いでなにか言わなければ、と思い、否定した。

「違うの。わからなくて。私はそうじゃないわ」

 自分が感じる恐怖は考えられても相手が傷付くことまでは考えられなかった。まず自分の身を守るのが最重要だった。

「未琴、舞台好きだったからな。あっちに舞台の宣伝ブースあるからそれ見に来たんでしょう?」

「そ、そう。そうなの」

 そんなことはない。仁藤の対応に保身を優先する自分を恥ずかしく感じた。

「でもさ、ついでだし、もうそろそろでパレードはじまるから見ていったら? 楽しいと思うよ」

「パレード…… ゲイパレード?」

「正しくはレインボーパレードだけどな。ゲイだけじゃなくてセクシャルマイノリティのパレードだから」

 私が少し渋りながら考えていると、原宿も通るから、と通る場所を教えてくれた。

「ありがとう。考えてみるわ」

 二人と別れて、教えてもらった場所に向かった。カメラを持った人、虹色の旗を持った人、色んな人がすでに道路沿いに並んでいた。私は通行の邪魔にならないようにその人たちの後ろに立った。

 しばらくすると奇抜な格好をした男性たちを乗せた派手なオープンカーを先頭にパレードがやってきた。虹色の大きな旗を数人で掲げている人もいれば、小さな手持ちの旗を振りながら歩いている人もいた。メッセージの書かれたボードを掲げている人もいた。そして、道路沿いの人たちとハイタッチをしている人たちもいた。みんな肩を組んだり楽しそうに手を振ったり、踊ったりしていて、色はもちろん雰囲気もカラフルで、とても輝いて見えた。

 ここにいる人たちは全員セクシャルマイノリティの人たちだと思うと不思議だった。こんなに多いのに、なぜマイノリティなのだろう。なぜ同性愛は『普通』ではなく、異常なのだろう。なぜ同性愛は差別の対象なのだろう。なぜ、なぜ、なぜ。疑問がどんどんと浮かんできたが、その疑問に対する答えは一つも思い浮かばず、もやもやとしたものが心に溜まっただけだった。

 しばらく見ていると見覚えのある顔に目を奪われた。きれいな笑顔。きらきらと蒼く輝く目。薄い唇が弧を描いていた。一緒にいる三、四人の集団の中で彼女だけが際立って見えた。クレープ屋の彼女だった。

 私は驚いた。なぜ彼女がここにいるのか。なぜ彼女がレインボーパレードで歩いているのか。私がパレードの列に近づくと彼女がこちらを見た。そして私に笑いかけ、笑顔で彼女が人の間をぬいながら近づいてきた。

「こっちに来て!」

 手を引かれて戸惑いながらも私はパレードに混ざった。

「いつもクレープ買いに来てくれるよね! 名前は?」

 まわりが騒がしく、とても近くでそう叫ばれた。私もまわりの音にかき消されないように名乗り、彼女の名前を尋ねた。

「希湖!」

 タイミングが悪く、彼女本人から名前は聞けなかったが、彼女の名前を呼びながら後ろから女性が来た。挨拶をされ、旗持って、と大きな虹色の旗の端を渡された。隣でクレープ屋の彼女が一緒にその旗を持った。

「希湖さん」

「ん?」

「いえ、なんでもないです」

 名前を知ることができた。それはうれしかったけれど、いま自分がレインボーパレードを歩いているということがとても怖かった。私はセクシャルマイノリティです、と主張しているようで誰かに見られていないかが心配だった。けれど、どこか楽しかった。希湖さんと一緒にいるということも楽しい理由の一つであるのは間違いないけれどそれだけが理由ではないのは確かだった。


「いちごチョコ一つ」

「今日もありがとうね、未琴ちゃん」

 希湖さんが私の名前を呼んだことに、隣にいた莉々はとても驚いていた。

「未琴と知り合いなんですね」

「そう。この間話す機会があってね、名前を聞いたんだ」

「どこで?」

 莉々にそう聞かれて私は、原宿で、と答えた。その返答に彼女は少し不思議そうにしていたがハッとなにかを思い出したようだった。そして小さな声で神妙に言った。

「セクシャルマイノリティ? だっけね。そのパレードを見かけたんだけれど」

 血の気が引くのがわかった。恐怖が私を支配していく。場所なんて言わずにごまかせばよかったと酷く後悔した。

「そこで未琴に似た人を見たと思ったんだ。あれ、本当に未琴だったんだね。そこで知り合ったんでしょう?」

 もちろん私は頷けなかった。肯定なんてできるはずがない。

「未琴ってレズだったんだ……」

「違うわ!」

 自分でも想像以上に大きな声が出て驚いた。レズだと思われたくなかった。知られたくなかった。とっさに否定してしまったが、まずい、と思い希湖さんの方を見ると彼女は微笑んでいた。それが怖かった。

「違うの」

 顔を伏せて小さな声で否定した。莉々の顔を見るのが怖かった。莉々は友達だけれど仁藤の件で同性愛に偏見があるのは嫌というほど思い知らされた。きっと私を嫌悪の目で見ているはずだ。私を気持ち悪がっている。

