第30話 赤毛の魔法士ジーナ④

 翌朝、ティアナがベッドから下りる気配で目が覚める。

 寝ているふりを続けたが、気配で行動は丸分かりだ。ベッドサイドに置いてある箱からイヤリングを取り出すと、衣類を収めたチェストの上の鏡の前に行く。カーテンの隙間すきまかられる光でイヤリングをつけるとしばらく飽きもせずに鏡を前に首を左右に振っていた。

 そっと足音を忍ばせて部屋を出ていくので、扉のところに行って警報装置を解除する。外へ出ていく分には問題ないが、ティアナが戻ってきて作動しても面倒だ。

 目が覚めてしまったので、開錠道具の手入れをする。一本一本、油を少量塗って丁寧に豚皮で磨き上げた。

 そうこうするうちに声量を抑えた会話の声といい匂いが部屋に流れ込んでくる。

 着替えを済ませて居間に出ていくと、台所からの楽しげな声がはっきりと聞こえた。どうやらジーナとティアナが一緒に朝食の支度をしているらしい。

「あ。ご主人様。お早うございます。ひょっとしてうるさかったですか?」

 ティアナが台所の入り口から顔を出すと首をすくめながら聞いてくる。

「いや」

「昨日はお疲れですから、もっとゆっくりと休まれても」

「まあな。でも、そのいい匂いが漂ってきたら、腹がぐうぐう鳴って」

 台所に顔を突っ込む。長い髪の毛を布に包んだジーナがさじで鍋の中身をかき混ぜていた。

「ハリスさん。お早うございます」

「ああ。お早う」

「一夜の宿のお礼代わりに食事の支度を手伝わせてもらってます。まあ、私の手伝いなんかいらなそうだけど」

「そんなことはないです。一緒に料理するのは楽しいですし。あ、ご主人様。もうちょっとだけ待っててくださいね」

 いつもの朝食メニューに今朝はキノコとベーコンを焼いたものがついた。ジーナ提供の食材らしい。厚手のキノコをスライスしたものは独特の香りと歯ごたえがした。

 ティアナはこのキノコが気に入ったらしい。ジーナと盛んに取れる場所や料理法の話をしていた。すっかり打ち解けた二人を見ながら朝食を済ませる。少々騒がしいが、不快ではなかった。

 ティアナが後片付けを始めたところでジーナに話を振る。

「この町を出ていく計画に変更はないのか?」

「どうして? 昨日も言った通り借金を踏み倒すつもりはないわよ。落ち着いたら必ず払うわ」

「いや。この町には教え子もいて、それなりの収入があるんだろ。それを捨てていくのも悔しくないのかと思ってさ」

 ジーナは肩をすくめる。

「そうしたいところだけど、当面の家賃も払えないんじゃ、仕方ないわ。支払いが滞りがちという評判も立てられているでしょうし、誰も部屋を貸してくれないでしょうね」

「ここに住むというのはどうかな?」

「まさか、プロポーズ?」

 がこん。ちょうどかゆの空皿を下げに来ていたティアナが手を滑らせたのか、大きな音をさせた。

「す、すいません。失礼しました」

 恥ずかしそうにティアナが皿を抱えて台所に戻っていく。

「つまらんジョークだな」

「そう? それは残念ね。家賃代わりに他のもので払え、というよりは紳士的だと思うけど」

「そんな提案をするつもりはない。昨夜のあの子の発言はそういう意味じゃないって言ってるだろ」

「分かってるわよ。でも、あなたがティアナさんのいうほどの善人だったとしても、見返りもなしにタダで住まわせるというのは、逆に裏があるんじゃないかと不安になるわ」

 まあ、そりゃそうだろな。タダより高いものはない。

「そうだな。家賃代わりにティアナに字を教えてやるってことでどうだ? 俺が教えてもいいんだが、本職がいるならそっちの方がいいだろ?」

「それは……悪くない提案ね」

「学校通いをするには大きすぎるし、家のことをやっていると、まとまった時間が取れないからな。ちょっとしたすきま時間に教えてやってもらえると助かる」

 しばらく黙考していたジーナはやがて、この話を受けた。

 ティアナにそのことを告げると手をたたいてピョンピョン跳ねた。

「ご主人様、ありがとうございます。とっても嬉しいです。ジーナ先生お願いします」

「先生なんて。そんなかしこまらなくてもいいわよ」

「じゃあ、ジーナお姉ちゃん! 私、昔から姉が欲しいと思っていたんです。字が習えるし、お姉ちゃんができるし、幸せすぎて夢みたいです」

「お姉ちゃん?」

 身を震わして喜ぶティアナと困惑するジーナを見て、俺は笑いをこらえるのに必死だった。

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