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  •  多くの人は「善意の行動」を人前でしかやろうとはしませんよね。

     近所で毎朝、散歩しながら挨拶しているおじさんがいるのですが、みんな無視するどころか、通報する人達までいるという。
     
     挨拶で声をかける人を変質者扱いって……。

     その今でも毎朝挨拶を交わすおじさんが僕の頭の中に浮かびました。
     関係ない話してすいません。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    その挨拶をしている方は素晴らしいと思います。
    反対に子供たちの方からその方に挨拶ができるような世の中だったら、どんなに優しく助け合いのできることだろうと思います。

  • >よい行いを競争している
    >ボランティアを競争している
    >きれいな心を競争している
    >やさしさを競争している

    この感覚、痺れました。
    ああ、だから私はnaka-motooさんの小説を、エッセイを、たまに無性に読みたくなるのだなと思いました。

    知っておられるかもしれませんが、私は、書いてばかりであまり読みません。こういうコンテスト期間中にフォロワーさんの作品を読んで応援したいから読むだけで、心から読みたくて仕方なくて読むってことはあまりないんです。もちろん皆無じゃないですよ。
    でもnaka-motooさんの文章の中には、いつだって真実が在るから、それを求めているんだなあと思いました。寝れない夜とか、特に(笑)
    真実は「大事だ」とか「得なければならない」とかそういうものじゃあないんですよね。「真実を求めている者の前に現れるもの」なんですよね。だから私の前にはあなたが居るのだと思います。

    作者からの返信

    お読みくださりとても真剣なコメントをありがとうございます。
    少し長い文章ですが書かせてください。
    わたしは姑と同居する中でマーケットに流通する本を読めません。馬鹿げた話とお思いでしょうけれども事実です。ですので読むことができるのはみなさんのWEB小説のみなんです。
    その中で詩一さんの「半端者のダンス」や「砂紡ぎの商人」を拝読しキャラたちに触れて『こうありたい』と思えたんです。
    わたしは青春時代、本もそうですし音楽もそうなのですが、どの本を読みどの音楽を聴くかと決めるまでにものすごく時間がかかる人間でした。
    なぜかというとその本を読んでその曲を聴いて何十年かした後に作者やバンドが、「いやあ、あれ、冗談だったんですよ」と言ったとしたら、作品の価値がなくなることはないでしょうけれども、ものすごく悲しいと思うんです。
    人生を共に歩んだつもりだったのに。
    幸いにしてこれまで読んだ小説も、聞いた音楽も今のところわたしを裏切ってはいません。
    けれどもここからがわたしの馬鹿なところで、わたし自身もそのキャラたちを裏切ることができないんです。
    わたしに最も影響を与えている文章は、間違いなくわたしの恩人の文章です。
    おそらくわたしがうつ病になった原因は恩人の文章です。
    『損な方を探して回りなさい』
    これを裏切ることができないんです。
    けれども、うつ病の中でわたしを自殺から救ってくれたのも間違いなく恩人の文章です。
    ああ、裏切らなくてよかった、と、10年ぶりにたった四時間だけ帰郷した兄と墓の前でブルースターという花を祖母が遺してくれたステンレス製の太い花たてに生けながら、そのものストレートの言葉をわたしは兄に言ったんです。
    「だって、ほんとのことじゃない?恩人がホンモノなのは」

    今は非公開にしていますがもし覚えていらしてくれたならば、瀬名さんがロンドンへ留学に向かおうとするお兄さんに「子供ね、あなた」と吐き捨てるのと同じようなことを兄に言いました。

    これは、恩人の文章を裏切らずに少なくとも兄や義姉や甥たちと比較しての話ですけれども、損な方を探し続けてきたことへのご褒美だと思っています。
    わたしは瀬名さんのような真摯な人間ではないですけれども、それでも瀬名さんを大切なキャラとして描かせていただけたからこそ、まったく澱みなく、冷静に、けれども事実を臆することなく兄に言えました。

    兄は、「そうだな」と俯くようにして頷きました。

    わたしはそういう小説が書きたいんです。
    そういう小説が読みたいんです。

    けれども、ほんとうの本当に現実でこれをやってしまうような小説を読みたいと思ってくださる方がどのぐらいいるかというと自信がありません。

    だからこそ恩人が見た目はごく普通の主婦であり嫁であり社会的には名も無いおばあさんであったことが、わたしにとってはとても意味のあることなんです。

    とても長い文章になってしまいました。
    お読みくださったことはほんとうに嬉しいですけれども、どうかお気遣いはなさらないでも大丈夫です。

    究極的にはわたしの小説すら必要はないのであって、恩人の文章をなんとかして翻訳しようというそういうホンキの中二病なだけですから(o^^o)