第44話
「リシュカ?」
ララ・ファーンが驚いて声を上げた。しかし、糸でふさがれているのでその声はかすれていたし、まぶたも閉じようとしていた。
リシュカは彼女を守るように立った。
足が震えていた。
マルルアモリスは怪訝そうにリシュカを見ていた。
心臓もバクバクしている。
リシュカは両手を差し出した。
指も震えていた。
そして、大きく息を吸う。
「リクゥエサスタ・パーケ!」
リシュカは叫んだ。
ふっとあたりが暗くなった。
マルルアモリスの動きがぴたっと止まり、リシュカを凝視した。
「その魔法は……お前は、まさか……」
「おやすみさない」
リシュカは両手を胸の前で合わせた。
マルルアモリスの大きな瞳がゆっくりと閉じられていく。
ぐらりと体がかたむいて、崩れ落ちた。
そして、彼女は静かに横たわった。
そこに倒れているのはイーダだった。
リシュカはほっと安堵し、倒れそうになった。
その体をエイナルが支えてくれた。
「やった! すごいよ!」
エイナルは興奮して、リシュカをぎゅっと抱きしめた。
「やっぱり君はすごい魔法使いだ!」
苦しくて息ができなくなりそうだったが、リシュカは温かくて幸せな気持ちに包まれていた。
「まったく」
背後で声がする。
「とりあえず、続きは後にしてくれないか」
はっと振りかえると、ララ・ファーンが疲れたような笑みを見せて立っていた。
二人は慌てて体を離す。とたんに、胸がドキドキしはじめた。
「リシュカ、その魔法は?」
リシュカは思い出したように両手をララ・ファーンの前に出す。
そして、ゆっくりと手を開くとそこには小さく瞬く紫色の光があった。
「星を眠らせる魔法です。上手くいくか分かりませんでしたが」
ララ・ファーンはそれを寂しげな、しかし愛おしげな表情で見つめた。
「あの子は、夜空に閉じこめられてもなお、星に愛されていた。地上にいたときだってそうだ。あの子はいつも誰かに愛されていたんだ。けれどそれゆえに、あの子は愛されることしか知らなった。愛するということを学ばなかった」
ララ・ファーンは悲しげにほほ笑んだ。
「あの子は愛する人ではなく、愛してくれる人を探してばかりいた。愛は、与えあわなければ消えてしまうものなのに。それに気がつかなければ、どんな星空にあっても暗闇でしかない。そして、永遠にそこから抜け出すことはできない」
彼女はリシュカの手の平から光を受け取ると、それを優しく空へと放った。
「太陽神も罪深い人だ。しかし、マルルアモリスが本気だったと知ると、ルーナに相談なんてするんだからな。だから余計にあの子を嫉妬させた。そういう点ではあの子がかわいそうで、同情心を捨てられなかった。けれど、嫉妬に狂ったあの子は太陽を独り占めにしようとした。だから、ルーナは罰を与えなければならなかったのだ」
「でも確か、ヨタカが密告したと……」
「それは物語だ。物語は悲しく美しくなければいけない。それが吟遊詩人が生まれたとき、最初に聞かされた神との約束だからな」
と苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、あなたは本当にララ・ファーンなんですか?」
彼女は優しくほほ笑んだ。
「そうだ、私はララ・ファーン。私は三百年に一度ステラクレードの空を通るマルルアモリスを見守るために生き続けているんだ。あれでも、私の妹だからな。でも今年は、誰かが古くさい魔法を使ったせいで、余計な手間ができてしまった」
「すいません……」
リシュカは小さくなった。
ララ・ファーンはリシュカの肩に優しく手を置いた。
「しかし、久しぶりに楽しい時間が過ごせたよ。田舎の生活も悪くはなかった。学ぶこともたくさんあったしな。たまには学生に戻ってみるのもいいものだ」
といたずらっぽく笑った。
「それにしても、君の魔法、今のもずいぶん古い魔法だな。私はすっかり忘れていたぞ。ミルフォルンではまだそんな魔法を教えているのか?」
「いえ、これは祖母から教わった魔法なんです。学校には、その、内緒です」
「ふーん、そうか……」
ララ・ファーンは目を細めた。
それは懐かしむような優しい眼差しだった。
「ありがとう、リシュカ・ルビナス」
ララ・ファーンはリシュカの額にお礼のキスをした。
リシュカは驚いて顔を真っ赤にした。
ララ・ファーンは美しくほほ笑んだ。彼女が魔法使いたちを導いてきて多くの人に慕われ続けたその理由が分かったような気がした。
「その娘、ちょっと怪我を負わせたな」
そう言って、彼女はイーダを抱き上げた。
「でも、これくらいなら大丈夫だろう。私が母親のもとに返しておこう。帰ってくると言ったのは私だからな」
そして、うらやましげに見つめているエイナルのほうを振り返った。
「君も人間のくせに無鉄砲すぎるぞ。人間の体は私たちより脆くできているんだからな。気をつけてもらわないと、すぐに私たちのせいにされるからな」
「は、はい! 気をつけます!」
エイナルは背中に金属の棒でも入れられたかように背筋を伸ばして返事をした。
ララ・ファーンが面白そうに笑う。
そして、リシュカを見ながら意味深にほほ笑んだ。
「まあ、仲良くやってくれ。魔法使いと人間が仲良くなるのはいいことだからな。私は応援しよう」
「いや、そんなんじゃ……」
「ありがとうございます!」
エイナルは警備兵みたいに腰を曲げてお礼を言う。
でもおそらく、いや、絶対にその意味は分かっていないだろう。
「じゃあな」
ララ・ファーンは笑いながら片手をあげた。
リシュカははっと我に返る。
「ララ・ファーン! もう、行ってしまうんですか?」
「用は済んだからな。グラツィアルに戻ってやらなければいけないことが、きっと山済みだ」
ララ・ファーンは肩をすくめた。
「もっと、魔法を教えてもらいたかったのに」
「君もいつか、こっちに来ればいいさ。もっと色んなことを教えてやろう」
「でも、私なんかが……」
「いい魔法使いになるために大切なのは魔力じゃない。魔法は心に描くイメージが大切なんだ。それは、自分自身に対しても同じことだ。君は魔法使いだろう。魔法は火や風を起こすだけのものじゃない。心を強く持つんだ、リシュカ。どこにいようが関係ない。君もまたこの世界の大切な魔法使いなんだから」
リシュカの小さな胸が高鳴った。
心の奥底から温かいものがこみ上げて、涙があふれそうになった。
体温がぽっと上昇する。
立派な魔法使いになりたいと願いながら、どこかでどうせこんな田舎の魔女なんてとあきらめてはいなかっただろうか。そんな気持ちを見透かされたような気がした。
「はいっ……!」
リシュカの澄んだ声が森にこだました。
「いい返事だ」
ララ・ファーンは生徒を前にしたように満足そうにほほ笑んだ。
「でもリシュカ、もう星屑集めはダメだからな。あと、ちゃんと水晶玉を買うんだぞ。それと、人からもらったものを質屋に入れるのも感心しないな。絶対に流すんじゃないぞ」
ララ・ファーンはそう言って片目を閉じた。
そして、風のように消えていった。
いつの間にか、空は晴れていた。
白い鳥が飛んでいく。
遠くから音楽が聞こえてくる。
温かい風がくすくすと笑っている。
リシュカとエイナルは夢でも見ていていたかのようにしばらくぼんやりと立ちすくんでいた。
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