 希湖さんの顔を見るのが怖かった。希湖さんはたぶん気付いているのだと思う。私も知りたくない本当の私を。勢いよく否定した私を見てきっと見下げ果てているだろう。

「未琴ちゃんのお友達さん、私はビアンだけれど美琴ちゃんは違うよ。私が見かけて引っ張って参加させたんだ」

 希湖さんの言葉に私は驚いて彼女の顔を見た。

「未琴、もうここの店に来るのはやめよう。レズの働いている店なんて気持ち悪い」

 そう言って莉々は私の手を引いた。莉々の表情は怖く、絶対に私のことを彼女に知られてはいけないのだ、と悲しくなった。そして振り返って希湖さんを見た。彼女のいつもと変わらずに微笑んでいる顔を見て私は泣きたくなった。そのとき私は自分の希湖さんへの気持ちの種類に気付いてしまった。私は早く彼女に想いを伝えなければいけない、という衝動にかられた。それは完全に彼女に嫌われる前に、という焦燥感からだと思う。


 翌日、閉店時間にクレープ屋に行き、希湖さんがいることを確認して待っていると、しばらくして店の制服から私服に着替えた希湖さんが店から出てきた。

「少し話を聞いてもらえませんか?」

 私が呼び止めると、なに? と立ち止まった。蒼みがかった目はいつもより昏く見えた。

「あなたが好きです」

 突然の私の告白に希湖さんは一瞬驚いたがすぐに薄い唇は弧を描いた。

「レズだって友達に言われて否定するのに? ビアンじゃないんでしょう。なら私のことが好きなのは恋愛としてじゃないから、あなたの勘違いだよ」

 レズだというのは否定した。でもそれは莉々の前だったから。莉々から白い目で見られるのが耐えられなかった。この想いは勘違いではない。

「否定したのは違うんです」

「違うってなに? 自分がレズビアンなのが恥ずかしいから認めないんでしょう?」

 ハッとなった。レズビアンなのが恥ずかしい、という言葉は私のこの恐怖だと思っていた感情を的確に表現したものだと気付いた。怖いんじゃない。自分が恥ずかしいんだ。『普通』に分類されない自分が恥ずかしくて認めたくないんだ。

「自分がビアンだってことはそんなに恥ずかしい?」

 希湖さんと私は違う。私は。

「希湖さんはいいです! 希湖さんには同じような友達がたくさんいますけど、私のまわりはみんな『普通』で…… ゲイだって知られた友達は遠巻きに見られて。そんな肩身の狭い思いはしたくないんです」

 私の言葉に彼女はあきれたようにそして鋭く答えた。

「クローゼットは多いから人に言いたくないのは別にいいんだよ。でも自分のセクシャルを恥ずかしいと思っている子は好きになれない」

 そう言って希湖さんは歩き出した。それを私は引き留めるように叫んだ。

「私はどうしたらいいですか!」

 その言葉に希湖さんは振り返って、自分で考えなさい、と微笑み、帰ってしまった。私は失恋をした。けれど失恋の悲しさよりも自分がこれからどうするべきなのかわからない不安に襲われ、その場にしゃがみこんだ。頭の中がぐちゃぐちゃになり、そして真っ白になった。

 しばらく何も考えられずにぼぅっとしていると肩を叩かれ、驚いて振り返った。

「仁藤……」

「なにしゃがみこんでんの? だらしない」

 私がなにも答えずに黙っていると仁藤は私の隣にしゃがんだ。

「どうした?」

 私はうつむき、絞り出すようにかすれた声で、振られた、と言った。

「クレープ屋の人に?」

 驚いて顔をあげて仁藤を見た。仁藤はにっこりと笑っていた。私はそれを見てため息をついた。知っていたのね、と言うと、かまかけた、と笑われた。

「なによ、それ。私が同性愛者だってうすうす思っていたのね」

「同性愛者だとかいちいち思わない。ただ好きなのかな、と思っただけだ」

「なにが違うのよ」

「好きになるのが同性だろうと異性だろうと、気持ちは同じだってこと」

 同じ。たとえ同じだとしても世間は同じだと見ない。『普通』ではない、と気味悪がられる。

「自分のセクシャルを恥ずかしいと思っている子は好きじゃないって」

 私はぼそっと呟いた。その言葉に仁藤は、それなら簡単じゃん、と言った。

「自分のセクシャルを認めればいい。それでクレープ屋の人が断った理由はクリアできる」

「そんなの…… 認めたらなにかが変わってしまうわ!」

「何も変わらないよ。だってまわりに知っている人がいなければまわりが変わらないんだから」

 その言葉で思い出した。仁藤はもともとゲイだとは知られていなかった。知られてからまわりが変わってしまったのだ。

「でも知られたら変わってしまうわ。仁藤みたいに」

「知られたくなければ誰にも言わなければいい。そういう人はいくらでもいる。おれは間違った相手にカミングアウトしてしまったから、いまこの状態なだけ。他人に嘘を吐き続けるのも難しいのに自分に嘘なんていつまでももたないよ。それにこの先また好きな人ができたらどうするの?」

 仁藤の言葉全てに納得したわけではなかったけれど、最後の言葉に私は認めないということをあきらめた。このままではなにも進まない。好きな人ができても希湖さんと同じようになってしまうかもしれない。そして仁藤の顔を見た。深呼吸をし、声を振り絞る。

「私は…… 同性が好き……」

 その言葉はとても震えていた。涙が出てきた。仁藤を見ると彼は、これでクレープ屋の人にまた告白できるじゃん、と笑って立ち上がり手を差し伸べてきた。私はその手を取って立ち上がった。

 私は同性が好きなんだ。これはいまのところ変えられない事実だった。

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