孤高の男、彼の声、彼の器




 リュウセイは貴賓たちなど存在しないかのように、堂々とした態度で大広間の中央に現れた。


 彼は、ただ、そこにいた。あぐらをかき、立膝に月琴を抱え、

 孤高に……。

 優雅ささえうかべる、その姿は、くつろいで見える。彼は周囲を睥睨へいげいした。その視線だけで、すべての者が魅了される。


 彼は自由だ。


 なにものにも縛られていない。感情を伏せることを教えられ、我慢を強いられ、泣き方も笑い方さえも忘れたわたしとは別世界に住んでいる。

 なんと、それは尊く美しいことだろう。


 この瞬間、王寧寧わんにーにーがわたしの手を取ろうが……、話しかけようが……、すべてのことが、どうでもよくなった。


 ただ、リュウセイの声しかない。


 彼は静かに歌いはじめた。



 『しゃくしゃくたる、その華

  そに、よろしや

  天青く、ありし日の声……』



 低音には地鳴りのような迫力があり、高音は天女のような響き。時にかすれ声を混ぜた、その妖艶さ。


 この声、聞いた覚えがある。


 不思議な既視感だ。

 過去、ずっと遠い昔、彼に出会ったことがある気がする。気のせいにちがいない。しかし、この不可思議な懐かしいような感情が理解できない。


 彼の苞(上着)は透ける素材、全身を白い衣装で包み、黒髪を流して歌う姿は神秘的で……、この場にいる人びとを惹きこみ、感動の渦に巻き込む。

 

 彼は身分も金もない。しかし、その類稀なる才能で人々を惹きつける最高の歌い手。破綻はたんしそうな微妙なバランスの歌声はもろく危険さえ感じる。


 美しい曲を二曲、そして、三曲目に例の歌になった。

 あの、わたしを呼んでいると誤解した曲、いま思い出しても顔が火照る。



『マリーア、マリーア


  ああ わが恋人

  野の果てで嘆こう

  あなたへの思いを

  

  絶望の底からわたしを救ってくれた


  マリーア、わたしの喜び

  マリーア、わたしの慈しみ』



 これは、わたしを呼んでいるのではない。

 そう自分に言い聞かせた。彼はただ歌っているだけだ。血も涙も汗も──もし、彼が流しているとしても、それは私のためではない。


 そう、わたしのためではない。


 この場にいるすべての人に彼は歌っている、それが辛い。

 手先が震えるのを感じ、顔を上げることができなかった。


 最後のフレーズが終わり、楽器の音が消えた。

 拍手がわき起こる。


 歌い終わってから、リュウセイは軽く会釈した。


 目があった……。その時、世界にはわたしと彼しか存在しなかった。胸がはりさけ、叫びだそうとする自分を想像して唇を噛む。


 これほど、わたしの感情をゆさぶり、不安にさせる彼という男。その理由がわからない。これに恋とか愛とか名前をつけていいのだろうか? これが、そうなのだろうか? 


「彼は」と、隣で王寧寧わんにーにーがささやいた。

「この国の人間ではないな」

「……」

「彼の声、発声の仕方がね、違う。わたしの声が聞こえてますか?」

「え?」


 うたげ場は再び楽器演奏になり、リュウセイは使用人の扉から姿を消した。人々はいっときの余興から目が覚め、踊りや紹興酒しょうこうしゅを楽しみはじめる。


「あなたでも、そんな表情ができるのですね。ほらほら、取り澄ました王女の仮面が脱げかけていますよ」

「からかわないでください」

「かわいい人だ。よほど、あの歌が気に入ったのかな」


 彼の言葉にイライラした。真意をはかりかねるからだ。


「ええ、興味深いと思っております」

「確かに、あれは魔物だ。気をつけたほうがいい」

「魔物ですか」

「まだ、自分が何者であるかをわかっていないような、純粋な方には」と、彼は笑った。


 この男は気楽だ。気を使わず話しやすい。それは珠花じゅふぁに対する感情と似ている。


 その夜、延々と貴公子たちと話し、顔に笑顔を貼りつけ続けた。

 ……。

 もう、リュウセイはここにいない。




 うたげの翌日は夕食まで父と顔を会わさなかった。疲れて寝台から起き上がれなかったのだ。


 浜木ばんむは、「あら、ま、これは、これは」と、大忙しで。次々と貴公子たちから贈られてくる花や菓子を飾っている。昼前には寝所は色彩豊かな花で満杯になり、午後には花の香りにむせかえるほどだった。


 夕餉ゆうげを終え、父が聞いた。


「麻莉や。王寧寧をどう思う」

「父上さまのお考えの方ですね」

「そうだな、彼は臣下に睨みを利かすという意味で位置的に重要な男の息子だ。だからといって、お前の意に沿わない相手と結婚させたくもないのだ。しかし、余は」

「隣国の第三王子のことですか? たしか、青飛龍せいふぇいろんさまとか……。宴では拝見しませんでしたけど」

「急用ができたから欠席すると知らせがあった。小国だからとランワン王府をバカにしておる」


 父は眉間にシワを寄せた。


うたげを開くと承知しながら、王公苑わんごんゆぇんが国境でいざこざを起こした。これが原因だろうが。わんらは大国アロール王府の後ろ盾を余に持ってほしくないだろう。まあ、よい。どうだ、意中の男がいたかな」


 父は気持ちを聞きたがるが、正直な答えは意に沿わないだろう。意に沿わないどころか、リュウセイの身が危なくなる。


王寧寧わんにーにーさまは魅力的な方と思いました」

「昨夜はずいぶんと親しげに話していたようだ」

「父上。わたし、あの、恋をしたみたいです」


 父は、おやっという表情を浮かべた。


「わたしの婿となれば、政治的に力を持てるのでしょうか? 法典では、婿となった男はその地位を利用した政治的発言を禁止しておりますけど」

「大将軍である王公苑わんごんゆぇんに逆らえる者が、この王宮にいるだろうか。婿になるとしたら、その息子は巨大な権力を背景に持てる」

「父上は、反対なの?」

「悩ましいところだ」


 どういう答えが正解なのだろう。政治的な問題に答えなどないのかもしれない。


「ちがうの、父上。わたしは、わたしは……。王寧寧わんにーにーさまのことを」


 なんとも思っていない。そう言おうとした。けれど口から出た言葉は最悪だった。


「とても素敵な方だと思います」


 嘘をついた。

 父のシワの寄った顔を見ていると、罪悪感に胸が潰れそうになる。

  


(つづく)

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